第5話 竜は倒せる。上着を捨てたくない理由はわからない
第5話です。今回もよろしくお願いします。
熱砂が、空へ噴き上がった。
俺の両手に押し上げられ、竜の口は真上を向いていた。赤い砂の柱が枝の先を焼き払い、踏ん張った足の下で岩が割れる。
八人が水路へ入るまで、この向きで待つ必要があった。
「最後の一人が入った! 離れよ!」
ローズの声で、俺は竜の頭を小屋と反対へ押しやった。牙から手を放し、横へ抜ける。頭を振った竜の前脚が、さっきまでいた場所へ落ちた。
川岸が砕け、石が飛んだ。
俺は剣を抜き、腕の外側へ入った。
「岩の下にも鱗がある! 重なりの奥を狙え!」
肩の継ぎ目へ刃を入れる。
岩を支えている縁を断つと、鎧の一枚が地面へ落ちた。竜が身体をひねり、露出した側を遠ざける。
俺はその横腹を蹴り、小屋から離れた河原へ着地した。
竜がこちらを向き、顎を上げた。吐く前の動きは、もうわかっている。
俺は踏み込み、剣の柄で下顎を打った。牙がぶつかり、漏れた熱砂が上着をかすめた。
「我が選んだ装束ごと、汝まで焼かれるでない!」
竜の咆哮に負けない声が来た。
袖は動く。皮膚も焼けていない。あとで無事だと見せるとして、先に竜を止める。
長い尾が、河原を薙いだ。八人の隠れる土手へ届けば、石壁ごと崩れる。
俺は動きの遅い根元へ入り、両腕で尾を受けた。重い。だが、重さを支える後ろ脚は片方だけだ。内側へ踏み込み、体重の乗った脚を払う。その重さを横へ逃がし、腰をひねった。
家ほどある腹が空を向いた。背中が河原へ落ち、川の水が跳ね上がる。四本の脚が空をかく間に、鎧のない喉へ刃を通した。
剣を抜き、もう動かないことを確かめた。
水路へ手を上げると、最初に返ってきたのは、女の子の泣き声だった。
◆
「我が選んだばかりなのだぞ」
ローズは俺の袖をつまんだ。
八人は土手の向こうへ出た。リゼが案内の男と人数を照合し、歩けない者から荷車へ乗せている。
俺は焼けたところを見せようと、腕を上げた。
「動くな。傷も見る」
「皮膚は無事だ」
「それは、我が見てから言う」
彼女は服の穴から指を入れ、腕へ触れた。
傷はなかった。もう一度確かめると、今度は背を向けろと命じられる。
俺が向きを変えると、ローズは汗を拭かずに肩の縫い目を調べた。
「怒ってるのか」
「服へ砂を吐く相手を連れてきた覚えはない」
「選んだのは、俺たちだが」
「今、そこまで正確にせぬでよい!」
リゼが笑いかけ、こちらを見てやめた。
ローズの指が、少しだけ震えていた。俺は腕を下ろし、調べ終わるまで待った。
◆
竜の鎧には、黒い粒が挟まっていた。
リゼは金具で少し取り、小瓶へ入れた。
鉄滓の混じった餌らしい。ドルンの帳簿にも、似た仕入れがあったという。
「売り先の番号を確かめてもらう。自然に街道へ来たのか、人が育てたのか、それで少し絞れる」
俺は解体師が来るまで竜の身体を動かし、八人を町へ運んだ。
荷車の上で、小屋の娘がローズへパンを渡した。彼女は少し困った顔で受け取り、娘が両親のところへ戻るまで、かじらずに持っていた。
門を通ると、人が集まってきた。
竜の首を見るたび声が上がる。俺が食べきれない量のパンを渡されると、ローズが自分の分を持つと言った。
「供物は、一か所へ集めておくべきである」
「お前のところか」
「管理の得手不得手がある。我の腕へ寄こせ」
ギルドで報酬が出た。討伐が二十枚、素材の売却が経費を引いて十枚。金貨三十枚を、三人で分ける。
俺は立替の六枚を先にリゼへ返した。
「覚えてたのね」
「書いたからな」
「そこは、覚えてたと言ってくれていいのに」
ローズは自分の金を袋へ入れ、俺の札を覗いた。
B級。仮の登録を、今回の討伐で正式なものへ変えたという。
「魔王を倒した男が、今からB級か。遅い出世であるな」
「お前は、まだ登録してない」
「汝の上に空欄を用意させよ」
職員が、本当に紙を探しかけた。
リゼが止めてくれた。
◆
階段を下りると、護衛を連れた男が待っていた。
ヴァルゼン伯爵の命だと言って、帳簿の写しと、竜の素材を渡せと告げる。
「素材は売った。原本は衛兵へ渡した」
「では代金を。それと、鑑定士にも事情を聞く」
リゼが鞄を押さえた。
男は、令状を求められると笑った。この町では伯爵の言葉で足りるのだと言う。
護衛が、彼女へ手を伸ばした。
俺はその手首を曲げ、階段へ膝をつかせた。
「渡せるものはない。欲しいなら、自分で頼みに来てくれと伝えてくれ」
男が俺の襟をつかんだ。
焦げた布が、少し裂けた。俺が手を添えると、指のほうから離れていく。
ローズが、彼を上から下まで見た。
「上着の直し賃も、請求先へ加えておく」
男は返事をせず、護衛を連れて去った。
リゼは書面の控えを職員へ頼んだ。手が戻るまで、鞄の上へ置かれたままだった。
◆
宿の主人は、同じ型の上着を出してくれた。
竜を倒した礼だから、傷んだほうは処分していいという。
緑の布。内側のポケットも同じ場所にある。
新品を着れば、糸を通す手間もない。
「待ってくれ。こっちは、直せるか」
主人が取ろうとした袖を、俺は引いた。
自分がそうするとは、手を動かすまでわからなかった。
「直せるが、新しいほうが丈夫だぞ」
「そうなんだが」
ローズが俺を見た。
俺は服を持ち直し、焦げたところを指で避けた。
「お前が、今朝これを選んだ」
それ以上の理由が、出てこなかった。
ローズは、新品と俺の手元を見比べた。朝、袖を調べていたときより、長く黙っていた。
「……糸を借りる。どこへある」
主人が裁縫箱を出すと、俺は窓に近い椅子へ座り、ローズの手元へ腕を置いた。
彼女は二度針を抜き直し、三度目で糸を通した。
「魔王も、縫うんだな」
「獄で破れれば、自分で直すほかない。我の寝所へ仕立屋は来なかった」
俺は、腕を動かさないようにした。
リゼが食事を運んできた。余った肉を誰が食べるかでローズと一度揉め、俺の袖へ針が残っているので、俺は加われなかった。
「終わったら、先に食え。今の汝は、動かれても困る」
糸が結ばれた。
指で触ると、新しい布より少し硬い。そのまま剣を抜く動きをして、引っかからないと確かめた。
「助かった。ありがとう」
「礼は一度でよい。もう聞いた」
……いや、まだ一度しか言ってないんだが。
ローズは針を片づけて、もうこちらを見ない。礼の回数まで、本人が決めるのか。
俺は手帳の余白へ、一行だけ書いた。
『この上着を直してもらった』
次にやることではなかったが、消さずに閉じた。
聞き返そうとして、窓に映った二人の向こうへ目が止まった。
向かいの屋根に、肩があった。
横向きの弓が、こちらへ向く。
俺はローズの椅子を引いた。
窓の外で、弩の弦が鳴った。
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