第19話 人の目
神殿は迷宮都市の一番高いところにある。白い石の階段を百段上って、白い門をくぐる。十五のとき以来だ。
無加護は十五で分かる。神眼の儀で石の前に立って、映らなかった者がそう呼ばれ、神殿に呼ばれて話を聞かれ、帳面に名前を書かれて帰される。
十一年前は、それだけのことだった。
十五の俺の名前が書かれた帳面が、この建物のどこかにある。
「ホルスト殿。お待ちしておりました」
オルドは白い部屋で待っていた。机と椅子が二つで、今日は俺にも椅子があった。
座ると、この男と目の高さが同じになる。それが狙いだろう。
「ご足労を。配信はお休みで?」
「ティナさんは休みにしました。俺がいないと石を持つ者がいない」
「無口な撮影係がいないと」
神託欄の写しを読んでいるのだから、「無口」も「恥ずかしがり」も知っている。
「率直に申し上げます。ホルスト殿」
オルドは、今日は紙を出さなかった。手ぶらで話す気なのだ。
「神殿は、あなたが魔物を殺していると考えています」
来ると分かっていたが、分かっていても背中は冷える。
「根拠は」
「ありません。あなたは映らない。あなたの名も姿も神託欄に残らない。録りにも映らない。神殿の持つ記録のどれにもあなたはいない。だから根拠はない。根拠がないことが根拠です」
上手い言い方だ。神殿の人間は話すのが仕事だ。
神様たちは「誰も斬っていない」と書き、神殿は「誰かが斬っている」と考える。人間のほうが神より正しいことがある。
「剣姫の配信で剣姫が斬っていない魔物が四匹死んだ。白銀の翼の配信で誰も斬っていない大蜥蜴が死んだ。どちらにもあなたがいた。映らないあなたが」
「俺は石を持っていました」
「大蜥蜴のときは剣姫が持っていた。知恵の女神がそう書いておられる」
アウラの一行だった。神殿は神託欄を読むだけでなく、神託欄で一番目のいい神の一行をちゃんと拾っている。
「仮に」
オルドが言った。
「仮に無加護の者が剣で魔物を殺せるとして。神の加護なしに深層の大蜥蜴を二太刀で。それは神殿にとって何だと思われますか」
「教義の穴」
「よくご存じだ」
無加護は神に見放された者で、加護を持たない者は迷宮で生きられないというのが、教義だ。生きている無加護がいれば、教義は一つ嘘をついたことになる。
「穴は塞がなければなりません」
「埋めてですか」
「埋める?」
オルドは本当に驚いた顔をした。
「百年前の話をなさっている。今の神殿は埋めません。もったいない」
「もったいない」
「加護なしで深層の魔物を殺せる者は、加護が届かない場所でも殺せる。そういう場所が迷宮にはあります。神殿はそれを知っている」
加護が届かない場所というのは、初めて聞く話だった。中層の下まで何度も潜って、そんな場所は見たことがない。
聞いてはいけない話を聞いた気がした。神殿が「知っている」と言う場所は神殿が人に言わない場所で、それを今この男は、言ってもいい相手だと決めた上で、俺に言ったのだ。
「神殿にお仕えになりませんか。ホルスト殿。石を持つよりよほど実入りがいい」
脅しではなく、誘いだった。
脅しなら慣れているし、脅しのほうがまだよかった。誘いは、断ると、断った事実が残る。
「お断りします」
「理由を伺っても」
「俺は撮影係です。石を持っているのが性に合っている」
「剣姫の石を」
「剣姫の石を」
オルドは俺をじっと見てから、今日初めての紙を出した。
「ではこれだけお伝えしておきます。神殿があなたに目を向けたのは、豊穣の女神の件だけではありません」
紙には、ギルドの印とジークの署名があった。
「白銀の翼のジーク殿から申し出がありました。前の撮影係が怪しいと。自分が辞めさせてから伏兵が出るようになった。あの男は無加護で何をしていたのか分からない。調べてほしいと」
ジークは、自分で辞めさせておいて、自分で「辞めさせてから伏兵が出るようになった」と書いたのだ。俺が伏兵を片づけていたと、神殿に向かって自分で証言していることの意味を、あの男は分かっていない。
分かっていないから書ける。気づいたのはたぶんセレスだけだ。
「ジーク殿はあなたを恨んでおられる。理由はご本人も分かっておられないようですが」
「板の数字でしょう」
「でしょうね」
オルドは紙をしまった。
「神殿はあなたを把握しました。映らない方を把握する方法は一つしかありません。人の目です」
「人の目」
「明日からわたしが剣姫の配信を見ます。神託欄の写しではなくこの目で。上層の入口から、あなたの石の横で」
セレスが来て、今度は神殿が来る。俺の石の横はずいぶん混んできた。
◇
白い階段を降りると、下にティナがいた。
百段の下に座り込んでいて、顔を上げて立ち上がった。
「生きてました!」
「死にません。話を聞かれただけです」
「……そうでした」
朝からずっとそこにいたらしい。神眼四千二百の配信者が、配信を休んで、神殿の階段の下で撮影係を待っていた。
「何を聞かれたんですか」
「神殿に仕えないかと」
「えっ」
「断りました」
「……なんで断ったんですか。神殿なら安全なのに」
たぶん安全だろう。俺は少し考えて答えた。
「剣姫の石を持っているほうが、性に合っているので」
ティナは、口を開けたまま何も言わずにいたが、急に階段を二段降りて俺の前に立った。背は俺の肩までしかない。
「それ、もう一回言ってください」
「言いません」
「言ってください!」
「明日から神殿の監察官が俺たちの配信を見に来ます。石の横で。毎日」
話を変えたが、彼女の顔は、赤いまま変わらなかった。
「監察官が横にいたら、エドさんはどうするんですか」
「何もしません。いつもどおり」
「いつもどおりって、何もしないことですよね」
「そうです」
「……それ、いつもどおりじゃないです」
そのとおりだった。




