第7話 魔獣二十頭、町へは一頭も通さない
噛みつく寸前の狼を、後ろ脚から引き戻した。
子供の顔へ届くまで、あと少しだった。ここは、間に合ってよかったと考える前に、もう一度引いておく。
娘の顔から顎を引き離し、荷馬車の外へ引きずり出す。剣を抜くより、二人との距離を作るほうが先だった。
振り向いた牙を避け、街道の外へ投げた。狼が木立へ叩きつけられ、幹と一緒に倒れる。
荷車の下から、男が娘を抱いて這い出してきた。
「門まで走れるか」
男は何度もうなずいた。
俺は二人を背にした。門の上の松明が照らす街道に、次の狼が見えた。後ろからは、鱗に覆われた熊も来る。
狼だけを追って、ここを空けるわけにはいかなかった。
◆
「『角狼』は、今倒した一頭を含めて十八! 『鱗熊』が二頭!」
門の上へ上がったローズの声がした。
「狼の先頭を散らせ! 群れで同じ獲物に寄る。人に向ければ、一気に押されるぞ!」
リゼは門の内側にいた。
通りへ出てきた商人たちを呼び止め、空の荷車を端へ寄せさせている。
こちらへ逃げてくる人と、様子を見に出る人の流れを分けていた。
「運べる人は、門から離れた井戸の前へ! 怪我人はそちらで受けて。灯りを持ってくる人もお願い!」
宿の主人まで、毛布を抱えて走ってきた。
ガルドは冒険者を集め、左右の壁際を守らせた。俺が追い返した獣が、別の入口へ回らないための配置だった。
町が、俺の後ろで動いていた。
俺は剣の柄を握った。
ガルドへ、左の畑道を指した。家畜を積んだ荷車が、まだ一台だけそこに残っていた。
「そっちを頼む。獣は、俺の前へ集める」
ガルドはすぐに二人を回した。
門番が長い棒を持ち、道を塞いでいた木箱を横へ押した。転んだ子を、後ろの大人が抱き上げる。
俺が見ている間にも、一人、また一人と、危ない場所から抜けていった。
あと何人いるのかを、一人で数えなくてよかった。
ローズが上から全体を見て、リゼが戻った者を受け取り、ガルドが残る道へ人を出している。
俺は、目の前の敵を倒すことに集中できた。
「二十頭なら、数え切れるな」
狼の群れが、こちらへ顔をそろえた。
血と餌の匂いを追ってきた眼が、目の前に残った一人へ集まった。
◆
次の狼の角を避け、横から首へ刃を入れた。
倒れる身体を蹴り戻し、後続の二頭を止める。その間に右へ回り、荷車の影へ入ろうとする狼の前へ出た。
五頭が、同時に跳んだ。
高さが違う。狙う場所も、足、腕、喉と分かれている。
俺は低い一頭の角を踏み、背を足場にした。
空中で向きを変え、剣を走らせた。
着地したときには、残る四頭も地面へ落ちていた。
倒した一頭を越えて、次が来る。
逃げる者の後ろへ回らせないよう、俺は門を背にした。
横へ散った一頭の鼻を蹴り戻す。追えば倒せる。だが、そのあいだに別の一頭を通すわけにはいかなかった。
「右だ、熊が回る!」
ローズの声がした。
『鱗熊』は狼を押しのけ、畑の低い塀を越えようとしていた。俺が狼を追う間に、門の脇へ入るつもりだったらしい。
塀にかかった前脚を、下から蹴り上げた。
熊が立ち上がり、腹の隙間が開いた。
剣を突き入れ、引き抜く。倒れる先から退くと、地面を叩く音がした。
もう一頭が、俺へ向かってきた。
牙を避け、肩へ手をつく。その勢いを利用して背へ回り、首の後ろへ刃を落とした。
鱗は硬かった。
だが、竜の鎧ほどではなかった。
……やっと、こっちを見るようになったか。
狼たちの動きが止まった。
大きな二頭が倒れたことで、こちらを見る眼が変わっていた。腹を満たす相手ではなく、逃げるべき相手を見ていた。
それでも、一頭が門へ走った。
そこには、脚をくじいた老人がいた。
俺は狼より先に、その間へ入った。
剣を短く持ち直し、横から振るう。
老人へ届くはずだった爪は、二歩手前で止まった。
「……あと、何頭だ」
「六頭! 残らず汝の前だ!」
ローズの声が答えた。
俺はゆっくり息を吐いた。
残りの六頭が、人のいない畑へ下がっていく。
「街道に残っていた者は、全員門の内だ!」
ローズの声を聞いてから、俺は畑へ踏み出した。もう人を追わせずに、そこで止められる。
「逃げる方向は、それでいい」
最後の一頭が倒れたとき、東の空が白み始めていた。
◆
門の上から、歓声が落ちてきた。
誰かが盾を叩き、別の誰かが、それにつられて声を上げた。ガルドが俺の肩をつかみ、何かを言おうとして、結局、強く叩いただけで済ませた。
門の内側へ、魔獣は一頭も入っていなかった。外に残っていた人たちも、全員戻っていた。
門番が扉から手を離した。いつの間にか、俺の名前を呼ぶ声が増えている。
返事をしていたら別の場所からも呼ばれ、どちらへ向けばいいのかわからなくなった。手を上げたままにすると、リゼがそれでいいと頷いてくれた。
なるほど、こうすれば一度に返せるのか。次から覚えておこう。
さっきの老人が、俺の前で帽子を取った。
「畑が……」
「それはすまない」
「違う。畑なら、また耕せる。あんた、うちの孫まで連れ戻してくれたんだろう」
荷車から助けた娘が、父親の後ろからこちらを見ていた。
俺も手を上げると、娘は父親の後ろへ隠れた。少しだけ顔を出し、もう一度振ってくれた。
リゼが、小走りに来た。
「怪我は」
「ない」
彼女は俺の手を一度確かめ、ようやく帳面を開いた。書き始める前に、眼鏡を掛け直している。
ローズが、階段を降りてきた。
「二十頭、数えた。我の声がなければ、熊を一頭見逃したであろう」
「助かった。後ろを見ずに済んだ」
ローズは、もっと言えという顔で胸を張った。
だが、俺はもう礼を言い終えている。次に何を言えばいいか考えていると、先に咳払いをされた。
その肩へ毛布をかけると、少し驚いた顔をした。
「……これは、汝の分ではないのか」
「こっちは動いてた。そっちは寒かっただろう」
ローズは毛布へくるまり、そのまま隣へ来た。
「我の声は、どのくらい聞こえた」
「よく通った。門の向こうの馬まで、振り向いていた」
「馬の感想は求めておらぬ」
……そうなのか。聞こえた範囲を尋ねたんだと思った。リゼが帳面で口を隠し、ローズは毛布の端を引き直した。
門の内側で、カイルが湯の入った桶を運んでいた。
保護所の大人に付き添われ、座っている怪我人へ布を配っている。
俺に気づくと、手を振りかけて、桶が重かったのか慌てて持ち直した。
「あの子、じっと待つのは嫌だって」
リゼが言った。
「門からは出ないこと。重いものは二人で持つこと。そこまで約束して、手伝ってもらったの」
カイルは隣の男に声をかけ、二人で桶を運び始めた。
俺は、そちらへ手を上げた。
カイルは、俺へ振ろうとした手で桶を落としかけた。隣の大人に支えてもらい、照れたように頭を下げている。
俺はもう一度手を上げるのをやめた。返事は、桶を置いてからでいい。
桶を置いたカイルが、こちらへ手を振った。俺も返した。
◆
魔獣の後を追ってきた輸送馬車は、門の手前で冒険者たちに止められていた。
御者台の下に、空の獣檻の鍵があった。車体には伯爵家の支給印。昨夜の受領票と、同じ番号が刻まれている。
リゼは、勝手に一人で調べ始めなかった。衛兵を呼び、三人で封を確かめてから、書類箱を開けさせた。
「北の採石場、昨日の積み出し。餌に使った鉄屑の欄もある」
ローズが小さく息をのんだ。
竜のそばで拾った黒い粒を、リゼはまだ持っていた。
「『岩鎧竜』も、ここで飼っていた可能性があるわ。これだけでは決められないけど、調べる場所は同じ」
御者は、膝をついていた。
ガルドが書類を目の前へ置くと、首を横に振った。
「俺たちは、檻を運んだだけだ。焼く前に空にしろって言われて……門まで追い立てれば、あとは冒険者が片づけるって」
「誰の指示だ」
御者の視線が、丘の上へ向いた。
朝日に照らされた屋敷で、伯爵家の旗が翻っていた。
「帳簿も、あそこへ運んだ。雇ってた運搬人も、四人……口外させるなって、まだ地下に」
ガルドが副官へ顔を向け、声を落として命じると、冒険者たちが動き始めた。門の守りを残し、衛兵と一緒に隊を分けていた。
竜、油の矢、今度は二十頭。
伯爵は、断られるたびに荷物を増やすらしい。次に何を送られるのか待つより、こちらから行ったほうが早い。俺は丘へ続く道を見た。
ローズが隣へ来た。リゼも、鞄の留め金を確かめた。
「行くのね」
「待っていたら、また誰かが襲われる」
俺は剣の血を拭い、鞘へ戻した。
守った町の向こうで、朝の店が一つずつ戸を開けていく。その音を背に、丘へ踏み出した。
「今度は、俺から行く」
屋敷の煙突から、黒い煙が上がった。
焼く前に空にしろ。御者の言葉が頭へ残っている。俺は足を速めた。地下の四人も、帳簿も、まだそこにある。




