八話
約束の十三時になり、私は陽向くんと一緒にフードコートに向かった。近くまで行くと、ベンチに腰掛けた残りの三人の姿が見える。凛香ちゃんは小さな袋を二つ。悦美に至ってはスポーツショップからブランドショップの袋まで、ありとあらゆる店の袋を五個ぐらい並べていた。雄大くんが一人ぐったりしているのがなんだか新鮮だった。
お待たせ、と声をかけると、凛香ちゃんがパッと笑顔になって駆け寄ってきた。
「おねえちゃん! 待ってたんだよ。あれ? その服どうしたの?」
「あー……。噴水のそばにいったら濡れちゃって。ね、陽向くん」
適当に言い訳して陽向くんを見ると、陽向くんは明後日の方を向いている。
悦美の目が鋭く光った。そのまま私の腕を引っ張って、ほかのメンバーに聞こえないようにささやいてきた。
「あらぁ、お二人してお着替えなんて、仲がよろしいこと」
「そ、そう?」
「ふふふ、陽向くんも奥手そうに見えて結構やるじゃない」
「へ?」
「へ、じゃないわよ。告られたんでしょ?」
「こ……っ!?」
思わず声をあげかけた私を遮ったのは、いつの間にか近くに寄ってきていた凛香ちゃんだった。
「えーっ、お兄ちゃんが!?」
「り、凛香ちゃん!」
「ウソだ、ウソ! 絶対ない! お兄ちゃんに限ってそれはない。あのバカがつくぐらい鈍感で不器用でヘタレな兄貴に限って、それだけはない!!」
あまりに大きな声を出すものだから、陽向くんがうしろで妙な顔をしていた。
「おい凛香。俺がなんだってんだよ?」
「うっさいバカ兄貴! 私はまだおねえちゃんを渡すつもりはないんだからねっ」
「はあ?」
わけがわからない様子で、陽向くんはあきれたような声を出す。私は慌あわてて凛香ちゃんの口を押さえて、悦美との輪に再び引っ張り込んだ。
「凛香ちゃん、違うから。悦美の勘違いだってば」
悦美がきょとんとした。
「え、違うの?」
「違うよ! なんでいきなり告白なんて出てくんのよ」
「あのねえ。年ごろの男女が人前でお手て繋いで現れたら、そう考えるのが当然でしょ。なーんだ、違ったのか。つまんないの」
悦美は一気に興味を失ったように背を向けると、さっさと昼食を選びにいってしまう。
「あっ、悦ちゃん俺もー」
雄大くんが忠犬よろしくあとを追っていく。ていうか、荷物持ってくのね。置いていけばいいのに。
取り残された私と凛香ちゃんを、陽向くんが振り返ってたずねてきた。
「おまえらはなに食べんの?」
「あっ、私ハンバーガー! お兄ちゃんおごって」
「自分で買え」
可愛い妹のおねだりをバッサリ切り捨ててしまう。凛香ちゃんが口を尖らせようがなんだろうがお構いなしだった。
「ケチ」
「自分で勝手についてきたんだから、それぐらい当たり前だろ」
「でも新しいペンケース買ったら、お金なくなっちゃった」
凛香ちゃんは眉をさげてしょんぼりしている。
「帰りの電車賃しか、あとは残ってない」
「なんであと先考えず使うんだよ」
「だ、だって……」
イラつき気味の陽向くんの声に、凛香ちゃんは半泣きだ。うん、今の陽向くんの顔は、確かにコワい。
兄妹ゲンカがはじまりそうな雰囲気に、私は割って入った。
「陽向くん、そんな怒らなくてもいいじゃん。凛香ちゃん。私とハンバーガー半分こしよ。ね?」
「おねえちゃん……」
凛香ちゃんは目を潤ませたまま、私を見上げてくる。陽向くんの妹とは思えない愛らしさだった。このぐらいの愛嬌を、陽向くんも持つべきだと思う。
陽向くんは面白くなさそうにそっぽを向いた。
「わかったよ、買うよ。その代わり、来月の小遣い入ったら返せよ」
「うわ、陽向くんせこーい」
「紫央、おまえも甘やかすなよ」
陽向くんが横目でじとっと見てくるから、私は肩をすくめた。
「せっかくみんなで楽しむために来たんだもん。これぐらいのことでケンカしないでほしいじゃない」
そういうと、陽向くんは返す言葉がなかったのかぐっと押し黙る。その隙に、私は凛香ちゃんの手を引いてハンバーガーショップに向かった。
それぞれが好きなものを注文し、少し大きめのテーブルに座って食べた。こうして大勢で食べるのってなんだか新鮮だな。学校とはまた雰囲気が全然違うし。
おなかがいっぱいになったところで、雄大くんが陽向くんを連れ立って、近くの駄菓子屋に入っていった。陽向くんは迷惑そうなそぶりをしつつも楽しそうだった。その様子にちょっとだけムッとしてしまう。
女子だけになったところで、再び悦美が口を開く。
「それで、紫央」
「な、なに?」
「やつとはどこまでいった」
「……は?」
悦美がきらりと目を光らせた。
「せっかく二人きりでショッピングさせてやったんだから、なにもないとはいわせないわよ。さあ、吐きなさい」
「ちょ、ちょっと待ってよ、やっぱりわざとだったの!?」
「重要なのはそこじゃない。さっきだって手繋いで仲良さげに現れてたくせに。今さら純情ぶっても遅いのよ」
「だ、だって手を繋ぐのなんて、いつもやってるし……」
「ちっ、リア充が」
怖い顔で舌打ちをする悦美に、私は仕返しとばかりにたずねた。
「そういう悦美は?」
「ん?」
「雄大くん! 最近仲いいみたいじゃない。悦ちゃんなんて呼ばれて」
「ゆーだい~?」
途端に悦美は口元をゆがませた。
「論外論外。私、バカは恋愛対象外だし」
「あんなに仲いいのに?」
「それは、あいつが私と出身小学校が同じだったから。学年は違くても、家が近いから集団下校の班が同じだった。だからお互い顔ぐらいは知ってる」
はじめて聞かされた意外な接点に、私と凛香ちゃんはそろって瞠目する。
「えっ、そうだったの?」
「そうよ。だから雄大はさしずめ……そうね、犬ってとこかしら」
「……犬……」
あんまりな言い草だと思うが、一瞬ぴったりだと感じてしまった。
「だから、私と雄大はただの幼馴染み。それに私、大学生の彼氏いるし」
「ウソ! 初耳!」
「いってないもの。ってか私のことはどうだっていいのよ。あんたたちのことを聞かせなさい」
せっかく話題をそらせたと思ったのに……。むぅっとしても、悦美は涼しい顔。大人な彼女をあわてさせるには、私は少々修行が足りないらしい。
凛香ちゃんはまだ幼さの残る顔に、いっぱいの好奇心をのぞかせていた。
「紫央おねえちゃん、お兄ちゃんと付き合うの? ガチで?」
「ま、まだそんなの決まってないよ」
「そうなの? なんだ」
どこか残念そうにつぶやく凛香ちゃんに、悦美は不思議そうにいった。
「なによ、さっきまで紫央はお兄ちゃんに渡さないとかいってたくせに」
「そりゃ、すぐは悔しいよ。でも……」
凛香ちゃんはポッと頬を赤らめた。
「いつか本当にお姉ちゃんができるなら、紫央おねえちゃんがいいなって」
曇りを知らない、純粋な言葉。凛香ちゃんは本当にそう望んでくれているようで、胸がきゅっと締めつけられた。
悦美がテーブルを指でコツコツと叩いた。
「そもそもね、あんたたちそんないちゃラブしてて、まだ付き合ってないって方がありえないから。無自覚リア充が一番迷惑なんだよ。意識せずラブオーラ撒き散らして」
「い、いや、そんなつもりは……」
「だから無自覚なんでしょ。見ててこっちがイライラしてくる。陽向くんも陽向くんよ。男ならビシッといってやりゃあいいのに。お互い好きなのはまるわかりなんだからさ」
そう、なのかな。悦美がきっぱりいい切るから、少し期待をしてしまう。でも私は、自分でもぎこちないと感じる笑みを浮かべて、首を振るしかない。
「いいよ、悦美。私はそういうのは望んでないし。今こうして、陽向くんやみんなと遊べて、それで十分楽しいんだもん」
「紫央……」
「それに私、陽向くんに気をつかわせたくないから。知っちゃったらきっと、すごく心配して今以上に迷惑かけちゃうし……」
そこまでいって、私ははっと口をつぐんだ。凛香ちゃんがいることを忘れて、つい余計なことまで口走ってしまった。悦美が眉を寄せて目を伏せるのとは対照的に、凛香ちゃんはきょとんと目を丸くしている。よかった。なにかを察したようには見えない。
悦美は私が言葉を切った理由を感じたらしい。ちらりと駄菓子屋に目をむけながらいった。
「雄大たち遅いわねえ。ねえ妹ちゃん。呼び戻してきてよ」
「えっ、私が?」
「妹ちゃんがいけば、あいつらもそうのんびりしてられないでしょ」
「えー……わかった」
凛香ちゃんは仕方なさそうに立ち上がると、駄菓子屋に小走りで向かった。顔とは裏腹に、ちょっと楽しそうだ。悦美がその様子を見て、ふうっと大人っぽいため息をつく。
「あの様子だったら、あと十分は戻ってこないでしょ」
「悦美ってば、わざと凛香ちゃんを追い出したの?」
「だってそうでもしなけりゃ、紫央と腹を割って話せない」
悦美はそういうと、真顔でこちらを見つめてきた。
「ねえ紫央。私は今まで、何人もあんたと同じような人を見てきた。あんたよりももっと辛い状況にいる人も。その中には人並みに結婚して、家庭を築いている人もたくさんいる」
「……うん」
「もちろん、相手の人も苦労してるよ。でも苦労なんて、人生に付きものじゃない。あんただって、今は普通の生活をしているし、これからもそうできる可能性はいくらだってある。あんたは幸せになれる」
悦美は真剣な表情で私に説いてくる。彼女のいっていることは至極真っ当で、心を揺さぶられる。
幸せになりたい。普通でいたい。そんな当たり前の願いを、私は毎日のように神様に祈っている。叶わないって、わかっているから。
「紫央、私はあんたのことが好きだよ。友だちとしてあんたには幸せになってほしいって、心から思ってる。だからそんな……あきらめたような顔はしないでよ」
私、そんな顔してるんだ。いわれてはじめて気づく。私は最初から、全部あきらめていた。恋をするのも、それを成就させるのも、幸せに、普通に生きることも。
今日だってそう。ここへ来たのも、みんなと遊んだのも、陽向くんに服を選んでもらったり、自分がそうしたりしたのも……。全部全部、思い出作り。
ずっとは一緒にいられないから。だからせめて、少しでもみんなの……陽向くんの記憶に、残りたくて。だからあんなことをした。だからあんなことをいった。ほんのちょっとだけでも、楽しい思い出を作りたかった。
沈んだ気分がまた表情に出ていたのか、悦美ももうなにもいわなかった。ただいたわるような視線だけが注がれる。
沈黙がおとずれてすぐ、凛香ちゃんがあの二人を連れて戻ってきた。二人はともかく、凛香ちゃんまでちゃっかり駄菓子屋の袋をぶらさげている。また陽向くんにねだったんだろうか。
雄大くんが袋を振り回すようにしてこちらに手を振った。
「悦ちゃん、お待ちどー」
「振るな雄大。周りに迷惑」
悦美は面倒くさそうにいいながら立ちあがった。
「見るとこないなら帰る? 電車の時間とかもあるから、帰るなら早く決めないと」
すると凛香ちゃんが手を挙げていった。
「紫央おねえちゃん、来る時クレープ屋いきたいっていってたよ。まだいってないんでしょ?」
「それじゃあ今からいく? 食後のデザートに」
いいながら、悦美は私を見てわずかに微笑んだ。彼女なりに気をつかってくれているらしい。確かに、大好きな甘いものを食べれば、少しは気分が晴れるかもしれない。
私は笑ってうなずいた。
「うん、私も食べたい」
陽向くんは、空いたイスに置いていた私と凛香ちゃんの荷物を手に取った。
雄大くんと悦美が先頭に立って歩き出した。雄大くんはなにもいわれずとも、悦美の荷物を全部持たされている。完全に悦美の犬だ。
「んじゃいこうか。クレープ屋ってどっちだっけ」
「フードコート出て左」
「こっちか」
「バカ、そっちは右」
空いていた陽向くんの左手が、私の手をごく自然にとった。そのまま指と指を絡めるようにしてぎゅっと握られる。いつもとは違う、いわゆる恋人繋ぎ。指同士が一層くっつきあって、いつもよりもドキドキした。
私の手を握ったまま、陽向くんはゆっくり歩きだした。今日はうれしいことがありすぎて、頭がショートしてしまいそう。その中でも、今この瞬間は一番にうれしい。陽向くんが私のことを、女の子として扱ってくれてるって感じがする。
ゆっくり進んでいたせいか、いつの間にか悦美も凛香ちゃんも、ずいぶん先にいってしまった。もう姿も見えない。それでも早くいこうといえないのは、きっとみんなに見られたら、この繋がりをほどかれてしまうってわかってるから。臆病でわがままな私は、自分勝手な理由でより一層歩を遅らせる。
「あのさ」
ふいに陽向くんが口を開いた。少し声がうわずっている。
「今日、楽しかったか?」
「う、うん。楽しかったよ」
つられるように、私も声が裏返る。二人して緊張しているのがまるわかりだった。
陽向くんはどうにか会話を繋げようと、一所懸命に言葉を紡いでいた。
「俺もさ、最初はその、色々あったけど、楽しかった」
「そっか」
「久々に遊んだし、凛香も楽しそうだったし」
陽向くんの話は歯切れが悪く、まるでなにかほかにいいたいことがあるのに、切り出し方がわからないかのようだった。
「陽向くん」
思わず声が出てしまう。
「なにかいいたいこと、あるの?」
陽向くんの足が止まった。それに合わせて、一歩先で私も止まる。振り返ると、陽向くんがじっと私を見つめていた。その瞳になにか熱いものを感じて、心臓がどくりと音を立てる。繋がれた手からも、陽向くんの高い体温を感じた。
目をそらさなきゃ。そう思った。目をそらして、前にいる三人とすぐ合流しないと。
だって陽向くんの真剣な顔、なにをいわれるかなんてすぐわかる。でも私はそれを聞いちゃいけない。聞く前に、逃げなきゃ。
だけど私の意思に反して、身体はまったく動かない。陽向くんの視線に絡めとられて、身じろぐこともできない。
頭ではダメだってわかっていても、心は陽向くんのその言葉を欲していた。
自分の心の声と葛藤しているうちに、陽向くんは口を開いた。そこから、私がなによりも欲していて、同時になによりも恐れていた一言が発せられた。
「紫央のことが好きなんだ」




