第四百十六話 結界
《私がお前の中にいることを嫁に気づかれることになるが、それはいいのか?》
《隠せないのか?》
《私が力を使えばさすがに隠すことは不可能だ》
そんなことをレダが言ってきた。レダの力は俺たちの使う力とは裏と表の関係で、濃い瘴気をまとっている。そんなのさすがにごまかせるわけないか……。
《構わない。どの道ここで引き返したら、帰っても何もできないままだ。みんなを巻き込んでおいて、何もできないなら、自殺まがいの特攻でもして米崎やジャックに死んで詫びるしかない。それに弁財天なら理解してくれる》
《よほどのことがない限り神は悪神と敵対するものだぞ。共闘などまずしないものだ》
《いいからやってくれ》
《……》
《それより対価はいくらだ?》
《必要ない。お前に覚悟があるのなら、対価もなしに私の魔法を見せてやろう。お前の目の前で私がちゃんと力を使うのはこれが初めてだな》
俺の中に勝手にレダが作り上げた花園で、ピンク色の髪をした美女が漆黒の魔法陣を描き出した。黒い光が漏れ出すのを見ながら、俺は意識を自分の中に残したまま、同時に外へと向けた。
その瞬間、心臓が高鳴り、全身に緊張が走る。そして、球体型魔法陣として描き出された紋様が、俺の体の内側から、外に漏れ出てくる。魔法陣の中心から広がる黒い光は、生きているかのように脈動し、周囲に漏れ出た。
俺の体から漏れ出ているその光を、戸惑いの表情で見つめる弁財天。目には、俺が持つ力の本質が映し出されている。これはどう見ても俺が使ってるみたいだった。しかし、それにかまっている場合ではない。
迫り来る超高温という危機があり、俺はレダの力に頼るしかなかった。
《ゆ、祐太君。悪神……の気配がものすごくしているのだけど……え?》
《ごめん。隠していたことがある》
弁財天も俺を見ながら、これから何を言われるのかと身構えていた。よほど驚いたのか息を飲んでいる。自分の夫が実は悪神だった。そうとしか弁財天には思えないはずだ。
それでも弁財天なら事情を話せば絶対に敵対してこない。俺には自信があった。それぐらい信用していたんだ。
《ショックを受けるかもしれないが、詳しく説明している時間はないんだ。データをまとめて【意思疎通】で送るからすぐに目を通してくれ》
《な、何を……祐太君どうしてあなたはいつも私の知らないところで……》
《弁財天。送ったから早く見てくれ》
《も、もう。聞いてない! 私だって少しは怒るんですからね!》
そんなことを言いながらも弁財天は俺が送ったデータに目を通し始めた。その作業をしている間も俺は意思疎通と思考加速を行い、弁財天に言葉を伝えた。
《許してくれとは言わない。だが俺は必要なら悪神にでも力を借りるし、自分の中にだって住ませる。嫌ならこの場で引き返してくれ。俺一人で行く》
弁財天に送ったデータは、レダを自分の中に引き入れたこと、共生していること。こんな無茶なことをしたのは自分の運命を鑑みて、無茶であろうが何だろうが、いざという時の保険が必要な時が来る。
そう思ったことを俺の当時の感情も含めて伝えた。【意思疎通】のすごいところは言葉では伝えられるはずもない感情をそのまま相手に伝えることができるところだ。自分の見たもの感じたもの、全てが相手に伝わる。
一気に送られたデーターを弁財天なら1秒もかからずに理解していく。しゃべっているからといって赤い炎が吹き出ることをやめることはない。時間がなかった。弁財天が理解して判断するのにさらにもう1秒。
最初驚いて弁財天が俺の方を見てきた。
《正直ちょっと怒りたい気分だけど、実際のところレダ? がいなければ、この場所では話にならなかったことを思うと、是非はともかくあなたの行動は正しかったと納得するしか……》
《信じてた》
俺が笑顔になる。一方で球体型の魔法陣が黒く広がっていく。それは紅の炎の飲み込み、この炎に対抗している。俺にはそのように見えた。しかしレダは違うようだった。
《やはり私でも長くは持たないな。もう少しで完成する。完成したら急げよ六条。予測では完全に紅麗様近づくことは私でも無理だ。奥で燃え尽きて死にたくなければどうするか考えておけ》
俺の体の周囲に魔法陣が完成へと近づいていく。魔法陣は幾何学模様を描き、黒い光を帯び、鼓動のように光を明滅させ、弁財天をも飲み込んだ。
瞬間、
周囲からの赤い炎が完全に魔法陣の中に入ってこなくなる。それとともに、
《熱がやんだ……》
今までの高温が嘘のように、温度も一気に下がっていく。体が常に燃え上がっていたのが鎮火していく。赤い炎は黒い魔法陣に力を吸収されていくように見えた。
《紅麗様の炎を吸収して、そうすることでさらに魔法陣を強化している。小人神レガは器用で有名とは聞いたことあるけど……》
まだわだかまりがあるような顔をして弁財天はレダの前の名を言った。弁財天もレダを知らないわけじゃない。何しろ以前のクエスト相手だったのだから。その時もすでに一度協力してもらっているのだ。
《レダって有名なんだ》
俺はその話は持ち出さなかった。
《あのクエストの後、小人神については詳しく調べたのよ。交渉が趣味のような変わった悪神……祐太君。あなた代償はどうしたの?》
《弁財天。この空気は大丈夫?》
その言葉は聞かないふりをした。対価を何も払わなくてよかったと言っても信じないだろうし、自分も対価に協力すると言いかねない。何よりもレダが本当に対価を全く要求しないつもりだとしたらそれはそれで気味悪さは残る。
そしてこの魔法陣内の空間に問題もあった。
熱は魔法陣に吸収された。しかし同時に空気が濁った。レダと共生し、レダの瘴気に自分の魂を散々に慣れさせた俺は平気だが、弁財天の表情は苦しそうだった。黒い瘴気が球体の中に立ち込めている。
《大丈夫よ……》
額に汗が浮かび、胸を苦しそうに押さえ、呼吸が乱れている。唇が震え、周囲に立ち込める瘴気が、生き物のように弁財天を包み込んでいく。黒い光が渦巻く中で、肌が青白くなり、命の息吹が奪われていくようだ。
《弁財天。俺はレダのおかげで少しだけ魂には詳しい。とにかく肉体は諦めるんだ。肉体まで守ろうとしたら逆に全てがダメになる。魂だけを神気でしっかり瘴気から守るんだ。そうすればちゃんと神様でいられるから》
ルビー級を超えた今、死ぬだけならば生き返らせればいい。でも瘴気は神を堕ちさせることがたびたびある。そうなるとアイテムで戻すことができなくなる。
《……それしかないようね……》
《命のストックはある?》
《大丈夫よ。こんなところに来るのに何も生き返る方法を持ってこないわけないわ。ここで一旦私は死ぬけど、祐太君。私を運んでくれる?》
《それはもちろん運ぶけど、それより、俺が自分の体の一部を使って弁財天に一時的な体を渡すよ》
そう言うと鳳凰の右の翼を、羅刹を念動力で操り斬り離した。そして体を造り上げる。弁財天そっくりの体が出来上がった。そこに体が瘴気で蝕まれてきていた弁財天は、神気で厳重に魂を守り、俺の造り上げた体に避難した。
【火除けの神衣】やその他の装備品も移動してしまう。
《いけそうか?》
《ええ、なんとか瘴気の汚染は防げそう。すごいわね祐太君。この体、瘴気に馴染んでると言うべきかしら……》
弁財天は俺を呆れて見た。赤い炎はその勢いを増していく。さらに奥へと進んでいくと、これでもまだ熱が伝わってくる。はっきりと熱くなってきてる。
《レダ。どこまで持つ?》
《言った通り紅麗様の場所までは無理だ。私は炎属性でもないからな。それにお前たちこそしっかり耐えろよ。この【熱核吸収魔法陣】は周囲の温度が上がれば上がるほど瘴気も強くなっていく仕組みだ。私と完全に調和しているお前はともかく、お前の伴侶は悪神に堕ちかねん》
弁財天は奥へと急いで飛びながら、手を合わせて、胸の中心部で光り輝く気配を放ち始めた。レダの結界を邪魔しないように最小限に神気をまとわせる。なりたての神である弁財天の神気は、レダの瘴気に比べて弱い。
《大丈夫か?》
《大丈夫ではないわね。でも、これほど状況が揃ってそれでも紅麗様の元にたどり着けないなら、これから先にも可能性がないわ。意地でもやり遂げるしかないわ》
《ああ、何がなんでも成し遂げる》
そうは言ってもレダの瘴気は強烈だ。それが進むほど強くなった。球体内の全てが黒く見えるほどだ。弁財天の顔が土気色に変わってくる。俺の体から造ったボディでも、弁財天が宿った時点で、彼女の特性が強くなる。
徐々にボディが腐り始めていた。
《……》
弁財天は何も声を上げなかった。ただとにかく集中して神気を切らさないように気をつけていた。俺もレダに本気でその力を当てられたことは一度もなく、気分が悪くなってくる。周囲の炎もどんどん強くなってきた。
レダの方も魔法陣を保つのが難しくなっているのか、魔法陣の中に炎が強烈に入り込んでくる。
《……》《……》《……》
3人ともがそれぞれのことに手いっぱいになり黙り込んだ。目の前はあれほど広がった穴の空間がなくなり、真紅の世界になっていた。完全に炎に包まれた。でも紅麗様の気配が近づいていた。入口から比べると後1割もない。
でもそこからさらに奥に進もうとした時、これだけしてもまだ肌が焼け焦げてくる。再び俺の翼に火がついた。
《ううむ。六条。ここが限界点だ。私でもこれ以上進めば燃え尽きる》
レダが今の状況でも苦しそうに口にした。目の前は完全に真紅に染まり、道など、どこにもない。煮えたぎる熱の塊が目の前を塞ぐ。
紅麗様の自分の力を抑えようとする意思のようなものは感じるが、それでもダンジョンの赤と炎、熱に関わるほぼ全ての現象に影響を及ぼす紅麗様という存在は、本当に近づけない存在のようだ。
《紅麗様。聞こえますか?》
俺は本当にあと少しだと感じて全力で【意思疎通】を紅麗様に放った。赤いエネルギーに遮断されて紅麗様まで届かないのではと心配された。1度目は実際に返事はなかった。
《私も手伝おう。紅麗様を直接見るなど二度と機会があるまいて》
本来ならレダが直接やるのが一番いい。しかし呼ばれているのは俺だ。だから俺に力を貸してくれた。悪神の力に当てられてますます気分が悪くなる。それでも信じられないほどのエネルギーが体の中に満ち溢れる。
《私も協力するわ》
一瞬でも気を抜けば体が腐りそうなのに、弁財天も俺の【意思疎通】を手伝ってくれた。俺はしっかりと2人の伝える力を【意思疎通】に集中させた。気合いを入れて思いを伝えようと【意思疎通】をはなった。
【意思疎通】のためだけに、大地が壊れるほどの力を込めた。
《紅麗様!!! 六条祐太! 本当に近くまで来たのです!!! どうか返事をください!!!》
《《《……》》》
全員黙って様子を見守った。その間も【意思疎通】をレダと弁財天の力を借りて強烈に送り続ける。1分ぐらいはやり続けたと思う。レダが造ってくれた魔法陣が赤い炎に蝕まれてくる。
《レダ! 耐えろ!》
《話しかけるな!》
そうは言われるが、今ここで魔法陣が解けたらその瞬間に即死だ。
《紅麗様! 紅麗様!》
俺は焦った。弁財天が限界どころかそれを超えようとしていた。瘴気で俺が造った仮のボディが完全に黒く染まっている。このまま行くと悪神になってしまう。それ以前にここで死ぬ。そう思った。
「……聞こ………………聞こえ……」
声がした。それは【意思疎通】ではない確かに声だった。
「……聞こえるよ……よくここまで来れた。さすが私に恋の知らせを届けた男……一度でも良いから触れ合いたいものだが……それ以上は近づかない方がいい……。大丈夫……場所は分かってる……もう少し下がっても良い……」
はっきりと声として空気が震えた。紅麗様のその言葉を受けて俺たちはすぐに来た道を戻り始めた。もう限界に近かったのだ。
「すまぬな。さぞ近づきにくかったことだろう。ここでの私の火が消えると、世界から熱がなくなってしまう。あまり極端に抑え込むわけにはいかんのだ」
「あの、声で聞こえますか?」
「大丈夫だよ。喋ってくれれば聞こえる」
「よかった」
心底胸をなで下ろす。紅麗様が完全に俺たちを捉えてくれたのだろう。普通に横にいて喋っているような状態にまでなった。
「あの、紅麗様。俺これ以上近づけないというか離れるしかないんですけど、この状態で大丈夫ですか?」
離れないと力が尽き始めてきていたから俺たちは本気で引き返していた。後ちょっとあの場にいるだけで最初に弁財天が悪神へ堕ち、その後全員燃え死ぬという最悪の事態が起きそうだった。
「その状態で良い。まず、私の声が直接聞こえるところまで来た褒美に、これだけは渡しておこう」
紅麗様はそう言うとレダの球体の魔法陣の中にかなり大きな黄金色の卵を出現させた。黄金色の卵は成人の男性が中に入れるほど大きく、その周りにはレダとは違う白い光を帯びた魔法陣が展開されていた。
白い魔法陣を見るとなんとなく理解できた。この魔法陣はこの状況下でも、完全に紅麗様の熱を塞いでいるようだ。だから黄金色の卵はこの状況下で存在することができたようだ。
「見事な完全結界……さすがルルティエラ様……」
レダがそんなことを言った。となるとやはりこの黄金色の卵がルルティエラが、紅麗様のところに置いて行き、神の争奪戦の最中、唯一誰の手にも入らなかった……。
「最初私のところにルルティエラがその卵を持ってきた時。何のつもりか理解できなかったが、あるいはこうなることを期待していたか。六条、お前がその魔法陣に最初に触れなさい」
「その前にこれは何ですか? ちゃんとお聞きしたいのです」
「ルルティエラの結界とお前が求めていた【黄泉孵りの卵】だよ。ルルティエラこそ力が強すぎて誰にも近づけんからな。そういう対策はルルティエラが一番得意だ。いいから早く触りなさい」
「……」
俺はルルティエラの結界などと聞くと警戒しながらも恐る恐る触れた。そうすると白い魔法陣の幾何学模様が黄金色の卵と分割して俺の方にも流れてくる。
「少し私の方でいじった。ルルティエラ様もそれを考えていたのだろう。ある程度近づけばそれはお前様の周りにも結界を張るようになっている。どうだ?」
「えっと……」
俺は自分の体の調子を確かめた。そうすると今までの熱も、レダの本気による耐えきれないほどの瘴気もなくなり普通に過ごしやすい空間の中にいる気分だった。俺の体には白い魔法陣の紋様が刺青のように浮かんだ。
「良かった祐太君っ……でも、これはまずいかも……」
弁財天の苦しみの表情は変わらないままだった。
「弁財天! レダ、もういい瘴気を切ってくれ」
「今完全に切れば全員で燃え尽きるぞ。できる限り瘴気は抑えてある」
レダがそういうと嘘ではないようだった。となれば他に倒れるものは1人だ。
「あ、あの!紅麗様!」
「なんだい?」
「図々しくて申し訳ないのですが、どうか助けていただけないでしょうか!?」
「お前の伴侶……ふむ、悪神になりかけてるね。しっかりしなさい。お前は悪神には向いていない」
紅麗様がつぶやき、
【神のままであれ】
紅麗様がそう口にするとそれ自体が力を持っているのだろう。弁財天の体の瘴気が消えていく。そして俺の造り上げた仮初めボディが元のように綺麗に現れてくる。
「……紅麗様?」
弁財天が急に正気に戻って顔を上げた。
「あまり誰かを助けるということはせんのだがな。瘴気は燃やして消したよ。もう大丈夫だね?」
弁財天が自分の体を確かめて、黒い部分がなくなっているのを見る。小麦色とかではなく完全に漆黒に近い色になりかけていた。それがなくなっていた。
「いけそうです」
「うん。よかっったね。私としては神でも悪神でもどちらでも良いけどね。望まぬものが悪神なるべきではない。それと、ルルティエラの結界は1人分しか造れなかった。だからお前はもうここに居続けない方がいいよ。私が帰してあげるから、卵を持って先に帰りなさい」
「私だけですか?」
「私だけだよ。送るのは日輪の外だ。けど、決して日輪の近くでいるんじゃないよ。赤に言っておくから先に帰るんだ」
「……私も紅麗様に近づくことは無理でしょうか?」
「無理だ」
弁財天は残念そうに俺を見てお互い頷きあった。意地を張ってここで居続けることが、死ぬだけの結果に終わる。この環境での無理は何の意味もないとお互い嫌というほどわかっていた。
「紅麗様。ご迷惑をお掛けしますが、ではお願いしてもいいでしょうか?」
「物分かりが良くてよろしい。では、行きなさい」
すうっとゆっくり弁財天の姿が消えた。黄金の卵。【黄泉孵りの卵】も弁財天と共に姿を消す。見届けて安堵の息をついた。これでここに来た意味は0ではなくなった。最低限のセラスへの対抗手段を手に入れたんだ。
でも俺の用事はまだ終わってなかった。紅麗様に“俺”について聞きたい。俺は俺を知りたい。普通の男子のはずなのにそうではないのか?
「では六条。こっちにおいで」
その声とともに俺の姿もその場からゆっくりと消えていく。レダの黒い結界はいつの間にか消えて、俺の中にいるのが感じられた。そして俺は本当の本体である巨大な紅麗様の目の前にいた。





