第11話 撮影係は無口なんです
翌朝、ギルドの窓口の男がティナの名前を先に言った。
「ローウェルさん。おはようございます」
「……おはようございます?」
ティナが俺を見たので、俺は肩をすくめた。
昨日までは彼女が名乗ってから帳面をめくる男だったのが、今朝は顔を見ただけで名前が出た。五百柱というのはそういう数字だ。
窓口の列では、昨日まで俺たちを見なかった配信者たちが見て、目を逸らした。一人が列を詰めてティナの前を空けたのに、彼女は気づかずにそこへ並んだ。一階の大水晶では、剣姫の枠が白銀の翼の枠のすぐ横の真ん中にあった。
奨励金は銀貨五枚だった。
昨日の終了時の神眼が五百三十一で、百柱ごとに一枚だからだ。窓口の男は五枚を数えていくらか丁寧に置いたが、三柱のときには帳面に書くのも面倒そうだった男だ。
「エドさんの一枚」
「立て替えの二枚目として」
「はい。残り一枚ですね」
四枚が彼女の手に残ったのは初めてだった。三柱の夜に銅貨二十枚を数えていた指が今朝は銀貨を数えていて、彼女は手に残った銀貨をしばらく眺めていた。
「バルトさんのところに行きます」
「今日は月初ではないでしょう」
「元金を返しに」
◇
バルトは帳場の奥で帳面をつけていたが、ティナが銀貨四枚を置くと、顔を上げてから眉を上げた。この男の眉が動くのを俺は初めて見た。
「利子ではなく?」
「元金です。四枚」
「……承りました。二百四十が二百三十六」
帳面に書く手がいつもより少し遅かった。
二百三十六はまだ遠いが、昨日より四枚近い。ティナは帳面の数字を覗き込んでから、俺のほうを振り向いて笑った。
バルトはそれを見て帽子を取って頭を下げた。
「配信、拝見しております。大水晶で」
「え、見てるんですか」
「商売ですので」
商売ですのでと言うこの男は、担保の剣の値段と同じ目で彼女の神眼を見ている。神眼が上がれば、剣を取るより待つほうが得になるからだ。
それでいい。敵でも味方でもない男が、味方の側に少し寄った。借金とはそういうものだ。帳面の数字が減るより、帳面の男の目が変わるほうが先に来る。
◇
上層七階で中層へは行かない。昨日の今日だ。
ティナは言いたそうな顔はしたが、何も言わなかった。昨日の夜に彼女が約束したことの中に「中層に行きたいと言わない」は入っていないはずだが、入っているように振る舞ってくれた。
「中層に行きたいって、言ってません」
「言っていません」
「えらいですか」
「えらいです」
「配信、始めます」
石が熱い。五百六十で始まったのは、昨日の終了時より多い。帰らなかった神々が、そのまま座っているのだ。
≫雷神ドゥル:来た来た来た。今日は何が倒れる
≫戦神ガルヴァ:七階? 狼か。昨日の今日で狼か
≫迷子の神:撮影係、昨日の答えは? メルティアが聞いただろう
≫知恵の女神アウラ:答えられないのよ。たぶん
たぶんと書いたアウラは、もう「たぶん」の中身に見当をつけている。無加護は映らず声も届かないので、答えたくても答えられない撮影係だというところまで、この女神は辿り着いている。
辿り着いていて、まだ書かない。
書けば俺が困ると分かっていて書かないのか、それとも書く日を選んでいるのか。
≫雷神ドゥル:答えられんなら剣姫が答えろ。撮影係の名前は
≫戦神ガルヴァ:名乗れ名乗れ
ティナが足を止めた。
板を見る時間ではないが、神託欄の流れが速くなると、配信者には手首が熱くなって分かる。彼女がこちらを見たので、俺は首を横に振った。
名乗らないと昨夜宿で決めた。名前は神殿への道だからだ。神々の前で「エドガー・ホルスト」が出れば、神殿の誰かがいつか登録を引く。無加護で、白銀の翼の元撮影係で、剣姫の現撮影係だと並べれば、分かる者には分かる。
ティナは一度うなずいて、石に向かって息を吸った。
「うちの撮影係は無口なんです!」
言った。大声で。
「名乗りたくないそうです。恥ずかしがりなので。でも腕はすごくいいので名前なしで応援してください!」
≫雷神ドゥル:無口ぃ?
≫戦神ガルヴァ:恥ずかしがりの撮影係
≫迷子の神:恥ずかしがりが画角を戻さないわけないだろう
≫知恵の女神アウラ:……そういうことにしておくわ
そういうことにしておくというのは、アウラの二度目の「そう」だ。信じていないが追わない。
神眼は五百六十から五百二十に落ちた。
昨日まで数字は上がるだけだったので、初めて見る落ち方だった。中層へ行かず、撮影係は名乗らない。見たいものを見せない配信は減る。
分かっていて選んだのだ。四千柱の板で減る数字を見るのはジークの仕事だったが、今日は俺の仕事だ。
「ティナさん。狼です。正面」
「はい!」
狼を四匹、全部ティナが斬った。今日も俺は何も殺さずに、口だけを動かした。
俺の声は石に乗らないので、神々には剣姫が一人で狼の背後を取ったように映り、右と左はティナにだけ届く。
神眼は五百二十から上がりも下がりもしなかった。ドゥルは「狼はもういい」と三度書き、ガルヴァは何も書かなくなった。強い者にしか書かない神が黙るのが、一番堪えた。
メルティアは今日の一度を終わり際に使った。
≫豊穣の女神メルティア:今日はお休みでしたね、撮影係さん。お疲れさま
お休みというのは殺していないという意味で読める。ティナが一人で四匹斬ったことを、この女神は「お休み」と呼んでいる。
俺が何をして何をしていないかを、一日一行で言い当ててくるのだ。
◇
「エドさん」
宿へ帰る道で、ティナが言った。
「名前を言っちゃだめですか。みんな聞いてるのに」
「だめです」
「……どうしてですかとは聞きません。約束なので」
「助かります」
「でも」
彼女は立ち止まって俺を見上げると、少し顔を赤くして早口になった。
「わたし、エドさんの名前……好きなんです。響きが。言いたいなって思いながら言ってません。それだけ覚えておいてください」
覚えておくことにした。忘れそうにもなかったが。
板を見ると、神眼は五百二十で止まっていた。隠せば減り、見せれば数えられる。
その間のどこに立つのか、俺はまだ決めていなかった。




