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第23話 殺すより、難しい仕事

「左の鎖を先に切れ!」


 ブライトが怒鳴った。

 俺は、その鎖の先を見た。床から伸び、鳥の脚を横へ引いている。そこを先に切れば、もう片方へ重さが集まり、翼の傷が床へ押しつけられる。


 男の命令には、従わなかった。


「イリス、退路へ回れ。治療は、俺が近づいてからだ」


 女はうなずき、壁の陰へ下がった。

 次の雷が、そこへ向かう前に、俺は鳥の正面へ入った。嘴(くちばし)が振り下ろされる。首の横を通り抜け、その下へ回った。


 巨大な胸が、速く上下していた。

 羽根の下から、血の匂いがする。


 無理に押せば、地面へ伏せさせることはできた。

 だが、どこへ力をかければ骨が折れるのか、俺は知らなかった。人間と同じように、関節だけを止めるわけにもいかない。


 まず、触る前に見ることにした。

 鳥を支える稽古(けいこ)は、師匠にもつけられた覚えがない。いきなり力を込めて、あとから壊れたと言われては困る。


 鳥が右へ身体を傾けたとき、傷のある翼が震えた。嘴が、その下をつつこうとして途中で止まる。

 痛いところに、届かないのだ。


 俺は、止めてほしい動きの順番を変えた。首を押さえるより先に、床へ擦れている翼を浮かせる。


「デルタ、羽根が立つぞ!」


 ローズの声で、俺は一歩下がった。

 背の羽根が、根元から膨らんでいた。青い火花が走り、地面へ落ちる。


 俺は跳ばなかった。傷のない翼の下をくぐり、太い柱を回って、雷が通る場所から離れた。

 鳥の首が追ってくる。

 まだ、俺を敵だと思っている。


 床へ、割れた餌皿が転がっていた。木の端には、つついた跡が残っている。食べようとして顔を下げたときにも、翼の痛みが走ったのかもしれない。


 俺は皿を踏まない場所へ動いた。鎖を張る向きに進めば、傷の翼まで引く。左右へ大きく逃げず、嘴の届く先だけを外すことにした。


 ◆


 厩舎(きゅうしゃ)の外へ一度出たリゼが、設備係を連れて戻ってきた。入口から伸びる青い溝を見て、床の蓋を開ける。


「入口の印、『導雷床』の設備だわ。青い鉱材が放電を拾って、屋外の放雷塔へ送る。ここの継ぎ目だけ外れてる」


 イリスが顔を上げた。


「普段の調整で切ってあることはあるけど、こんなときに?」


 ブライトの返事は聞こえなかった。

 リゼは彼を問い詰めず、隣にいる設備係へ外れた金具を示した。まず塔の周りから人を離し、予備の継ぎ金を取ってきてもらう。


 設備係が戻ると、二人で稲妻の印の前へ柵を置いた。外の係員が旗を上げるまで、接続は待った。


 ローズは、鳥から離れた側で人を下がらせていた。


「武器を見せるな。大勢で囲めば、退く場所を求めて暴れる! 我らの背へ回れ、出口を空けよ!」


 俺の後ろで、人の足音が減った。

 鳥の首の動きが、少しずつ狭くなる。

 追うべき人間が一人だけになった。


「悪いな。今日の相手は、俺だ」


 俺は、空いた左手を見せた。

 嘴が来る。

 根元へ手を添えて、噛みつく向きだけをずらした。硬い先端はつかまない。鳥の顔を押し倒さず、一緒に横へ歩く。


 傷のない左翼が、俺の背へ当たった。

 重かったが、その重さなら支えられた。


 右肩の糸が引いた。

 そこで、腕を上げるのをやめた。傷を無視すれば楽になる場面ほど、あとで二人の顔を見づらくなる。


 左腕と背で左翼を受け、傾く胸を下から支える。傷のある右翼が床に擦れないところで、重さを受け止めた。


 イリスが、声を低くした。


「そのまま。押し返さないで、乗せておいて」


 ……なるほど、持ち上げる仕事じゃなかったのか。

 俺は膝(ひざ)を少し曲げ、鳥が支えきれない重さを、左腕と背へ預けさせた。


 鳥がもう一度、身体を起こそうとする。左翼を上げると右の傷が動くので、途中で力が落ちる。

 俺は、その重さを床へ叩きつけずに受け止めた。


 ◆


「残った三本のうち、前へ引く二本を同時に外す。後ろの一本は残して、一度、足を置き直させて」


 イリスの指示に、作業員が顔を見合わせた。

 ブライトが、勝手なことをするなと怒鳴った。


「俺の担当だぞ。脚を自由にしたら、飛ぶに決まってる!」

「今、この翼では飛べない。脚が同じ場所へ引かれるせいで、痛む側に体重が寄ってる」


 イリスは男ではなく、鳥の足を見ていた。

 作業員が二人、鍵を持って近づいてきた。俺の背に白い翼が載っているのを見て、歩幅が小さくなる。


 イリスが左右の留め具を指した。二人がしゃがみ、鍵を回せる位置へ入る。


「噛まれないか」

「首は、俺のほうを向けておく」


 男は、唾を飲んだ。

 それから、脚の留め具へ鍵を入れた。

 イリスが数え、二人が同時に鍵を回す。左右の鎖が床へ落ちた。


 鳥が、足を置き直した。

 右へ落ちていた胸が、初めて少し上がった。


 青い火花が、羽根の間を走った。

 俺は、まだ手を離さなかった。

 床を伝った光が、直した溝へ向かう。外で、低く雷の落ちる音がした。厩舎の中では、石が弾けなかった。


 外で旗が下がり、設備係が継ぎ目を押さえ直した。二度目の放電も溝を通る。


 全部の雷を消せたわけではない。嘴の届く場所と、床の青い線からは離れるよう、リゼが人を動かしていた。


 俺は鍵を外した男へ礼を言った。男は一度うなずき、落ちた鎖を、鳥が踏まない場所へ引いた。


 リゼが、柱の陰から俺へ親指を見せた。

 俺も短くうなずいた。


「羽根が、寝た」


 ローズが呟いた。

 鳥の背に立っていた白い羽根が、ゆっくり身体へ戻っていた。逃げるための雷を、毎回こらえる必要がなくなったらしい。


 嘴が俺の頭の上で動き、髪を少しだけつまんだ。


「それは、食べるものじゃない」


 言ってから、人の言葉がわかるわけではないと思った。

 だが、ローズが吹き出した。


「汝も、供物(くもつ)の選別を受ける側になったか」

「食われるよりは、殴られるほうが慣れてる」

「どちらにも慣れるでない!」


 大きな声で、鳥の目がこちらを向いた。

 ローズは、自分の口を押さえた。

 俺が顔を戻すと、嘴が髪から離れた。


 どうやら、今のやり取りで少し静かになったらしい。魔王に怒鳴られることが治療に役立つとは、今日まで知らなかった。


 ◆


 イリスが近づいたのは、そのあとだった。

 薬包を開き、柔らかな布へ薬を染み込ませる。鳥の鼻先へ直接押しつけず、俺の隣で匂いに慣れさせた。


「眠らせすぎない。呼吸を見ながら進めるから、今の支えを続けて」

「わかった」


 女が、羽根の間へ指を入れた。

 鳥の身体が硬くなる。俺は押し返さず、背へ載る重さを少し深く受けた。

 イリスの指が、傷の周りで止まる。


「矢羽根が、切り取ってある」


 リゼが、灯りを持って近づいた。

 赤黒い羽根の下へ、細い金属が見えた。遠くから見えたものより、ずっと短い。抜け落ちたのではなく、表面だけが切られている。


「気づいていなかったのか」


 俺は、ブライトへ聞いた。

 男は返事をしなかった。


 イリスが薬を増やさず、傷の周囲を拭った。鳥の呼吸が少しゆっくりになったところで、金属の端へ小さな器具を当てる。

 抜こうとして、やめた。


「このまま引いたら、翼の内側を裂く」


 女の声が、低くなった。

 器具の先に、細い鉤(かぎ)が引っかかっていた。矢にしては多すぎる返しが、羽根の下で外へ開いている。

 イリスは、顔を上げた。


「これは獲物を仕留める矢じゃない。痛くて飛べなくするための、調教用の鉤だ」


 ブライトの腰で、細い道具入れが鳴った。筒の口から、未使用の鉤が少し覗いていた。

 イリスが、そちらを見た。


「動かないで。傷の中と同じ鉤が、その筒に入ってる」


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