第4話 自由になった元魔王は、最初に昼飯を要求した
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売買証を渡すと、ローズはその場で破ろうとした。
リゼに止められた。
「先に登録を消す。紙だけ破ると、代わりの証明を取り寄せる手間が増えるわ」
「自由になるのにも、順番が要るとはな」
彼女は机へ戻した紙に両手を置き、誰にも取らせない姿勢になった。
ローズから受け取った三枚は、まだ俺の手元にあった。
「その金は、受け取った。紙も返した。これでいいか」
「まだだ。首輪がついていても、汝に所有の権利がないと残せ」
ガルドが窓口の職員を呼んだ。
ドルンの取引は調査に入っている。売買証を証拠として預け、本人の名で解放の届出を受ける。
ローズは説明を最後まで聞き、署名欄を引き寄せた。
「ローズマリーだ。短くするでないぞ」
「普段は、ローズでいいと言っただろう」
「我が書くときは、我が決める」
大きな字が、枠を少し越えた。
……名前まで大きいな、この魔王。
だが、職員は困らなかったらしい。紙を替えず、そのまま印を押した。
◆
解放の控えを受け取ると、ローズは入口へ向かった。
俺は、どこへ行くのか尋ねた。
「まず、昼飯だ」
「夕方だが」
「昼に食い損ねた分が、体内で未処理になっておる」
食堂で残した煮込みは、主人が取っておいてくれた。
温め直された皿の前へ座る。ローズは自分の控えを膝で押さえ、誰かの許可を待たずに匙を取った。
俺も食べ始めると、すぐに手が止まった。
「今度は何だ」
「肉の数を、確かめなくていいのか」
ローズは俺の皿を見た。
少しだけ迷い、こちらへ一切れ移した。
「先ほどの二切れは借りにせぬと言った。念のためである」
増えた肉を食べると、彼女も残りへ戻った。
リゼは宿の支払いを計算していた。未払いの給金は戻るまで時間がかかるので、今夜は報酬の金から出すという。
「三人部屋なら安いわ。寝台は別々」
「我の寝台に、鍵はあるか」
「寝台には、ついてない」
「では部屋の鍵だ。汝らの部屋へ入る前に、我へ一声かけよ」
なるほど、先に声をかければいいのか。そういう決まりなら、覚えておこう。
部屋へ行くと、ローズは自分で鍵を開け、内側から一度閉めた。もう一度開け、窓と、寝台の下と、荷を置く棚を順に確かめる。
何か足りないのかと聞くと、もうよいと返された。
寝台の端に、自分の財布を置いていた。
◆
翌朝、俺は竜のいる街道の図を見ていた。
小屋へ行く道は二つ。馬車の通る橋は、竜が水を飲む場所へ近い。森から回る道は、負傷者を運ぶには狭かった。
リゼが、隣へ腰を下ろした。
「小屋まで行くなら、薬と水も持っていく。道を空けたあとに必要でしょう」
「手伝ってくれるのか」
「王都へ行くのは私も同じだもの。それに、鑑定士の仕事で戻せるものがあるなら、見ておきたい」
彼女は、ドルンの店の話をそれ以上しなかった。
机へ置いた鞄には、昨日の帳面が入っていた。
ローズが階段を下りてきた。
外套の留め方を直しながら、俺の前へ立つ。朝食のパンは、もう半分なくなっている。
「その図では、水の深さがわからぬぞ」
小屋の裏の川を指した。
竜が水へ入ったとき、俺がどちらから近づくか。人を出す道へ追い立ててしまわないか。
地図を自分の前へ寄せ、パンを食べながら問いを足していく。
「ついてくるとは、言ってなかっただろう」
「今、言っておる」
「危ないぞ」
「我を倒した男が、大蜥蜴を見て十日も回り道をする。そんな話を広められてたまるか」
俺は、話を広めるつもりはなかった。
ローズはその返事を聞く前に、図の上で指を動かしていた。
「我は小屋の者を外へ出す。汝は竜を、こちら側へ向けるな。それくらい、できるのであろうな」
彼女の指は、通る者の足元まで追っていた。
リゼが、薬を詰める箱を卓へ置いた。竜の売れる部位を調べる工具と、小屋の者を運ぶ布は、別々の荷へ分けている。
「全部持つなら、手は空かなくなる。竜が出たら、どこへ置けばいい」
「橋の手前。私が荷車を止める。ローズは小屋へ声をかけて」
「命じられるまでもない。我の声なら、八人とも聞き逃さぬ」
「竜にも聞こえるから、合図を待ってね」
ローズは、言い返す代わりにパンを食べた。
リゼが顔を地図へ戻すと、俺のほうへ掌を立てる。聞こえたことを他へ言うな、という意味らしい。
俺はうなずいた。今は伝える相手も、特に思いつかなかった。
首輪のない場所へ行けるわけではない。それでも、昨日の競売台と同じ姿勢ではなかった。
「わかった。頼む」
ローズはパンの最後の一口を食べた。
「先に頼まれても、今の我は高いぞ」
◆
借りた荷車へ、水と薬と布を載せた。
宿を出る前に、上着も替えさせられた。主人が置いていた旅服を、ローズが一枚ずつ広げている。
「黒はやめよ。破れても気づかぬ」
「汚れが目立たない」
「目立たせるために言っておる」
緑の上着を渡された。俺が袖を通すと、彼女は肩と背を叩いて、腕を回させた。値段を聞いて払おうとすると、まだ袖口を見ておると止められる。
リゼは薬の箱を抱えて待ち、結局、荷車を先に出すと言って外へ行った。ローズは見送ってから、小さな声で、緑なら遠くでも見つけやすいと付け足した。
ガルドは討伐隊の一人を案内に出した。肩を吊った男は、竜の吐く砂で目を塞がれ、橋から退いたという。
「真正面から受けるな。足元の石も砕ける」
俺はうなずき、川の流れる向きを確かめた。
ローズは荷車の端へ座り、揺れるたび顔をしかめていた。歩けないのかと聞くと、無駄に歩かぬための車だと返ってくる。
リゼが、その横へ丸めた布を置いた。
「これを座面へ。木が硬いでしょう」
「我は木に敗れたのではない」
「ええ。休戦の条件にしておいて」
ローズは布を敷いた。
次に車輪が跳ねても、何も言わない。
どうやら、木との交渉は成立したらしい。俺は聞かなかったことにして、荷車を引いた。
川へ近づくと、水車が見えた。
動いていない。小屋の窓に白い布が結ばれ、人影が一度だけ顔を出した。
八人の名を、リゼが低く読み上げる。
案内の男が、小屋へ合図を返した。
川の石が、盛り上がった。
岩のような背が動き、長い首が水から起きる。橋より大きな身体へ、削れた木片がいくつも引っかかっていた。
俺は荷車を止めた。
「ここからは、俺が先に行く」
剣へ手をかけたところで、ローズに袖をつかまれた。
その目が、俺の手元を見ている。
「それでは引っかかる。汝、札の紐ごと剣を抜く気か」
袖口に、売値の札が残っていた。
外したつもりで、紐だけを引き抜いていたらしい。ほどけた糸が、鍔へ絡みかけている。
案内の男が、竜とこちらを交互に見た。
「今、それを話すのか」
「今だからだ。剣を抜いたあとで、裁縫を始めるつもりはない」
ローズは自分の荷から出した短い紐で、折った俺の袖を手首の上に留めた。ひと結び確かめてから、手を離した。
「帰ったら、袖の長さも直す。選び終えたからといって、完成したと思うでないぞ」
竜が、橋を踏んだ。
木が割れ、小屋の窓から人が離れる。
俺は、袖がもう刃へ触れないのを確かめた。
「帰ってから、聞く」
ローズが荷車から下りた。
俺は川へ走り、竜の頭が小屋へ向く前に、その鼻先へ入った。
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