第16話 あなた、何者?
その夜、ギルドの酒場は白銀の翼の話で沸いていた。
大水晶に流れているのは、今日のロロの石の録りだ。水の中で膝をついたジークの真上で黒い大蜥蜴の顎が開いて、それから崩れる。何度流しても客が沸く。
「加護だ。加護の奇跡だ」
「三千柱の加護が蜥蜴を殺したんだ」
「さすが白銀の翼」
人間の側では、そういうことになった。
神託欄で四千柱に流れたのは「誰も斬っていない」で、大水晶の前で百人に流れているのは「加護の奇跡」だ。同じ画を見て、神と人は反対のことを言う。
ジークは酒場にいなかった。奇跡の報告に、神殿へ行ったらしい。
俺は串焼きを三本頼んで、一本をティナに渡した。
「エドさん。あれってエドさんなのに」
「声が大きい」
「……エドさんなのに」
「加護の奇跡でいいんです。奇跡は誰も調べない」
誰も調べないと、そう思っていた。
◇
セレスが向かいに座ったのは、二本目の串が終わる頃だった。
黒い外套で本は持たず、代わりに麦酒の杯を三つ持ってきて、黙って一つずつ置いた。
「奢るわ。今日の分」
「何の分ですか」
「あなた、何者?」
ひどく直球な聞き方だった。この人はいつもそうで、本の背も叩かず前置きもない。ティナが串を持ったまま固まった。
「撮影係です」
「そう。無加護で映らなくて、声も届かなくて、石を動かさないで、それで撮影係」
並べられたことは、全部本当だ。
セレスは杯を一口飲んで続けた。
「記録室で録りを見たわ。あなたが石を持っていた一週間分。画面の端に頭が出て、画面が流れて、戻ると伏せている。二十三回。同じ週にうちの五人が斬った数は十六。七つ余る」
「数えたんですか」
「数えたわ」
ティナが小さく「ななつ」と言った。七つのうち三つは、彼女が「勢いで」斬ったことになっていた蛙やゴブリンの、前の週の分だ。
セレスはさらに続けた。
「それから今日。わたしの前で三匹目が何もない床の前で止まった。あなたが半歩下がった床よ。それから大蜥蜴。あなたは石を剣姫に渡して水に入った。膝が濡れてた。ジークは目を閉じてたけれどわたしは開けてた。今ごろ神殿で、自分の加護が蜥蜴を殺したって報告してるわ。本人も半分信じてる。目を閉じてたから」
この人は、いつも目を開けている。
「無加護で剣が使える。それも深層の大蜥蜴を二太刀で殺せるくらいに。神殿が知ったら教義が困るわね」
「エドさんは──」
ティナが言いかけて止まった。俺が見たからではなく、自分で止まったのだ。
セレスがティナを見た。
「知ってるのね。あなたも」
「知りません!」
速すぎた。セレスが笑った。
この人が声を出して笑うのを、俺は二年と二か月で初めて見た。
「あなたの『目をつぶってました』は録りで聞いたわ。配信者の声は録りに残るの。よかった。神様に嘘をつく配信者を初めて見た」
「嘘じゃないです」
「そう」
この人も、信じていないときに「そう」と言う。知恵の女神アウラと同じ癖を持つ人間が、俺の向かいに座っている。
◇
「ジークに言いますか」
聞くしかないので、俺が聞いた。
「言わないわ」
「理由は」
「言ったらあなたは神殿に行く。神殿に行ったらわたしが見られなくなる」
見られなくなる。この人の理由は、いつも自分の側にある。
「わたしはあなたに興味があるの。石にも持ち手にも。二年間後ろで石を持ってた男が実はうちの伏兵を全部片づけていた。気づかなかった自分にも腹が立つし、気づかせなかったあなたにも腹が立つ。腹が立つから見ていたいの」
「理屈になっていません」
「配信者の理屈よ。わたしも配信者」
そういえば白銀の翼の五人は、全員が配信者だった。
ティナは横で何かを言いたそうにしていたが、言わずに串を噛んだ。セレスはそれを見て、ティナのほうへ少し体を向けた。
「あなた、いい声だった。十三階の『右の横穴』。うちの盾はあなたの声で助かった。礼を言うわ」
「……どういたしまして」
ティナは串を下ろした。礼を言われると、怒れない人なのだ。
「それで、取り引き」
「取り引き?」
「次の合同はないわ。ジークはもう申し込まない。今日の板を見たから。だからわたしが剣姫の配信に遊びに行く」
「遊びに?」
「魔術師が一人前で道を作る。神眼は増えるわよ。白銀の翼のセレスが剣姫の配信に出るんだもの」
確かに増えるが、そうなればこの人が俺の石の横にいる。毎日。
「お断り──」
「受けます!」
ティナだった。
俺が見ると、彼女は杯を握って、セレスをまっすぐ見ていた。
「受けます。でもうちの撮影係はうちのです。石は持たせません」
「持つ気はないわ。見るだけ」
「見るのもだめです」
「それは無理ね」
二人は睨み合ったが、先に目を逸らしたのはどちらでもない。俺が咳をした。
◇
セレスは三杯目を飲み干すと、代金を置いて立ち上がり、俺を見下ろして言った。
「名前を聞かれてたわね。神託欄で。豊穣の女神に」
「……」
「答えられないのよね。声が届かないから」
「ええ」
「じゃあわたしが代わりに答えてあげてもいいのよ」
背中が冷えた。セレスは配信者なので、白銀の翼の配信で神託欄に向かって俺の名前を言える。
「言わないわ。今は。言うとしたら剣姫の前で言う。あなたの配信者はあの子だもの」
そう言ってセレスが行ってしまうと、ティナが長い息を吐いた。今日二度目の長い息だった。
「……あの人、エドさんのこと好きですよね」
「仕事の話をしましょう」
「仕事の話です! 人員の話です!」
人員の話、ということにしておく。
「セレスさんが来たら、画角はどうするんですか」
「魔術師は映します。前で道を作る人は映えるので」
「……むう」
むう、と言った。初めて聞く音だった。
大水晶ではまだ大蜥蜴が崩れていて、客が沸き、加護の奇跡だと誰かが言う。
奇跡の値段は、串焼き三本と麦酒三杯だった。
明日からは、俺の名前を剣姫の前で言うと決めた人が、俺の石の横にいる。




