第四十一話 永幻術
「ミラー、今夜も素晴らしかったよ。お疲れ様」
「ありがとう、フランシス。皆に喜んでもらえてよかったわ」
街の外れでバーを経営するフランシスと出会い、幻系統魔術を使ってイリュージョニストを演じることになったミラーことマヤリィ。
今ではすっかりファンも増え、誰が呼んだか『プリンセスミラー』という二つ名まで付いた。
「まぁ、僕のプリンセスには変わりないけど…」
ジェイはこういうことを真面目な顔で言う男である。
うん。そんなこと言えるのジェイくらいだよね。
「君のお陰で連日大盛況だよ。…今夜もすぐに帰ってしまうのか?たまには一杯どうだい?」
「いえ、結構よ。気持ちだけ有り難くもらっておくわ」
あっさり断られ、フランシスは寂しそうな顔をする。
「そうか…。いつも世話になってる君に何かお礼をしたいと思ってたんだが、君は何をしたら喜んでくれるんだ?」
「…ごめんなさい。分からないわ」
マヤリィは本気で分からなかった。
「それなら、一緒に買い物でも行こうか。君は若い女性みたいだし、ドレスでもジュエリーでも気に入った物があればプレゼントするよ」
フランシスが「若い女性みたい」と言ったのは、いまだにミラーはステージ上でしか顔を見せてくれないから。後は、声の感じでなんとなく想像していた。
「…ごめんなさい。ドレスは苦手なの。…ほら、私って旅人だし…」
マヤリィは本気で困っていた。
(ドレスっていつもルーリが着てる服よね?綺麗だけれど、私には…)
そこへ、普段は黙り込んでいる(設定の)ジェイムズが助け舟を出す。
「フランシス、貴方の気持ちは嬉しいけど、今日はミラーも疲れてるみたいだし、そろそろ失礼するよ。…それに、貴方にはいつも本当にお世話になってる。それだけで十分だよ。ねぇ、ミラー?」
「ええ、その通りよ。私達、本当に貴方に感謝しているの」
実を言うと今マヤリィは本気でつらかった。
過去の境遇のせいで若い女性のファッションなんて何も分からない。今更、洋服をプレゼントすると言われてもどうしたら良いか分からない。嬉しい気持ちよりそれを素直に受け取れない自分の惨めさが感じられて苦しくなる。
…ここは日本じゃないのに。
「そうか…。君達って本当に謙虚なんだな。でも、もしこの先欲しい物とか必要な物とか出てきたら遠慮なく言ってくれよ」
「ありがとう、フランシス。その時は貴方を頼らせてもらうね」
マヤリィの代わりにジェイが頭を下げる。
「ああ。…ところで、今日のジェイムズはよく喋るね。やっと馴染んできてくれたみたいだな」
「う、うん…。貴方は本当に優しい人だし…」
ジェイがフランシスと話していると、突然マヤリィが膝をついた。
「ミラー!?どうした?具合でも悪いのか!?」
《姫!大丈夫ですか!?》
頭を抱えてその場に座り込むマヤリィにフランシスは言う。
「ミラー、すぐに白魔術師を呼ぶから待っててくれ!」
「待って、フランシス…大丈夫よ…」
しかし、マヤリィの弱々しい声は届かず、フランシスは店を飛び出して行ってしまった。
《ドレスのくだりからですか…》
ジェイは全て分かっている。
《…ええ。ジェイが話を逸らしてくれたから助かったと思ったけれど…色々思い出してしまったわ…》
フラッシュバック一歩手前で踏み留まったマヤリィだが、激しい頭痛に襲われる。
《ここでも…治らないのね……》
マヤリィは元の世界にいた頃に発症した精神病に今も悩まされている。
様々なものに憧れた。しかし、何ひとつ許されなかった。
諦めたつもりでいた。自分には全く縁のないものだと思うことにした。
だから、今更好きな服をあげると言われてもどうしたら良いか分からない。
けれど、諦めきれない気持ちも残っていたらしい。諦めたつもりの心と諦めきれない心の板挟み。それはとても苦しい。
何が欲しいのか本気で分からない。ただ、つらくて悲しくてどうにもならないとしか言いようのない感情だけが頭の中を目まぐるしく駆け回っている。
(痛い…苦しい…!!)
《姫…!》
ジェイは必死でマヤリィを支える。
《本当は…着てみたい。でも、着れるわけない…》
思い出すのはルーリの姿。彼女はいつも最高級の生地を使って作られた上品で美しいデザインの、それでいて華やかなドレスを着ている。
それと同じレベルの物を桜色の都で手に入れられるとしたら王族くらいだろうが、マヤリィの知っているドレス=ルーリがいつも着ている服である。
《私には縁のない物なのよ……》
そう言いながらマヤリィの目から涙があふれる。『隠遁』のローブを被っているので外からは見えないが、ジェイには今マヤリィが泣いているのが分かる。
《姫…貴女の願いは何だって叶えたい。ここは日本じゃないんです。誰も貴女を縛らない。僕達は今、自由なんですよ…》
ジェイは屈み込んでマヤリィを抱きしめる。
《着てみましょうよ、ドレス…》
《…………》
《姫…?》
《ありがとう、ジェイ。ごめんなさい、私…》
その時、マヤリィの身体から力が抜ける。
意識を失いかけている。
《姫!!》
(貴方を困らせたくない…だから、何としてでも発動する…!)
マヤリィは朦朧とした意識の中で魔術を発動した。
直後、マヤリィは倒れる。『隠遁』のローブは外れ、素顔が晒される。…と思ったら。
「えっ!?ルーリ!?」
ローブの下の顔はいつもステージ上で見せているルーリの顔だった。
「意識はないのに…魔術が発動してる…?」
何が起こっているか分からずジェイは混乱する。
そこへ、
「ミラー!大丈夫か!?」
フランシスが白魔術師を連れて現れた。
「っ…。今、ちょうど意識がなくなってしまって…」
「待ってろ、すぐにベッドまで運ぶから」
フランシスは素早くマヤリィを抱き上げると、店の二階にある自分の家まで運んだ。
ジェイは後ろからついていくしかなかった。
「…………?」
マヤリィが目を開けた時、ベッドの傍らで眠り込んだフランシスの姿があった。
(私…意識が飛ぶ寸前に何を発動したのかしら…!?)
自分の素顔を見られてたら、いつもの顔と違うことがバレてしまう。そうなれば、最初に質問攻めにされるのはジェイだ。
それだけは避けたくて、力を振り絞って発動したあの魔術は何だったのか…。マヤリィは嫌な予感がした。
(まさか、私、禁術を…?)
頭が痛い。今はこれ以上考えられない。
「…ミラー?目が覚めたのか?」
その時、眠っていたフランシスが声をかける。
「え、ええ…。ここは…貴方の家なの…?」
「ああ。狭くて悪いが、他に君を寝かせられるところがなくて」
「ごめんなさい…迷惑かけたわね…」
「いや、疲れている君を引き留めた俺が悪かったよ。本当にすまなかった」
そう言って頭を下げるフランシス。
「ジェイ…ムズは…?」
「こっちで寝てるよ。ずっと君のことを心配して起きてたんだが、座ったまま寝てしまったみたいだ」
「そう…」
(結局、心配かけてしまったわね、ジェイ…)
マヤリィが反省していると、急にフランシスが姿勢を正した。
「ミラー…たぶんこんな時に言うべきことじゃないんだろうけど…」
「…………?」
「君は、ジェイムズと付き合っているのかい?」
「えっ…」
予想外の質問にマヤリィは混乱する。
「もしそうなら諦めるが…そうじゃないなら、俺と付き合ってくれないか?今日、こうして君の顔を間近で見て、この気持ちを伝えずにはいられなくなってしまって…」
「えっ…顔…?」
なぜフランシスは自分の素顔を見て不思議に思わないんだろう。マヤリィは今初めてその疑問に到達する。
「私の顔…?」
「ああ。いつもはステージ上でしか君の素顔を見れなかったけど、白魔術師に診てもらう時にローブを外させてもらったから…」
(それは分かるけれど…なぜフランシスは私を見て驚かないの?)
マヤリィは先ほど感じた嫌な予感が当たった気がした。
「綺麗なブロンドの巻き髪といい、色白の肌といい、本当に美しいよ、ミラー」
(ブロンド!?)
マヤリィは慌てて自身の髪を触る。どうして気付かなかったんだろう。これは、いつもステージ上で見せているミラーの姿、つまりルーリだ。
本物のルーリはミディアムヘアだが、ミラーになる時は一応ロングにしている。
(私としたことが、自分の髪型にも気付かなかったなんて…!)
激しい頭痛は今も続いている。動くのもつらいほどだから、気付かないのも無理はない。
「ごめんなさい、フランシス…。貴方の気持ちは嬉しいのだけれど、今は頭が痛くてちゃんと考えることが出来ないの…」
かろうじて返事をするが、自分にかけた魔術が何だったのか分かったマヤリィはそれどころではない。
「お、起きたの?えっと…ミラー、大丈夫??」
ジェイがようやく目を覚ます。
「え、ええ…。貴方にも心配かけたわね…ごめんなさい…」
「いや…僕は何も出来なかったけど…」
ジェイは困惑した様子で話す。恐らく、ローブの下の素顔がルーリだったのを見て、不思議に思っているのだろう。
《後で説明するわ、ジェイ…》
マヤリィは『念話』でそう伝えると、再び意識を失った。
次に目が覚めたのはいつものホテルの部屋だった。
あの後、どうやって戻ってきたかは分からないが、ジェイが部屋に置いておいた『全回復』の宝玉を使ってくれたらしく、頭痛は治っていた。
「ジェイ…」
「姫、大丈夫ですか?」
「ええ…。宝玉を使ったのね?」
「はい。ここに戻ってきてすぐに発動しました。…出来たらもっと早く戻ってこれたらよかったんですが」
ジェイはそう言うと、マヤリィの顔色が良くなっているのを見て安心する。
「一時はどうなることかと思いましたけど、あの状況で『幻影』魔術を発動したままにしておけるなんて…驚きました」
その時、マヤリィはフランシスとの会話を思い出し、起き上がると、真っ先に髪を確かめる。
美しいブロンドのウェーブヘアだ。
「まさか、こんなことになるなんて…」
そう言って俯くマヤリィを見て、ジェイは不思議そうな顔をする。
「姫、どうしたんですか?もう素顔に戻って大丈夫ですよ」
しかし、マヤリィは首を横に振る。
「いえ、これは……違うの。…『魔法無効化』!」
マヤリィは試しに『魔法無効化』を発動してみるが、顔は元に戻らない。
「そんな…。これはどういうことですか…?」
『幻影』魔術が解けないのを見て、ジェイは動揺する。一体何が起きているんだ…?
「あの時、私が咄嗟に発動したのは恐らく『永幻術』…。幻系統の中では珍しい禁術よ…」
戸惑うジェイにマヤリィは説明すると、鏡で確認した。
色白の肌、ブルーグレーの瞳、整った顔立ち、そしてブロンドのウェーブヘア。そこに映っているのは紛れもなくルーリの姿だ。
「ああ、やっぱり戻っていないわね…」
マヤリィは頭を抱える。意識が飛ぶ直前に発動した魔術は解けていない。
「絶対に素顔を見られるわけにはいかないと思って発動したから…力の加減が出来なかったのよ」
「『永幻術』って、まさか…」
「…そう。永遠の永に幻の術と書いて『永幻術』。文字通り、これは永遠に続くわ」
ルーリの顔でマヤリィが言う。
「自分で解くことは出来ないんですか…?」
「無理ね。かなり強力な禁術だから」
マヤリィはあっさり否定する。
「『禁術無効化』を発動することが出来て、なおかつ私の力を超える魔術師ならば、これを解くことが出来るのだけれど」
「そんな魔術師…どこにいるんですか…?」
「…いないわね」
この禁術は特殊らしく、発動した本人には解除することが出来ない。マヤリィは『幻影』魔術と同時に『永幻術』を発動した為に『幻影』が永続的に続くことになってしまったのだ。
しかし、悲観してばかりもいられない。
「明日からはいつも通りやるしかないわ。…それに、ルーリの顔でよかった。せめてもの救いね」
マヤリィがルーリの顔でマヤリィの声で喋っている。
「禁術が効いている状態でも、いつも通りに出来るんですか?」
「ええ。違う魔術なら発動可能よ。『幻影』はもう使えないけれど」
そう言うと、マヤリィはジェイを見る。
「ジェイ…ごめんなさい…」
「どうして姫が謝るんですか?…あの時、すぐに帰ろうと言わなかった僕が悪いんです。貴女の異変に気付いていたのに、店に留まってしまった…。申し訳ありません、マヤリィ様」
ジェイはマヤリィの前に跪き頭を下げる。
「ジェイ…そんなことしないで頂戴…」
正直、二人ともどうしたら良いか分からなかった。
ただひとつ確かなのは『マヤリィ』と呼べる存在がこの世から消えてしまったことだけだ。
偽名はミラー、顔はルーリ、正体はマヤリィ。
しかし、正体を明かすことは本人にさえ不可能になってしまいました。
さらに、幻系統魔術はこれまで通り使えるものの、その使い手がマヤリィだとは見做されなくなり…。
もはや誰の『魔力探知』でもマヤリィを見つけ出すことは出来ません。




