第6話 勇者封じの精鋭? それで全員か
第6話です。ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
引いた椅子の脇へ入り、飛び込んできた矢をつかんだ。
先に陶器の筒がついている。中身は油。
床へ落として割れば、火皿の明かりが宿へ燃え移る位置だった。
「……今度は、何だ」
ローズが床から顔を上げた。
俺は矢を見せた。彼女は口を開き、閉じ、縫い終えた袖へ目をやる。
「服の直し賃を請求しただけで、宿ごと焼くか。取り立てられたくないにも程がある」
「帳面のほうかもしれないわよ」
リゼは既に、火皿を消していた。
俺は油の筒を布で包み、廊下へ出た。向かいの屋根に二人。裏庭に四人。正面にも、鎧の鳴る音がする。
どうやら、伯爵の返事は早いらしい。
もう少し、普通の用紙で返してくれればいいんだが。
「客を表へ出してくれ。裏の連中は、俺が止める」
「了解。請求の話は、終わってからね」
リゼが主人を呼び、ローズが台所へ走った。俺は窓から降りた。
泊まった宿がなくなると、今夜の寝床をまた探すことになる。
今は、そういう相談をしている場合ではなかった。
◆
裏庭へ降りると、鎧を着た男が四人、左右へ散った。
膝を覆う盾。柄の長い鉤。盾と胸当てには、白く濁った石がはめられている。
表から回ってきた六人が加わり、庭には十人。屋根に残る射手二人と合わせて、十二人だった。
「投降しろ」
兜に赤い房をつけた隊長が言った。
「伯爵家に刃向かった者として拘束する。抵抗すれば、お前の連れも巻き込まれるぞ」
「先に巻き込もうとしたのは、お前たちだろう」
俺は布に包まれた油の筒を、壁際の石の上へそっと置いた。
隊長はそれを見て、口元をわずかに曲げた。
「お前が竜を倒した手並みは聞いた。速い。怪力もある。だが、どんな勇者でも魔法を封じれば同じだ」
男が合図すると、盾に埋め込まれた白い石が光った。
周囲の空気が、重くなった気がした。鞘へ指を添えても、普段より剣先に意識が集まりにくい。
見えない霧に、感覚の端を包まれたようだった。
「鎮魔石よ!」
二階の廊下から、リゼの声が飛んできた。
「魔術師を捕縛するときに使うもの。術を外へ組み上げるのを妨げるわ。石の形と台座が、軍用の図録と同じ!」
ローズが、宿の裏口から顔を出した。
「我にも感じる。術を紡ぐなら、その領域の外へ出よ」
隊長が、二人のいるほうを見た。
その視線を追って、部下が鉤を持ち上げる。
俺は、男の前へ入った。
「そっちを見るな」
鉤を握って、柄を引いた。
男の足が浮く。盾を持つ仲間にぶつかる前に襟をつかみ、地面へ下ろした。
膝をついた相手の武器を取ると、別の二人が同時に踏み込んできた。
左右の盾を、外から押さえた。
力を入れると、盾が触れ合った。間にいた男たちの肩がぶつかり、悲鳴が上がる。
俺は二人の足を払い、最初の男の隣へ転がした。
「……なぜだ」
隊長が、石を見た。
光は消えていない。仕掛けは動いていた。
「止まってるぞ。今、術は使えない」
「なら、何故動ける!」
「まだ歩いて、押してるだけだ」
ドルンの杖の登録を切ったときの術は、確かに使えない。だが、男の足は普通に浮くし、盾も傾く。
……何故そこで止まると思ったんだろうか。剣を振るう前に、押せる場所がいくつもある。
借りた鉤を手の中で持ち替え、刃のついていない柄のほうを前へ向けた。
◆
裏口が、内側から閉まった。
リゼは宿の客を表の階段へ誘導していた。ローズは主人と一緒に、台所の火を落としている。
敵が客を脅しに使う前に、二人が宿の中を動かしていた。
「こちらは我が守る。汝は目の前の敵を退けよ!」
ローズの声が、閉じた扉越しに届いた。
俺は短く返事をした。
背後へ気を回す必要が減る。そのぶん、踏み込む場所が増えた。
屋根の上から、矢が来た。
空いた手で矢をつかみ、持っていた鉤を射手の弩へ投げた。木が割れる音がした。
もう一人が矢をつがえようとしたので、地面の小石を拾い、手元の弦へ当てた。弩が跳ね、射手は腹ばいになった。
俺は落ちていた鉤をもう一本取った。
「盾列、詰めろ! 接近戦で押さえる!」
隊長の命令で、五枚の盾が壁になった。
後ろから一本の槍が伸び、盾の下から鉤が走った。足を止めたところを、後列の一人が突くつもりだった。
なるほど、並び方まで揃っている。
だったら一枚だけずらすと、隣も動くはずだ。俺はいちばん右の盾を、半歩だけ引いた。
重心を預けていた隣の盾が傾く。
その隙間へ入って、槍の柄を腕で押さえた。引っ張らずに、前へ押す。後列の槍兵がよろめき、盾を持つ男の背へぶつかった。
俺は盾を倒し、それを踏まないように跨いだ。
「壁のままなら、まとめて動くのか」
残った隊員が、距離を取った。
俺は追いかける代わりに、宿へ向く道を塞いだ。
こちらを見ているかぎり、逃げる道は残しておいた。
隊長だけが、剣を抜いた。
磨かれた刃に、白い石の光が映った。
「お前は、何者だ」
「デルタだ。さっきも呼ばれただろう」
「ふざけるな!」
よく伸びる突きだった。
俺は肩をずらし、鍔をつかんだ。刃がこちらへ戻らないよう手首を外へ向け、その肘を押さえる。
剣が落ちた。
隊長の膝が、地面についた。
「その剣では、あの窓まで届かない」
男の顔が、初めてはっきり見えた。
額から汗が流れ、口を開けても声が出ない。
「ここで終わりだ。もう宿へ撃つな」
俺が手を離すと、隊長は剣を拾わなかった。
白く光っていた鎮魔石だけが、役目を果たしたまま、庭に転がっていた。
「それで、全員か」
俺が尋ねると、隊長は屋根を見た。
射手の二人は、もう弩を抱えていなかった。一人が両手を上げ、もう一人もそれに続いた。
庭の端に残っていた兵が、石の台座を外そうとする。
「つけたままでいい。こっちに術を使えなくしたいなら、そのほうが安心だろう」
兵は、外しかけた手を止めた。
隊長は、光ったままの石から目をそらした。
◆
衛兵が来るころには、客は隣の店へ避難していた。
庭には、十人が座っている。ガルドは油の筒と支給印を見て、王都へ出す報告を追加すると言った。
俺が割った敷石へ金を出すと、主人は半分を戻した。
「残りは伯爵へ請求する。そうだ、看板に竜殺しの泊まった宿って書いてもいいかい」
「待て。我も泊まったぞ」
ローズが横から出てきた。
布をかぶせた椅子へ一度座り、手を洗ってからにしろとリゼに立たされる。
そこで争っていたのに、看板の話は聞いていたらしい。
「三人で泊まったと、書けるか」
「いいとも。名前も教えてくれ」
ローズは、自分の名をいちばん上へ書こうとした。リゼが名前の順は店へ任せようと言い、結局、横に三つ並べることになった。
……看板の幅まで、今から決めるのか。
俺は二人が相談しているあいだ、向かいの屋根へ梯子をかけた。射手が自分では降りられないと言っている。
梯子を持って戻ると、ローズは新しい紙を持っていた。
片隅に、誰が食事の肉を二切れ取ったかまで書かれている。
「それも看板へ書くのか」
「書かぬ! こっちは宿代の勘定だ!」
宿代に肉の数が混じる仕組みは、まだよくわからなかった。
リゼは黙って紙を取った。どうやら、俺が見る帳面ではないらしい。
夜明け前、装備を調べていた衛兵が、隊長の書類筒を持ってきた。
取り出した紙へ、リゼが灯りを寄せる。
あれ、油と人の輸送の話だけじゃないのか。文字の下には、獣の絵まであった。
『北の採石場より、軍用の獣檻を搬出』
『北門外まで追い立てた後、檻と飼育記録を焼却』
『搬出開始 宿の制圧開始と同時』
竜が鉄を喰っていた川の上流に、伯爵の倉庫がある。そこから、今度は別の獣を出す。
リゼが三行目へ指を置いた。
「搬出を始める合図が……この宿の制圧開始よ」
俺は庭に座らされた隊長を見た。男は目を合わせなかった。
こいつらが俺たちを宿へ押し込めている間に、別の場所で檻を空にする。獣は、今から町へ入る人のいる街道へ出る。
「全部で何頭だ」
返事より先に、北から鐘が鳴った。
ガルドが立ち上がった。二度、三度。鳴りやまない。
「北門の警鐘だ。朝市の荷馬車が、まだ外にいる!」
俺は剣を取り、通りへ出た。
角を曲がると、開いた門が見えた。門番が叫んでいる。人が内側へ駆け込み、道の中央でぶつかった。
外では、倒れた荷馬車に角のある狼が食いついていた。車輪の下に男がいる。その腕の中から、小さな手だけが出ていた。
「門を閉めろ!」
門番の声で、扉の片側が動いた。
俺は走った。閉じかけた戸の隙間へ肩を入れ、押し戻す。
「まだ外にいる。開けておけ」
狼が板を食い破った。
折れた板の向こうで、男は娘を抱き込んだまま動けない。狼の前脚が荷馬車の下へ滑り込み、二人へ顔を寄せた。
俺は門を離れ、地面を蹴った。
開いた顎の真下に、娘の顔があった。
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