第21話 俺の声で、俺ではない男が話した
俺が口を閉じても、筒からは俺の声がした。
「外は、夜なのか。さっきから、時計の音がする」
エッダの手は道具から離れている。声を出す針も、俺の呼吸とは違う間隔で揺れていた。
ローズの指が袖をつかむ。
「汝が勇者デルタなら、我を知っているか」
「ローズマリー。最後に戦った相手だ。左の角を、俺が折った」
折れた角が、石の床を転がる。
俺にも思い出せた。降伏を認めるまで握っていた剣。その手は、今も俺の腕についている。
「じゃあ、俺は何だ」
誰に答えてほしかったのか、自分でもわからない。
リゼが椅子を寄せた。座れとは言わず、俺の腰が落ちるまで背を押さえていてくれた。
「俺も戦った。師匠に剣を教わった。アルドに殺されたところまで覚えている」
「アルドに?」
筒の声が高くなる。俺は、自分がそんな声を出すところを聞いたことがなかった。
「城から戻ったあとが、まだつながらない。何があったんだ」
俺は師匠を見た。
胸の傷を塞ぎ、身体を取り戻したという人だ。今度こそ、どちらが本物なのか決められるのだろうか。
「目覚めたお前が昔のことを話せたので、魂も戻った可能性を考えた」
師匠は俺を見て言った。
「そうであってほしかった。だが、確かめられてはいない。昼に『わからない』と言ったのは、そのこともだ」
「まだ、わからないのか」
「ああ。ただ、今は二つの場所から、違う返事がある。私の願いで片方を間違いにしてはいけない」
膝の上で、手帳の角が掌に食い込んでいた。
開こうとして、やめる。誰なのかを教えてくれる頁があるなら、師匠が先に読んでいる。
◆
少しして、ハンナが工房へ来た。
遺体回収依頼の取消しの控えを家へ届け、留守だと聞いてこちらへ回ったという。
ローズは紙を受け取るより先に、筒の声を聞かせた。
「……封印番号を見せて」
ハンナが刻印を読み、手元の記録と比べる。
途中から、数字を追う指が動かなくなった。
「私が五年前に封じた筒よ。番号も、保存した日も一致する」
魂を採った。別の課へ渡した。
家の前で聞いたときには、まだ、俺の知らない仕事の話のようでもあった。
いまは、その筒が俺に返事をする。
「俺を戻すために、残していたのか」
問いかけたのは筒の男だった。
ハンナはそちらへ顔を向けた。
「いいえ。残った勇者の力を調べるため。身体も、魂も、検査の対象だった」
しばらく時計だけが鳴った。
「あいつら、俺を分けて運んだのか」
男の声に、俺は自分の胸を押さえた。
そこには一つ分の鼓動しかない。なのに今、その胸を刺された人間が、手の届く場所で別に話している。
ハンナは言葉を探しているようだったが、ローズが外した首輪を卓へ置いた。
「我の首にあった理由も、答えよ」
ハンナの説明はこうだった。
魂を封じたとき、筒は単体だった。別の部署へ引き渡してから、いつ首輪へ組み込まれたのかは知らない。その後に命じられたのは、首輪を残したままローズを聖務局の保管から外すことだった。
「中に何があるのか確かめず、ドルンへ売ったのだな」
「ええ。店を選んだのも、売却として処理したのも私。首輪を壊さず渡せば、それで仕事を終えたことにした」
ローズは、筒と外輪を離して並べた。
「ならば、組み込んだ者の記録を出せ。知らぬ理由を、汝が今から作るな」
リゼが二つの番号を同じ紙へ写す。ハンナはその写しを、監察局へ出す照会に添えると答えた。ローズは回答の届く日も確かめてから、ようやく紙を放した。
首輪を外しても、彼女の問いは終わっていなかった。
◆
「番号が同じでも、声まで確かめよう」
エッダが筒の台を、間を空けて三度叩いた。
男が回数を答える。続けて、いま工房で交わした言葉にも返事をした。
「録音じゃない。けれど、針一本で魂の身元まで判定できるわけではないよ」
師匠が、昔の稽古を抜け出して買った菓子を尋ねた。
「蜂蜜の揚げパン。半分、師匠に取られた」
「授業料だ」
「あれ、払ってたはずだろ」
筒の男が笑う。
そのやり取りを聞いても、俺の中には揚げパンが浮かばなかった。覚えているふりをしようとすれば、できたかもしれない。今の答えを繰り返せばいいだけだ。
けれど、俺は首を振った。
「俺には、その記憶がない」
剣を置いた夜は逆だった。俺が話せる場面で、男は黙り込む。
リゼは二つの欄を作り、俺たちがそれぞれ答えたことを書いた。片方へ足りない分を、もう片方から写すことはしなかった。
師匠は、応答の測定も提案した。
筒を開くのではない。保存したまま弱い力を送り、針の戻り方を記録する。俺のほうは胸へ検査石を当てるだけだという。
俺がうなずき、筒の男も「いい」と答えてから、道具が出された。
「戻る幅が違うな」
エッダの声に、師匠が針を見比べる。
「筒の中と身体の中では、測る条件も違う。これだけで正体は決められない。数値は、次に比べられるよう残しておこう」
何もわからないままではない。だが、名前をつけられるところまでも来ていない。
俺は検査石が離れるのを待ち、襟を戻した。
◆
「俺の身体は、そこにあるんだな」
男が尋ねた。
ああ、と言う前に、自分の手が見えた。三枚の銅貨を置き、ローズを買った手だ。リゼとローズへ、新しい家の鍵を渡した手でもある。
「返してほしいのか」
ローズが口を開きかける。
けれど俺の言葉を遮らず、つかんでいた袖をそっと放した。
「生きたい」
筒の声は、はっきりしていた。
「飯も食いたい。外も見たい。だが、お前を殺してそこへ戻るとは、言ってない」
返す、と言えばいいのかもしれない。
もともと誰のものだったかを問われたら、俺には差し出せる証拠がない。
それでも、今日の家の鍵を握るのは、俺の指だった。
「俺も、出ていくとは言えない」
「なら、ほかの方法を探そう。今すぐ全部決めろって言われても、俺にも無理だ」
男の返事を聞いて、ようやく息を吐けた。
師匠も、身体へ魂を移す試験はしないと告げる。片方を追い出せば済む処置ではないし、成功の保証もない。
まず筒の保存を安定させ、話せる時間を調べる。外を知る手段を、少しずつ増やす。それなら始められるという。
「声を届けるための部品から取り寄せたい。魂を移し替える道具じゃないよ」
エッダが見積もりを差し出す。
俺は金額と、自分の袋を見比べた。三人で働いても、二人の取り分は俺の金ではない。俺がやりたいことなら、その分の仕事を探せばいい。
「先に、俺が何をしたいか決めていいか」
「今さら許可を求めるな。聞いておる」
ローズが顎を上げる。
俺は筒へ向き直った。
「お前が外を見る方法を探す。だが、俺もこの身体で、あの家へ戻る。両方とも、やめない」
針が一度揺れた。
「それなら、俺も手伝う。声しか出せないが」
工房を出る前に、男がもう一度呼んだ。
「明日も、来るか」
「ああ。仕事を探してから来る」
まだ、俺が誰なのかはわからない。
けれど明日はここへ戻る。あの声を聞くために、自分の足で。
ポケットの鍵が、歩くたび小さく鳴っていた。




