第17話 角度の祭り
セレスが剣姫の配信に来た最初の朝、神眼は千八百から二千四百に跳ねた。
配信を始める前からだ。上層の入口に黒い外套の魔術師が立っているのを見た配信者たちが噂にして、噂が神様の側にも回った。人の噂が神にどう回るのかは知らないが回ることだけは分かる。
≫戦神ガルヴァ:セレスが剣姫の組に? 白銀の翼はどうした
≫知恵の女神アウラ:遊びに来たのよ。あの子はそういう子
≫雷神ドゥル:魔術師が前で剣姫が後ろ。悪くない
隊列はセレスが前で、ティナが真ん中、俺が左斜め前だ。石はティナを映し、セレスは画面の端に入ったり出たりして、入ったときだけ映る。それが約束だ。
ティナは朝からセレスの背中を見ていたが何も言わなかった。言わないのが精一杯の顔だった。
「十四階は昨日で終わり。今日は十五階ね」
「十五階は何の階ですか」
「湯の階」
ティナは「ゆ」とだけ言って、あとは黙った。嫌な予感がする顔だ。
◇
中層十五階は湯の階で、床の割れ目から湯が湧いて通路の半分が湯気で白い。
暖かく、魔物は湯を嫌うので少ないが湯気で見えない。見えないので神眼は増える。神様は見えないものを見たがるのだ。
≫迷子の神:湯気で何も見えん
≫竈の神:あったかそう
≫知恵の女神アウラ:撮影係、湯気の切れ目を待ってから剣姫を映してるわね。うまいわ
そのとおりで湯気は映さないための道具にも使える。俺は湯気の濃いところで石を止めて薄くなったところでティナの剣を映した。
湯を嫌う岩蜥蜴が二匹、湯のない岩棚にいた。セレスが氷で足場を作ってティナが上がり首を落とした。二人の呼吸は合っていて、合っているのがティナには少し悔しそうだ。
神眼は二千七百になった。
順調すぎた。順調なときに、迷宮は聞いていないことをする。
床が抜けた。
湯で脆くなった岩棚の下の岩がティナとセレスの重さで割れて、二人は一緒に落ちた。
落ちた先は湯だった。
深さは腰までで熱くはないから死ぬような落ち方ではない。
ただ、湯だった。
革鎧の下の麻の肌着は湯を吸うし、黒い外套は湯に浮く。二人とも頭まで一度沈んで浮き上がり、髪が顔に貼りついて革鎧の肩口から湯が流れた。外套はもう外套の形をしていない。
俺は石を天井に向けた。湯気と岩だけが映る画角に。
≫迷子の神:角度!!!
≫雷神ドゥル:角度!! 戻せ!! 落ちたぞ!!
≫戦神ガルヴァ:撮影係!! 湯だ!! 二人とも湯に落ちた!!
≫井戸の神:無事か
≫竈の神:角度ってなに
≫知恵の女神アウラ:……角度ね
戻さない。
品位規定では、濡れた配信者の肌着は配信者の肌と同じ扱いだ。それが一つで、もう一つはいつもの規定ではないほうだ。
「エドさん! 見てます!?」
「見ていません。天井を映しています」
「天井!?」
「湯気と岩です。神様には湯気と岩しか見えていない」
湯の中でティナが立ち上がる音がした。音だけは映る。
セレスは口をつぐんでいたが、俺が見ないようにしている先で彼女が湯から上がる音と外套を絞る音がした。
俺は見ていないし、見ないのが仕事だ。
だが撮影係は、映さないものも把握していなければならない。見ないまま言えることだけ言うと、湯気の向こうに二つ分の影があって、一つは赤茶の髪を絞り、一つは黒い外套を岩に掛けていて、どちらも神様に見せていいものではなかった。
それ以上は俺の規定で見ない。
≫雷神ドゥル:撮影係!! お前!! 石を下ろせ!!
≫戦神ガルヴァ:五年間一度も負けたことのない男の顔をしているぞ、あの石は
≫迷子の神:角度!!! 三柱のときから言ってる!!! 角度!!!
≫豊穣の女神メルティア:あら。今日もお見事ですこと、撮影係さん
神眼の数字が回った。
二千七百、三千、三千四百。見せないのに増えるのは、「角度!!!」が神々の間で祭りになっているからだ。見せてもらえない配信を見せてもらえないと騒ぐために神が集まる。
四千になって、剣姫の配信は白銀の翼の数字を越えた。湯気と岩を映している間に。
「エドさん、何柱ですか」
「板を見ない」
「見てません! 聞いてるんです! あと、まだ映さないでください! 絞ってます!」
「映しません」
◇
二人が岩棚に上がって革鎧の紐を結び直し、外套を肩に掛け直してから、ようやく俺は石を下ろした。
画角に戻ってきたのは、髪の濡れた剣士と外套の濡れた魔術師だった。濡れているだけなら、品位規定には触れない。
≫雷神ドゥル:遅い!!!
≫戦神ガルヴァ:……まあ、濡れた剣姫も悪くない
≫知恵の女神アウラ:撮影係。あなた、湯に落ちた二人のどちらも映さなかったわね。公平で結構
≫冥府の神ネル:誰も死んでいない
誰も死んでいないという、ネルの一行が、今日は少し可笑しかった。
四千二百で配信を止めた。千八百から四千二百まで、一日で上がった。
地上に上がる階段で、まだ外套の濡れているセレスが俺の横に並んだ。
「見なかったのね」
「仕事中は見ません」
「本当に?」
「天井を見ていました」
「そう」
信じていない「そう」だったが、かすかに笑っていた。
「ティナちゃん」
セレスが前を歩くティナを、初めてそう呼んだ。
「あなたの撮影係、本当に天井を見てたわよ。わたしが見てたから間違いない」
「……そうですか」
「ちょっと腹が立つくらいにね」
ティナは振り向いて俺を見て、それからセレスを見た。何かを言いかけてやめてから、言った。
「わたしも、ちょっと腹が立ちました」
二人が同時にうなずいた。
何に腹が立ったのかは聞かない。セレスは見られなかったことに、ティナはたぶん、見られなかったことと、見られなかった相手がもう一人いたことの両方にだろう。そこまでは察したが、聞かないのも撮影係の仕事のうちだ。
板を見ると四千二百で、昨日まで三千四百だった白銀の翼の数字を、湯気と岩を映した日に越えていた。ジークがこの数字を見たときの顔は、想像しないことにした。




