第四百十八話 時間の彼方
「抵抗するでない。さっさと出てこんか」
紅麗様は、誰とも知れぬ炎の空間に向かって声をかけている。こんな、命が焼き切れるほどの超高温地帯に、誰かが潜んでいるというのか。いや、あり得ない。
最強クラスのレダですら自力では辿り着けず、俺自身、奇跡のような幸運を重ねてようやくここに立っているのだ。だが、紅麗様の赤い瞳に冗談の色はない。
「あの、紅麗様……本当に誰かいるんですか?」
「いる。なかなかにしぶといな。この私を相手に、少しでも抗うとは大したものよ。だが、これほど間近に迫られては、もはや隠れおおせるものではない。早く出ておいで。……お前ももう年貢の納め時だ」
紅麗様が鋭く告げた瞬間、何もない空間に、まるで鏡が砕けるような明確な“亀裂”が走った。そこから、凄まじい密度の“力”が漏れ出してくる。俺の内で、レダがその一点を射抜くように凝視した。
今なら俺にもはっきりと分かる。そこに、何かがいる。この威圧感……一体誰だ? 翠聖様クラスの、圧倒的な存在感……。これほどの気配を放つ相手なら、一度でも会えば忘れるはずがない。だが、その気配は記憶にない。
「ま、ちょっ、熱いっ! 無理なのじゃ! 出たらわしでも消し炭になってしまうのじゃ!」
空間のヒビから、悲鳴のような声が漏れる。相手が潜んでいた方法は【異界化】に似ていたが、さらに深度が深い。外界から完全に隔絶され、断絶している。これでは外の様子など知ることができなくなるはずだが……。
《【異界化】は現世との繋がりを濃くするほど、外に気配が漏れる。逆に完全に秘匿すれば、誰の目からも逃れられるが、外で何が起きているか判別できなくなる》
俺の疑問を先読みしたレダが、思考加速を介して語りかけてくる。饒舌な彼女にしては、珍しく緊張を含んだ声だ。
《つまり、どういうことだ?》
《こやつは、ずっと貴様の傍に居続けていたのだ。折に触れて現世との繋がりを強め、貴様の思考を盗み読み、情勢を覗き見ていた者がいたということだ》
《……知ってたなら言えよ》
《聞かれぬことまで教えるほど、私は安売りはせん》
花園にいるレダが、意地の悪い笑みを浮かべて肩をすくめた。
「日輪と私の熱も、“お主”であれば一瞬ならば耐えられぬ道理はない。何をなすべきかは、重々承知のはずだ。すぐに六条へ潜り込め。一刻の猶予もないぞ。……もし“覚悟”を決めるなら、お主の考えに私が手を貸してやろう。そして、それが許されるのは、今この瞬間だけだ」
紅麗様はおそらく異界の中にいる相手に語りかけた。
「うぅっ、心の準備がっ! 本が、わしの本が! わしのささやかな楽しみがっ!」
感じたことのないほど強大な気配。俺は知らないはずだ。なのに、ひび割れの向こう側に潜む相手を、魂のどこかで知っている気がする。この気配の主は、おそらく……。
「ひょっとして……もしかして……“白蓮様”ですか?」
「バカ! 名前を呼ぶやつがあるか! 六条坊やは常に見られておるのじゃぞ。ルルティエラに感付かれたらどうするのじゃ!」
「やかましい。……開くぞ」
まずい。取り返しのつかない失言をしたかもしれない。だが、もはや手遅れだった。どれほどレベルが上がり、人知を超えた力を手にしても、一度放った言葉を“なかったこと”にする力など持ち合わせてはいない。
しかし、確信した。やはりこの相手は白蓮様だ。南雲さんの記憶にある情報と、その特徴的な喋り方が一致している。こんな風変わりな口調の知人は、俺の記憶をいくら手繰っても他に心当たりがない。
《……白蓮様、ずっと俺のそばにいたんですか?》
《う、うむ。実は結構前からおったのじゃ。……というか、わしの本! 大事に集めたわしのコレクションがあああぁっ!》
極限の静寂に包まれているはずの異界で、古風を通り越して時代がかった喋り方をする誰かが、この世の終わりのような悲鳴を上げている。この声、やはり知っている。いつか俺が必ず会わなければならなかった真性の神様。
【神勇者】
向こうがどれほど抵抗しようと、紅麗様の絶対的な力の前には無力だった。空間ごと歪められ、逃げ場のないまま無理やり空間がこじ開けられる。その亀裂の向こうに、一瞬だけ膨大な蔵書に囲まれた図書館のような異空間が見えた。
だが、そこはもはや地獄絵図だった。次々と本が劫火に焼かれ、希少そうな蔵書が灰となって無残に散っていく。その中心に、白い衣を纏った何者かが呆然と立ち尽くしていた。
空間が閉じるのと同時に、その白い影が猛烈な勢いで俺へと肉薄する。そのまま姿を凝縮させながら、吸い込まれるように俺の中へと飛び込んできた。
強引な侵入。だが、自分の体だからこそ手に取るように分かる。かつては己の内側など覗く術もなかったが、今の俺には見える。俺の深層にある、ほんの小さな領域。そこに、レダの住まう花園がある。
桃色の髪を揺らし、レダが静かに佇むその神聖な領域へ、白蓮様が泥足で踏み込むように入り込んだ。
《……誰かに招き入れた覚えなどないのだがな》
俺は即座に意識を内側へと向け、花園の様子を伺った。幸い、この花園の中であれば、二人とも外の世界の超高温に焼かれずに済むようだ。
《旧知の仲であろう、ケチケチするでない》
《私への対価も払わずに、よくもそれほど大口を叩けるものだ。前の対価から貴様は逃げたままだぞ》
《何百年前の話をしておるのじゃ。そんなものはもう時効なのじゃ!》
《ならば、改めて不法侵入として処理するまでだ》
《ごちゃごちゃうるさい! ここしか逃げ場がなかったのじゃ! こんな場所、わしの結界でも一秒と持たんのだから仕方なかろう! それより本じゃ! わしの楽しみが……!》
《レダ。そんなことはどうだっていいだろ。お前だって、本気で怒ってるわけじゃないはずだ。……この流れを予測していたんだろう? さっき対価もなしに協力してくれたのは、こうなることが分かっていたからじゃないのか?》
俺が投げかけると、レダはふいと視線を逸らして黙り込んだ。図星を突かれたのか、別の思惑があるのか。この女が最終的に何を目論んでいるのか、未だ俺には見えてこない。
《もう最悪なのじゃ。六条坊や。できれば、このような形での邂逅は避けたかったのじゃが……。出会ってしまったものは、もはや受け入れるしかないのじゃ。――六条祐太。そなたとは、一度じっくりと言葉を交わしたいと思っておったのじゃ。わしの名は、既に聞き及んでおるな?》
かつてエヴィーから聞かされた姿がそこにあった。幼子のようでいて、どこか枯れた老成を感じさせるしわがれた声。身長は俺の半分ほどしかない。白を基調とした、古めかしい陰陽師のような装束を纏っている。
だが、その小さな体躯から放たれる気配は、あのレダをも凌駕せんとするほど圧倒的だった。
《……はい。先ほど申し上げた通り、白蓮様ですね》
《うむ、なのじゃ。本来なら積もる話もあるのじゃが、今は一刻を争う。実はわし、ルルティエラに執念深く狙われ続けておるのじゃ。……紅麗様、レダ爺、そして六条坊。お主らを信じる他ないゆえ、先に要件を伝えさせてもらう。特に六条坊や、そなたにとって極めて重要な話になる。心して聞くのじゃ》
白蓮様の言葉には、余裕のなさが滲んでいた。紅麗様が無理やり彼女を引きずり出したことで、事態は時間的な猶予を失い、先に進めるしかなくなっている。紅麗様はそれを承知しているか……。
俺は白蓮様の話を聞いた。非常に急ぎながら紅麗様にも、俺たちにも自分の作戦を伝えていく。その中で俺は自分の唇をかんだ。しかしそれがベストだと納得した。
《——と、ここまでじゃ。ルルティエラの接触を感じるのじゃ。これ以上の準備の時間はない》
《これでいいんですね?》
《これ以外ないのじゃ。六条坊やには申し訳ないのじゃ。でもそう信じてるのじゃ》
全てを聞き終えて、そして全てをやり終えて、覚悟を決めなければいけないことが多すぎて怖くなる。でも戸惑いを待っている暇はなかった。話はさらに次の段階に進んだ。
《六条。私が約束した道筋を整えるとしよう。まずは――お前のレベルを引き上げる》
《レベル上げ……ですか?》
《うむ。直接触れてやれぬのが残念だが……。六条、お前は今ここで、人を超えなさい。人のままでいる上限の突破。レベル1000を超えるんだよ》
紅麗様の言葉が、重圧となって脳に響く。レベル1000。それは、この世界の生物が踏み込むことを許されない、神の領域の入り口。それなのに、まるで指先一つで世界の理をねじ伏せるかのような、簡単な様子だった。
《レベル1000……》
紅麗様が『レベル1000を超えろ』と言うのなら、それが正解なのだと素直に受け入れられた。ダンジョンに足を踏み入れる前からずっと抱いていた、探索者としての遥かなる頂。そこに、今、手が届こうとしている。
ごくり、と喉が鳴った。
想像していた成長の仕方とは、あまりにかけ離れている。仲間と泥にまみれ、死線を潜り抜け、一歩ずつ、一段ずつ階段を登っていく。そんな泥臭い歩みを、最初は夢見ていたはずだった。
本来、高レベルになればなるほど、次の一段は遠のいていくはずだ。なのに俺は今、背中を無理やり押し出されるように加速して、高みへと追い立てられている。
これで、正しいのか?
ダンジョン破壊されてしまわないのか?
だが、紅麗様を信じたい。俺をレベル1000へと押し上げるため、彼女は世界そのもの……ダンジョンの深淵へ直接アクセスする“言霊”を紡ぎ始めた。
【四元龍・炎龍神・紅麗より申請を行う。個体名:六条祐太の私への接近を、サファイア級への昇格条件達成と見なす。これに伴い、我が力の一部を譲渡。レベル1152への到達を要求する。……異論はないね?】
【――紅麗。少し、待ちなさい】
いつもなら機械的で平坦な“システムボイス”のはずだった。だが、返ってきた声には、明らかな戸惑いと感情の揺らぎが混じっている。
【何を待つ必要がある? 桃源郷の神の座を巡る争いにおいてすら、誰一人としてこの条件を満たせなかった。500年を生きる者たちですら成し得なかったことを、この者は成したのだ。私は、十分すぎる資格があると判断する】
【昇格条件の達成自体は認めます。しかし……これでは女神が即座に接触してしまいます。対策は、成されているのですか?】
声の主は、何かを恐れているようだった。あるいは、守ろうとしているのか。
【条件が満たされた以上、それは速やかに履行されるべきだ。私はどちらの味方でもない。ただルールに則り、遂行を求めるのみだよ】
【……】
重苦しい沈黙。機械神が迷っているかのような空白の時間の後、声は再びいつもの無機質なトーンへと戻った。そして俺の脳に直接、これから先の未来を確定させる声が響き渡る。
【個体名:六条祐太。サファイア級昇格条件の達成を――確認】
本来なら、女神ルルティエラから課された【伊万里の殺害】というクエストを完遂しなければ、次へは進めないはずだった。あの悍ましい条件を呑まなければ、上の階級へは行けない。それがこの世界のルールだったはずだ。
だが、今理解した。あの“呪い”のようなクエストは、サファイア級への真の昇格条件などではなかったのだ。俺は、
『【クエスト内容:東堂伊万里の殺害。
期限:六条祐太がレベル999に到達してから一週間以内。
参加制限人数:6名。
全体報酬:ルビーコイン3000枚。魅力を除く全ステータス+5000】』
改めて、提示された条件を反芻する。どこをどう読み返しても、報酬の中に【サファイア級昇格】の文字はない。だが、レベル999に到達して一週間という極めて短い時間。これを逃せば、二度と次のクエストは発生しない。
実質的な“詰み”を突きつけるような制約だ。伊万里を殺さなければ、俺の探索者としての歩みは止まる。そんな二択を強いる状況から、書き換えるように無機質な声が響き渡った。
【申請を受諾。個体名:六条祐太のサファイア級昇格を承認。
レベル1152への上限突破を開始。
炎龍神・紅麗より、個体名:六条祐太への神気流入――接続】
宣告とともに、世界が激変した。内側から作り替えられていく、悍ましいほどの強引な変革の感覚。それと同時に、紅麗様から奔流となって流れ込む、高純度を通り越した“神の熱量”が俺を飲み込む。
あまりの圧力に、魂が焼き切れるのではないかという根源的な恐怖が背筋に走った。
《安心せよ。私は加減というものが苦手だが……このダンジョンというシステムは、その点だけは精緻だ。だが、ここからは一刻を争うぞ。一歩でも踏み外せば、無に帰るでは済まぬ。心してかかるのだよ》
《承知、しています……ッ!》
歯を食いしばり、俺は己を繋ぎ止める。肉体が、人ではない別の【種族】へと強制的に変異を遂げようとしている。本来なら年単位、あるいは一生をかけて行われるべき神への昇華。
それを、わずか数秒という異常な短時間で完遂させようというのだ。このダンジョンそのものの理を司る機械神すらも、焦っているような感情が伝わってくる気がした。
薄れゆく意識の淵で、俺は必死に自身のステータスへと視線を投げた。
【種族:鳳凰神】
そこに刻まれていたのは、今までの探索者の枠組みを置き去りにしていくような、神への昇格の証。視界の端で、スキルや魔法がこれまでの次元を遥かに超えた【サファイア級】のものへと次々に更新されていく。
《……行けるか?》
紅麗様が、射抜くような視線で俺を見つめていた。
《はい!》
《ふむ、流石はルルティエラ様というべきか。これほど強引な【半神化】を、事も無げに終わらせてしまうとはな》
俺の内側で、レダが畏怖を込めて独りごちる。
《六条坊やのほとんどを、根こそぎ作り替えてしまったようなのじゃ》
白蓮様もまた、目に見たものに興味を抱いたようで口を開いた。
《六条。お前とは、いずれ再び“必ず”相まみえることになるね?》
紅麗様が俺に聞いてきた。
《……承知しました。必ず》
《良かろう。ならば、その時を待っているよ》
俺の決意を込めた返答に、紅麗様は力強く頷いた。その直後――世界そのものが震えるような、絶対的な声が周囲のすべてから響き渡った。
《日輪、紅麗。そこを開けなさい。……“彼”がいるのでしょう?》
脳を直接蹂躙するような【意思疎通】。あまりの圧力に、魂ごと砕かれるような激痛が走り、俺は思わず頭を押さえた。
《いっ……今のがルルティエラ……ッ!?》
《ふふ、私に命ずる不遜な存在など、この世にルルティエラ様をおいて他にはいないよ》
《計算より1.83秒早い。このままでは、わずかに間に合わんのじゃ》
《流石は女神……。お前を求める執念は本物のようだな。実におぞましく、興味深い》
花園の中で俺の傍らに実体化したレダが、その顔を愉悦に歪ませて笑う。
《レダ爺。興味深いついでに提案じゃ。わしがここで足止めを買って出るゆえ、お前は六条坊やに付き添ってやってほしいのじゃ》
白蓮様の口から出た言葉は意外だった。ここから共に逃亡するのは、彼女と俺だと思っていたからだ。
《ほう……私をあちら側へ行かせて良いのか?》
《レダ爺は、ルルティエラ様を迎え撃つ準備などしておらんじゃろ。それに、そんなことする気もあるまい。でも、六条坊やがこれから向かおうとする先……お主も、見てみたいはずじゃろう?》
《当然だ。その地を拒む理由など万に一つもない。私が永劫の時をかけて追い求めてきた“答え”が、きっとそこにあるのだからな》
レダの声から余裕が消え、真摯な響きが宿る。
《ならば頼むぞ。……紅麗様、時間座標軸の目星はわしがつけましたのじゃ。六条坊やの道筋を整えると仰るのなら、少しばかりレダ爺に力を貸してほしいのじゃ》
《承知している。それほど遠き“過去”へと遡るならば、私の力なくしては成立せぬ。……レダ、その体が壊れぬよう、気合を入れなさい》
紅麗様が静かに呟くと、彼女の眼前で赤熱する宝玉が具現化した。レダはその小さな体を表に出した。そして体が燃え盛りだすのを無視して、小人のような手を躊躇なく差し出し、玉へと触れる。
肉が焼け焦げる嫌な臭いが立ち込めるが、レダは眉一つ動かさない。
赤い輝きは、侵食するようにじわじわとレダの掌の中へと溶け込んでいった。刹那――レダの全身から、次元を震わせるほどの莫大なエネルギーが爆発的に吹き上がった。
《……ふむ、久しぶりに“死ぬかもしれん”などという実感が湧いてきたぞ。六条、貴様の方こそ覚悟は決まったか?》
《迷いはない》
俺は短く、だが強く応じた。
《日輪。目覚めなさい。そして――道を開きなさい》
日輪の外側では、もはやルルティエラが肉薄しているのだろう。空間を震わせる【意思疎通】には、隠しようのない苛立ちと、万物をひざまずかせる絶対的な力が込められていた。
「……」
《無駄ですよ、ルルティエラ様。日輪は既に、完全に感情を喪失しています。日輪が感情を無くし、長くその負荷を私が肩代わりしてきたことは、あなたも知ってるはずだ》
黙ったままの日輪に代わり、紅麗様がはっきりと言い放った。
《ならば紅麗、あなたが開きなさい》
《ルルティエラ様。その前に一つ、確認しておきたいことがあります》
《……何?》
《私がどれほど調べようと、あなたと六条の間に“繋がり”など存在しなかった。一体何故、これほどまでに彼に固執されるのか……私には理解しがたい》
《あなたが知る必要はないわ。私と彼が、互いに分かっていればそれでいい》
《ですが、当の彼すらも理解していないようですが?》
《ならば、これから話すわ》
《それを語れば、ダンジョンの終焉を招くと……あなた自身が私に教えたはずだ》
《問題ないわ》
《……問題しかありませんよ》
《そう……》
その言葉が口にされた刹那、巨大な天体である【日輪】が、断末魔のような震動と共に歪んだ。星の表面に、目に見えるほどの巨大な亀裂が走る。何かが触れたわけでもない。
ただ【意思の奔流】だけで、星そのものが縦一文字に引き裂かれ、二つに割れていく。視界を埋め尽くす光景は、まさに星の断末魔のように響く。
一体、何が?
信じがたい光景に、思考が停止する。目の前で星が文字通り引き裂かれる様を見て、心の底から感じさせられた。次元が違う。格が違う。これほど巨大な質量が、紙細工のように無惨に壊れ開いていく。
《……無茶を。このような強引な真似をされるとは》
《紅麗様。レダ爺を六条と共に、跳躍の時まで守り抜いてくだされ。わしは、前に出るのじゃ!》
白蓮様の姿が消えた。刹那、彼女は崩壊しゆく日輪の最前線に、その小さな背中を直立させていた。
《あなたも、よくもこれほど長く私から逃げ続けたものね。……あなたのせいで、私は何度となく遠回りを強いられた。あなたはいつだって、私の邪魔をする。……今回も、私の邪魔をするつもり?》
《するのじゃ》
ルルティエラが、無造作に掌を前にかざした。日輪の質量すら容易にこじ開ける絶対的な力が、高密度の光球へと凝縮され、白蓮様を目掛けて解き放たれる。
視界を焼き尽くすその光に込められたエネルギーは、見ているだけでも潰されそうな桁違いの力が込められていた。神勇者と呼ばれた白蓮様でも、あの一撃に触れれば終わり。そう直感した瞬間。
《この日のためだけに、気が遠くなる時間をかけて用意してきた……これは、とっておきなのじゃ》
白蓮様もまた、両手を前に掲げた。詠唱はない。既に詠唱のすべては完成しているようで、白蓮様はただ、封印を解くための“鍵”を言霊として放った。
【凡神多重次元異界化陣】
その真名が刻まれると同時に、白蓮様の背後に無数の仏の御姿が浮かび上がり、巨大な曼荼羅を形成した。それは白蓮様という個の許容量を遥かに超越した、神威の奔流。
物理法則すらも塗り替えられ、世界の在り方が根底から変質していく。ルルティエラが放った絶望的なエネルギーの塊は、曼荼羅の輝きに触れた瞬間、抵抗すら許されず霧散した。
「……消えた?」
思わず口から出た疑問。だが、それを口にしたのは俺ではない。極限の【加速世界】において、悠長に言葉を発するなど自殺行為だ。その一瞬の時間という隙がどれほど命取りになるか、俺は骨身に染みて理解している。
失態を演じたのは、他ならぬルルティエラだった。不測の事態に思わず声を漏らしたことで、彼女の思考加速が消えてなくなり、女神の意識は“あるべき現実”へと引き戻される。周囲の時間が猛烈な勢いで経過し始めた。
このレベルの戦いにおいて、現実の一秒は加速世界の一時間に匹敵する。
失敗した。
強固な光のヴェールに包まれた女神の表情は判然としない。だが、その焦りは手に取るように伝わってきた。全知全能ゆえに、彼女には窮地での経験が圧倒的に不足していたのだと思う。
白蓮様が掴み取った道筋。レダが紅麗様の莫大なエネルギーを精緻に捌き、その制御権を俺へと委譲する。レダから流れ込む膨大な魔法式。俺はそれを魂に刻み、【意思疎通】の果てに時の彼方の呪文を絶叫した。
《【時間よ、巻き戻れ。
悠久の彼方、遥かに過ぎ去りし百万年の記憶の果てへ。
誰も知らぬ世界、出会うことのない時の彼方へ、
我ら二人、旅をゆく。
時を開け、運命の扉を。
時間の彼方へ、我らを導け――ッ!!】》
《六条。……寂しいと思う時もある。だが、どうかやり遂げなさい》
最後に、紅麗様がそんな言葉を贈ってくれた。いつも燃え盛り誰にも触れられなかった紅麗様が、その瞬間だけは、見たこともないほど穏やかで、優しい表情を浮かべていた。
《【時間逆行】ッ!!》
刹那、俺とレダの存在が、この時間軸から完全に消失した。
「……あ」
取り残された空間で、ルルティエラが呆然と声を漏らす。女神は、俺たちを阻むべく対峙していた白蓮様を睨んで、そして、俺たちが先ほどまで存在していた空間へと視線を走らせた。
よし、“気づいてない”……。
「……ルルティエラ様。こちらにかまっている暇など、あるのですか? 彼らが向かったのは“いつともわからぬ遥か昔”。いくらあなたといえど、すぐに追わねば、彼らの行方は永遠に見つかることはない。それでも良いのですか?」
紅麗様が、勝利を確信したかのように静かにつぶやく。
「……帰ってきたら、決して、許さない」
女神が“俺”たちを睨みつけて言うと、その姿がすっと消えた。
長くこの物語にお付き合いいただいている皆様のおかげさまで、無事に、
「ダンジョンが現れて5年、15歳でダンジョンに挑むことにした。」
4巻が発売されることになります。
本当にありがとうございます。
発売は2月27日金曜日で、更新日ではないのですがこの日は発売記念で更新の予定です。
また良かったら読みに来てくださいね。





