第22話 報酬百二十枚。ただし、殺してはいけません
翌朝、パンを焦がした。
エッダに頼んだのは、筒へ触れずに声を取り出せる小さな器だ。まず試作品を作り、工房から離れても話せるかを確かめる。部品代の前払いは、自分の金から済ませた。
……で、考えたままパンを焼いていたら、裏返した面を間違えたわけだ。
もう一人の俺は飯を食えない。それを考えて、こっちの飯まで炭にする必要はなかったはずなんだが。
片面だけが黒かった。まだ焼けていない側を確かめてから、俺は皿へ移した。
ローズが皿を覗き、黒い端を指でつついた。
「汝の心の深淵を、朝食で表現するな」
「そこだけ削れば食える」
「我が選んだのは、炭を供される生活ではないぞ」
「焦げたところを削る」
「我の朝食まで、解体の仕事へ回すな!」
リゼが半分だけ焼けたものを自分の皿へ取り、鍋から汁を注いだ。
「じゃあ今日は、外で仕事を探しましょう。台所で考え込むより、向いている場所があると思うわ」
俺は焦げた端を食べた。
苦かったが、味はした。
自分の魂がどこから来たのかは、まだわからない。それでも、明日のパン代を稼げる場所なら、一つ知っていた。
◆
朝食のあと、ハンナが補償の申し出を届けた。
ローズは、受け取っても訴えを取り下げる必要はないという一行を、指でなぞった。すぐに署名はせず、紙を自分の鞄へしまう。
「返事は、これを読んでからする。汝が待つ番であるな」
ハンナは門の外でうなずいた。
ローズは俺たちを振り返り、仕事へ行くぞと外套を取った。食卓の上に残った紙は、夕飯の買い物だけになった。
◆
王都ギルドの依頼板は、地方のものより大きかった。
討伐、護衛、素材調達。俺は家具の運搬を見つけ、報酬を確かめた。ローズに袖を引かれた。
「何故そこへ吸い寄せられる」
「昨日、向いてると言われた」
「持てる者が、持つだけの依頼を独占してどうする。あちらの筋肉自慢にも働かせてやれ」
指さした先で、太い腕の男が気まずそうに咳をした。
俺は運搬の紙を戻し、赤い枠の依頼へ目を移した。
『雷翼鳥』の鎮静、生体での移送。
報酬は、金貨百二十枚だった。
「竜より、高いな」
「殺すだけなら、三十枚に下がるわ。成功の条件が違うのね」
リゼが、端の注記を読んだ。
首を切れば済む相手を、生きたまま運ぶ。報酬の差は、理由があるようだった。
ローズが紙へ顔を寄せた。
「『雷翼鳥』は、懐かぬ者を乗せぬ。鎮めるところまで頼むということは、乗り手も手に負えなくなったか」
背後で、女の声がした。
「乗り手が悪かった可能性も、入れておいてくれる?」
振り返ると、黒い髪を三つ編みにした女が立っていた。
長い外套の内側に、刃物ではなく小さな鋏と薬包が並んでいる。片腕に巻いた布は、薬師の印だった。
女は俺の肩の包帯を見た。
「受けるつもりなら、先に聞く。昨日の怪我で、今日は腕を上げられる?」
「動く」
「動くと、使っていいは別だよ」
俺は、師匠と似たことを言われたので、少しだけ姿勢を正した。
◆
女は、イリスと名乗った。
薬師で、魔獣の治療もしているという。王都騎獣院が依頼主で、彼女は診療担当だった。
案内された空き部屋で、傷を確かめられた。
無理に肩を動かす必要はないかと思っていたら、先に回す向きを指定された。縫い目が開かない範囲を見て、イリスは息をついた。
「今日はその側で重いものを吊らない。できないなら、依頼は別の人へ回す」
「もう片方ならいいか」
「その発想で、左右とも駄目にする人をよく見る」
ローズが、大きくうなずいた。
俺は二人を見るのをやめ、依頼書へ目を戻した。
『雷翼鳥』は、翼を広げれば馬車二台ぶんほどになる飛鳥だった。
翼の間に魔力を蓄え、雷と上昇気流を操る。騎獣院へ来た一羽が昨日から餌を食べず、人を近づけなくなったという。
イリスは暴れている絵ではなく、普段の飼育記録から話し始めた。
「もとは山岳街道の救援に使っていた鳥。怪我人を運んだ実績もある。最初から人を襲っていたわけじゃない」
「何が変わった」
「翼に傷がある。だけど、契約している調教師は気性の問題だと言って、強い鎮静薬を使ってる。私は、そこから見直したい」
イリスが薬の記録を開いた。量を増やした欄には、彼女の承認がない。
鳥の気性が悪いから薬が増えたのか。傷が痛むのに、近づく者がいなくなったのか。まだ、それすら確かめられていなかった。
「診させてもらえないまま、薬だけ増やされてる。だから、あなたに頼みたい」
イリスは傷の位置が空欄の紙を見せた。
俺が斬れば、それを知らないまま仕事を終えることになる。
「近づく間、動きを止めればいいのか」
「傷を見られるようにしてほしい。殺さず、骨を折らず、薬を入れるまで。できれば、怯えさせずに」
「失敗したら、途中で討伐へ切り替えろと言われるのか」
俺が尋ねると、イリスは首を振った。
「治療を続けられないときは、一度離れる。別の人を呼ぶか、設備を増やす。最初から、殺すのが二番目の案だとは決めてない」
リゼが、その条件を依頼書の余白へ書いた。担当者の確認も受けるという。
俺はうなずいた。騎獣院の担当者が署名した。俺は退く場所と、使ってはいけない道具をもう一度確かめた。
怯えさせずに、という条件は、まだやったことがない。
魔王に聞いてみるべきだろうか。俺が顔を向けると、ローズは聞く前から、我も最初は怯えたなどと思うでないぞと言った。
……そうなのか。そこまでは尋ねてなかったんだが。
ローズが、俺の顔を見て笑った。
「用心棒を押して済んだ頃より、仕事が増えたな」
俺は、口の端が少し動いたのに気づいた。ローズは何も指摘せず、次の頁をめくった。
手帳を確かめてから出した返事ではなかった。それだけを、俺は覚えていた。
◆
騎獣院は、王都の南門の外にあった。
大きな丸屋根の厩舎が三つ。空を飛ぶものを入れるには、少し低く見えた。
壁の高い窓には、裂けた布が引っかかっている。床から外へ伸びる青い溝には、稲妻の印があった。入口近くで金具が一つ外れ、端が持ち上がっていた。
入口で待っていた男が、イリスを見ると顔をしかめた。
「また薬を変えるのか。あれはもう駄目だと言ったろう」
「診る前に決めないで」
男は、調教師のブライトだと名乗った。
俺の札を確かめ、肩の包帯を見て、鼻を鳴らす。
「竜殺しを呼んだのか。首を持ち帰る仕事なら、得意そうだな」
「今日は、運ぶ仕事だ」
「聞いておけ。あいつは、言うことを聞かない。翼へ鉤をかけて引き倒せ。暴れれば、脚の一本くらい――」
「その条件の依頼は、受けてない」
俺は、紙を示した。
イリスが先に扉を開ける。俺たちも、その後へ続いた。
暗い建物の奥で、白い羽根が動いた。
鳥は、檻に入っていなかった。
両脚から伸びる鎖が、床の四隅へ張られている。翼を持ち上げようとして、途中で顔を歪める。長い嘴の付け根には、呼吸に合わせた細かな震えがあった。
俺は剣を抜かなかった。
腰の道具も、壁際へ置いた。
「触る前に、どこを見ればいい」
イリスが答えるより先に、雷が落ちた。
俺は女の肩を抱いて後ろへ引き、地面を走る白い筋から退いた。床の石が弾け、焦げた匂いが広がる。
『雷翼鳥』が、翼を開いた。
右側の羽根の下へ、赤黒いものが見えた。
「矢が、残ってる」
俺が言うと、イリスの顔が変わった。
背後で、ブライトが「見えるはずはない」と言った。
聞き返すより早く、二度目の雷が入口へ落ちた。ローズがリゼを壁の陰へ引く。
後ろ右の鎖が、床の石ごと抜けた。
残る鎖が張り、傷のある翼が、床へ引きずり下ろされた。




