第20話 エドさんです
上層の入口に白い服が立っていた。
配信者が十組並ぶ朝の入口で白はよく目立つので、十組が全部そちらを見ないようにしながら見ていた。
「おはようございます。ホルスト殿。ローウェル殿。ヴァーン殿」
「……おはようございます」
オルドは約束どおりに石の横の、俺の左に立った。
「配信、始めます」
石が熱い。四千二百で始まった今日の配信は、神託欄の最初の一行が決まっていた。
≫知恵の女神アウラ:白い服。神殿の人間ね
≫戦神ガルヴァ:神殿が剣姫の配信を見に来たのか。撮影係の横に立って
≫雷神ドゥル:邪魔だ。映るぞ
≫迷子の神:映ってない。石の外にいる
映っていないのは、オルドが左にいるので俺が石を右へ振っていないからだ。石の外に俺と監察官が並んで立っていて、神様には剣姫とセレスだけが見える。
◇
中層十二階は五年白銀の翼の石を持って歩いた階で、横穴の並びは目をつぶっても言える。
今日は言わない。セレスが前で道を作ってティナが斬り俺は石を持って口を閉じている。
オルドは俺の半歩後ろを歩いて短剣の柄にある俺の手から目を離さなかった。
岩蜥蜴が三匹出て、全部ティナが斬る。横穴の並びは十一階と十三階で覚えたものが十二階でも効いた。
石蜘蛛が一匹出たがセレスが凍らせてティナが割った。
≫冥府の神ネル:四匹死んだ。四匹斬った
≫知恵の女神アウラ:今日は本当にお行儀がいいわね。神殿の前だから?
≫戦神ガルヴァ:剣姫が強くなった。それはそれでいい
神眼は四千五百になった。
オルドの目が初めて俺の手から離れて俺の手首の板を覗き込んだ。神殿の人間でも、生きた神託欄を見るのは初めてなのかもしれない。写しは文字だけで、流れる速さまでは分からない。
そのとき、オルドの足元の床が音を立てた。
横穴ではなく床だった。中層の岩蜥蜴はごくたまに床の砂の下に潜るがこれまでに二度しか見ていない。三度目が神殿の監察官の足元だった。
砂が割れて顎が出た。魔物には、白い服の、加護の薄い、剣を持たない人間が見える。
俺は短剣を抜かなかった。抜く代わりにオルドの襟を掴んで後ろへ投げた。投げたというのが正しいくらい、痩せた男は軽い。
顎が空を噛んだところへセレスの氷が降りて、蜥蜴の頭が白く固まった。
「ティナさん。足元。首」
「はい!」
ティナの剣が凍った首を割った。石は彼女に向いていたので画面の中では剣姫が床から出た蜥蜴を斬っている。それだけだ。
≫冥府の神ネル:五匹死んだ。剣姫が五匹斬った
≫雷神ドゥル:床から出たぞ! 剣姫、よく見た!
≫迷子の神:見てない。剣姫は見てなかった。なのに足元に剣が行った
≫知恵の女神アウラ:誰かに言われたみたいに、ね
オルドは襟が伸びて帽子が転がったまま床に座り込み、俺を見上げていた。
「……見ました」
「何をです」
「あなたがわたしを押したのを」
「転びそうだったので」
「転びそうだった」
「ええ」
オルドは帽子を拾って立ち上がり、襟を直してから帳面を出して何かを書いた。
人の目が見たのは、襟を掴まれて投げられたことだけだ。短剣は鞘の中にあり、神託欄には「剣姫が五匹斬った」とあるのだから記録には残らない。
それでもこの男は書いた。
◇
地上へ戻る階段で、神眼は四千八百になっていた。
床の蜥蜴の画はよかったし「見てなかったのに足元に剣が行った」は、迷子の神のいつもの一行として流れた。
そして一日に一度しか書かない神が、今日の一度を階段の途中で使った。
≫豊穣の女神メルティア:撮影係さん。もう一度だけ伺います。お名前は?
ティナが階段の途中で足を止めると、セレスも、オルドも止まった。
彼女は板を見て、それから俺を見た。配信者には見えるのだ。
俺はいつもどおりに首を横に振った。名前は神殿への道で、神々の前で名前が出れば──
そこで考えが止まった。
神殿は俺の左に立っている。
登録簿の写しを持ち、帳面に書いているのだから、もう知っている。神々の前で出る名前を、神殿はとっくに持っているのだ。
隠す相手がいない。
ティナの顔を見ると、彼女も同じところに辿り着いていた。辿り着いて俺の首が横に振られるのをもう一度見て、それから無視した。
石に向かって息を吸った。
「エドさんです」
四千八百柱に、そう言ったのだ。
「エドガー・ホルスト。わたしの撮影係です。無口で恥ずかしがりで、天井ばっかり映すけど、わたしの撮影係です」
神託欄が崩れた。崩れ方が今までと違って、文字が一つしかなかった。
≫雷神ドゥル:エド!!
≫戦神ガルヴァ:エドガー・ホルスト。覚えた
≫迷子の神:エド! 三柱のころから見てたぞ、エド!
≫知恵の女神アウラ:やっとね。エド
≫冥府の神ネル:エド
≫井戸の神:エド、剣姫を頼むよ
五年。四千柱の石を持って一度も呼ばれなかった名前が、板の上を埋めている。
神眼が回って五千、五千三百になった。
横でオルドが帳面に書く音がした。書くのは「配信者が撮影係の名を神々に告げた」ということだけで、それ以上のことは起きていない。
起きていないはずだった。
≫豊穣の女神メルティア:ありがとう、剣姫さん。エドさん。これからはそうお呼びしますね
【加護】豊穣の女神メルティアより エドへ「──」
板が光った。
俺の板が光って、そして消えた。
【加護】届きませんでした
神託欄が一拍止まった。
≫知恵の女神アウラ:……無加護ですもの。届かないわ
≫雷神ドゥル:投げたのか? 豊穣が? 撮影係に?
≫豊穣の女神メルティア:届きませんのね
届きませんのねという丁寧語の一行が、どこか寂しそうに見えたのは、俺の気のせいだろう。神様の文字に顔はない。
≫豊穣の女神メルティア:では、届け方を考えます
考えますと書いて豊穣の女神は今日の分を終えた。
無加護に加護は届かないというのは、十一年前に石の前で決まったことで、神殿の帳面に書いてあることだ。その届け方を考えると、この神は言った。
ティナは階段の上で、名前を言った顔のまま俺を見ていた。
セレスが小さく「言ったわね」と言って、オルドが帳面を閉じた。閉じる音が、今日いちばん大きかった。




