第17話 師匠、俺の中へ何を戻した
「直したのは、身体だ。魂まで同じかは、確かめられなかった」
師匠は、そう言った。
心臓と、剣が通った部分。抜かれたあとに失われたものを、少しずつ補った。その話なら、傷を治す延長として聞けた。
だが、魂になると答えが変わる。
「わからないものを、選んで入れたのか」
「選んで呼び寄せたのではない。戻る場所になるよう、身体を修復した。戻れるものがあると、考えた」
「俺の記憶は」
「残っていたことはわかる。それだけで、お前の全部が五年前と同じだとは言えない」
俺は、胸の上へ手を置いた。
普通に息をしている。腹が空けば食うし、眠れば朝には起きる。
……身体が動くのと、俺が誰かは、別の話なのか。
椅子の脚を見た。四本とも、さっきと同じ場所にある。こちらだけ、どこへ座っているのかわからなくなった。
「デルタ。茶を寄こせ」
ローズが、手を出した。
「今、話してる」
「聞いておる。だから我は、喋る代わりに飲む。汝の前にしか残っておらぬのだ」
器を渡すと、彼女は飲んだ。
返せと言われてももう飲んだぞ、と付け足す。
俺は器を放した手を見た。いま俺が持ち、ローズへ渡した。その順番だけは、誰も違うと言わなかった。
「少し、ぬるい」
ローズが言った。
飲む前に言ってくれれば、温め直せたんだが。俺がそう答えると、彼女は残りも飲んだ。
◆
師匠は、五年間のことを話した。
身体を隠した場所があること。正式な治療として届ければ、聖務局が返還を求めるので、名前を使えなかったこと。修復が進まず、何か月も同じ状態を見続けた時期があったこと。
先月、ようやく身体が安定し、自力で目覚めるのを待てる状態になったという。
「手帳を置いたのも、あんたか」
俺が出すと、師匠は表紙へ目を落とした。
「ああ。目覚めたとき、身の回りのことまでわからなくなっている可能性があった。困ったときに開けるものを、持たせたかった」
「書いてあることを、しなかったら?」
師匠は、すぐには答えなかった。俺が足した行へ目を止め、指を伸ばしかけて引く。
「お前を罰するための紙じゃない。合わないところは、直していい」
俺は返さず、上着の内側へ戻した。
「出ていったと知らされたのは、数日前だ。探すつもりだったが、それより先に、お前の仕事の報告が来た」
「竜か」
「ああ。ひっくり返すところまでは、教えていない」
「似たようなことは、しただろう」
「私が投げたのは、お前だ」
リゼが、また少し困った顔をした。
ローズは茶を置き、何か納得したようにうなずいている。
俺は自分の膝へ手を戻した。
「身体を取り戻してくれたことは、礼を言う」
師匠の顔が、ほんの少し動いた。
「身体を診るなら、先に何を調べるのか聞かせてくれ」
「わかった」
「今の俺と、あんたが知っている俺とが違っても、勝手に直すな」
それを言うときだけ、声が硬くなった。
師匠は、目をそらさずにうなずいた。
「違うところを、病気だとは決めつけない」
師匠が診察の道具を並べた。
胸へ当てる石と脈を見る器具。その二つを使うと聞いて、俺は上着を緩めた。
昔の稽古では、棒が飛んでから理由を聞くこともあった。
「あとで、違うから直せと言い出したら止めてくれ」
「あなたも、師匠も?」
リゼが二人を見た。
「両方だ」
ローズは空の茶の器を寄せ、ついでにこちらも忘れるなと二杯目を要求した。
◆
診察は、俺が頼んだ。
何か異常があるなら、知らずに二人を連れて歩くのは困る。師匠は脈と呼吸を確かめ、胸へ小さな検査石を当てた。血を採る必要はないと言われたので、そのまま受けた。
検査のあと、薬の入った小瓶を渡された。
「眠れない夜にだけ、量を確かめて使え。使い方は袋へ書いておく。毎晩飲むものではない」
「眠れる夜なら、夕飯を増やしてもいいか」
「肉は薬ではない」
ローズが即座に、両方あればよいと言った。
師匠は彼女の首の跡も見た。触れていいかを先に確かめ、エッダの出した薬のままで問題ないと答える。
師匠が袋の口を結び、使っていない病室があると言った。今夜泊まれば、明日も続けて様子を見られるという。
俺は返事をする前に、上着の内側へ手を入れていた。指へ当たったのは、三人で借りた家の鍵だった。
「今日は帰る。晩飯の買い物がある」
「済ませてからでも、泊まれる」
「そうだな」
俺は鍵を握ったまま、もう一度だけ考えた。
「それでも、今日は帰る」
師匠は用意しかけた寝具を、棚へ戻した。
代わりに薬の袋を俺へ渡す。帰る家の場所だけ聞かれたので、教えた。泊まるための紙は、出てこなかった。
「筒の検査は、工房で進めよう。装着していた者の負担を増やす方法は避ける」
「我が立ち会う」
「もちろんだ」
そのとき、扉の向こうで足音が止まった。
受付の者が、師匠を呼んでいた。診察の患者ではなく、聖務局からの使いだという。
師匠は、部屋を出る前に俺たちを見た。
「ここにいることは、もう知られたらしい」
「隠しておいてほしかったわけじゃない」
俺は椅子から立ち上がった。
「出て聞く。俺への用なら、本人に話してもらう」
ローズも、リゼも、何も言わずに立った。
◆
使いは、灰色の服を着た男だった。
脇の護衛は入口で止められ、男だけが封書を出す。ベルナード儀礼長の招きで、今夕の公開報告会へ来てほしいという。
俺の名を用いている件と、東礼拝堂の聖具を壊した件について。
「俺が壊した話をするなら、あの像へ誰が命令を送ったかも、話すんだな」
男は返事をしなかった。
師匠はベルナードの名を知っていた。五年前、礼拝堂の儀礼を仕切った相手だという。
俺は封書をリゼへ渡した。
彼女は、行っただけで武器を預ける約束になっていないかを、先に読んだ。俺も、あの部屋で先に置けと言われたことは覚えている。
「こちらも質問する。その条件なら行く」
「儀礼長へ、そのような条件を――」
「呼んだのは向こうだろう。俺への説明を一度に聞けるなら、ちょうどいい」
男は師匠を見た。
いや、その頼み方は通じないと思うぞ。話を聞けと教えたのは、そっちの人だ。
師匠は施療の予定を確かめ、自分も終えてから立ち会うと告げた。
男が去ると、師匠は低い声で続けた。
遺体を返せと求めたとき、ベルナードは拒んだ。死後の勇者は聖遺物として教会へ帰属する、という説明だったらしい。
俺は、自分の札へ触れた。
働いて飯を食っても、向こうではまだ保管物の続きなのか。
「そういう扱いなら、本人が返事をする」
ローズが頷いた。
首元へ何もない彼女が、椅子の背から外套を取った。
「我の品名を消す話も、そいつの前でやる。汝の質問だけで終わらせるなよ」
「忘れてない」
俺は手帳を開き、二人ぶんの質問を分けた。
師匠は、書き終えた俺の字を見て、昔より少し読みやすいと言った。
いま褒めるところは、そこなのか。聞く前に白衣へ戻ったので、俺たちも聖堂へ向かう支度をした。




