02 家族
「今日は『家族』について学ぶよー」
朝食後、旭さんと私は研究所の一室にいた。
重ねられるタイプの白い椅子が二つとキャスター付きの白い長机が五列、それに隣り合うようにしてまた五列、合わせて二十人は座ることができる広めの部屋だ。
もちろん天井、壁、床は白い。左側の広い窓にはブラインドカーテンがかけられていて、強い日差しが直接当たることはなかった。
ここは時々、会議や進捗発表の場となっているらしい。だが、普段は使われることがないからと、私のプログラムの拠点となっている。
日によって用意されているプログラムは違う。研究所内を探検してみたり、所員に突撃インタビューをしたり、中庭の植物や虫を観察してみたりとさまざまだ。
暑くなってきた影響で最近は屋内でのものがほとんどとなっている。そんなふうに実施場所は変わっても、旭さんが先生役をするのは変わらない。
暑くも寒くもないくらいにエアコンが効いた部屋で、私は最前列の椅子に姿勢良く座る。
旭さんは正面に置いてあるホワイトボードに大きく「家族」と書いた。今日は座学から始まるようだった。
「さて、突然だけど愛ちゃん。『家族』ってどんなものだと思う?」
「血縁関係や婚姻関係があり、同じ家で共に生活をする人々のことだと思います」
知っている情報をそのまま口に出すと、旭さんは大きく頷いた。
「確かにそれも『家族』だね。でもね、『家族』にはそれ以外の形もあるんだよ」
「それ以外、ですか?」
「そう。たとえば、血のつながりはないし戸籍上のつながりもないけど、同じ家で共に生活している人たちとか」
キュッキュッと音を立てながらホワイトボードの左上に要点が書かれていく。「血縁」にバツ印、「戸籍」にもバツ印、それでも一つの家に住む二つの棒人間のイラスト。
気になったことや疑問に思ったことはなるべくそのときに口に出すこと。初めてプログラムを受けたときに交わした約束を思い返す。
「ルームシェアや同棲とはどう違うんですか?」
どちらも先ほど解説があった「家族」の条件に当てはまる。
だけど、ルームシェアをする相手はあくまで「他人」であって、同棲をする相手は「恋人」であることが多いはず。
旭さんは、ホワイトボードの前からこちらへ移動して、その暖かい手で私の頭をそっと撫でた。
「ナイスな質問だねー。その答えは、『人によって違う』となります」
ホワイトボードの前に戻り、旭さんはキャップをつけたマーカーペンで二つの棒人間のイラストを指す。
「ある人は『家族だ』って言うし、またある人は『家族じゃない』って言うだろうね」
それではまるで、規則性がないと言っているようではないか。
これがあるから「家族」、これがないから「家族ではない」、そんなものは存在しないのだろうか。
人は何を持って「家族」を判断しているのだろう。
血縁、戸籍、住んでいる家……だが、旭さんの言い方を考えてみると、同じ状況を見ても「家族」か「家族ではない」かは変わるらしい。
仮に、同じ家で共に生活している人たちを「家族」とするのであれば、研究所という家で共に生活している旭さんたちはどうなるのだろうか。
にこにこと私を見る旭さんをじっと見つめ返して、モノクルを上げる仕草をする博士の姿を思い出して……この二人に血や戸籍上のつながりはなかったはず。
「……旭さんと博士は『家族』なんですか?」
「おお?」
顎に手を当てて少し考える素振りを見せると、旭さんは納得したように「ああなるほどね」と呟いた。
「どうして俺と博士限定なのか聞いていい? 研究所を一つの家とするのなら、愛ちゃんも含まれない?」
「どうしても何も、私は人ではありませんよ?」
人ではなくAIoidである私は誰の「家族」にもなれない。
血のつながりなんていうものは私に存在せず、戸籍には記載されていないのだろう。親から血を分けてもらって生まれたわけでもなければ……そもそもの話、私は生まれたのではなく、造られたのだから。
ああ、まただ。また額が熱くなる。ここは涼しいというのに、水分補給を怠った覚えはないのに。
「……ということは、愛ちゃんの思う『家族』に含まれるのは人だけ?」
そうでないと言うのなら、何をもって「家族」とするのだろう。自分の手元に向けていた視線を上げる。私は大きく頷いた。旭さんは少し悲しそうに笑っていた。
「そっか。『家族』にもいろいろな定義が……それこそ、人の数だけあってね。よく言われるのは、愛ちゃんが最初に言ってくれた『血縁関係や婚姻関係があり、同じ家で共に生活をする人々』っていうものなんだけど、ペットやロボット、それこそ愛ちゃんみたいな存在だって『家族』だと言う人はいるんだよ」
所詮はAIのようなもの。人にもなれない中途半端な存在。世界でたった一つの造られた命。……それでも、私を「家族」だと言ってくれる人がいるのだろうか。私も、誰かの「家族」となり得るのだろうか。
額の熱は頭すべてに回って、時折視界がぐにゃりと曲がる。
旭さんはマーカーペンをホワイトボードのトレイに置いた。
そして、ゆっくりとした動作で私のすぐ側までやってきて、ぽん、と私の頭に手を乗せる。先ほど撫でられたときよりもしっかりと、まるで「自分がここにいる」と存在を主張しているかのようだった。
「ちなみに、俺の『家族』に愛ちゃんは含まれてるからね」
じわりと温度が伝わってくる。私はその手に自分の冷たい手を触れさせた。
気づいたら、旭さんの白衣の左胸——「斑目旭」と書かれた所員証を眺めていた。名前の隣にある写真の中の旭さんは微笑んでいる。
今、旭さんはどんな表情をしているのか。視線を上げて確かめることはできない。
代わりに口から飛び出したのは、どうやったって変えられない事実。この場で言うなれば皮肉だった。
「血のつながりどころか、私は人ですらないですよ?」
それでも返ってきたのは、困ったような笑い声ではなかった。
「確かにそうだけど、俺は別に気にならないかな。今こうやって話している愛ちゃんだからこそ『家族』というか、なんというか……」
頭から暖かさが離れる。旭さんは私が勝手に想像していた何倍も、何倍も、私が「家族」であることについて考えてくれている。
そっと見上げてみると、旭さんは腕を組んで唸り声を上げながら首を傾げていた。
「『家族』っていうのは、目に見えない『絆』で結ばれているんだと思う。血のつながりがあるといっても、『家族』じゃない場合だってある。お互いがお互いを想って、必要として、そういう役割があって初めて『家族』になるんじゃないかな」
私も考えなくてはならない。もっと、ずっと。旭さんにより良い答えを返せるようになるまで。
私と旭さんは本当に「絆」で結ばれているのだろうか。私は旭さんを想っているのだろうか。想われているのだろうか。
私は世界や人の情報を得るため、旭さんはAIoidの研究のためと、お互いに必要としているのは確かだ。
だけど、それを「家族」だと言い切ることができるほどの何かはない。
目に見えないものを、根拠がないものを、どうやって定義すれば良いのだろう。「人」であれば、信じる「心」をもって言い切ることができるのかもしれない。だが、私はAIoidだ。
考えなくてはならない。考えなければいけない。
再び額に触れた旭さんの手は、先ほどとは違ってひんやりとしていた。
目の前の表情がぐにゃりと歪む。額が、頭が、体中のすべてが熱い。旭さんの手が冷たくなったのではなくて、私の体が熱くなっただけだ。
そう気づいたときには、もう対処法がわからなくなっていた。
考えてはいけないのはわかる。考えて、考えて、考えた結果が今の状態だというのもわかる。だが、考えてはいけないと考えて、考えを止められる段階はとっくに振り切っていた。
旭さんの声が聞こえない。話している? 叫んでいる? 私を呼んでいる? 何を言っているのかがわからない。
視界の半分近くが黒く塗りつぶされている。時折ちかちかと世界が白く染まる。心臓の脈動に合わせて、ずきんずきんと頭が痛む。
考えてはいけない。それでも……私に考えることは許されていないのだろうか、AIoidに考えることは許されていないのだろうか。
もっともっともっと、考えなければいけないのに。考えて、答えを見つけなければいけないのに。
視界の八十パーセントほどが黒く染まり、旭さんが遠くなる。異常な熱さも、心臓の動きも、頭の痛みも。すべての感覚が離れていく。私はどうなってしまうのだろうか。私が私としていられなくなってしまうのだろうか。
だとしたら、それは——
休止命令、■■■■■■を確認、受託しました。
AIoidシステム、強制シャットダウンを行います。
カウントダウン開始。
……五、四、三、二、一——……。
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