陽光⑤
……も……ど。
……いし……も……どる。
……意識……が……も、どる。
……意識が戻る。
意識が戻った。それでも瞼は意思に反して閉じたままだ。
……何故だろう、心臓の鼓動が感じられない。そう思ったのも束の間、心臓は再起動をしたかの如くドクンドクンとまた鼓動を刻み始めた。そうすると、身体のいたるところが心臓の再起動に呼応するかのように起き上がるのが感覚として分かった。
今の俺はまるで、脳みそだけを触覚としているクラゲみたいなものだった。いや、クラゲには脳みそは無いけど……。身体のいたるところが再起動し起き上がり切ると、そうしてようやく俺の瞼は開くようになった。
瞼を開いた俺は、目が衝撃に曝されたように目が眩んで、こんなにも世界は眩かっただろうかと思った。最初のうちは身体に力が入らず、首を動かす事すら出来なかったが次第に全身に力が入る感覚を覚えはじめた。そして、俺はやっとベッドの上に起き上がることが出来た。
すっかりと時刻は夜になっていた。窓の隙間から入ってくる夜風が心地よい。
俺は腕を見た。腕からボトボトと吹き出るように出ていたはずの血は止まっていた。しかも、包帯が巻かれちゃんとした処置がなされていることに気がついて、俺は驚いた。いったいこれは誰が……?
「うわっ!」
ふと側に目をやると、胡乃葉が優しい目つきで俺のことを見ていた。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」
胡乃葉はそう言って微笑を浮かべた。そんな胡乃葉の微笑につられるように、俺も自然と口角が上がった。
「この包帯は、胡乃葉がやってくれたの?」
俺は目を擦りながら言った。
「ええそうよ、でも、自傷行為なんてあなたらしくない」
……。
「……察してほしいな、色々と」
「もちろん察してる。何もかも。でも察した上で私はそう言ってるの」
意味が分からなかった。傷口を抉るような真似はやめてほしい。
「じゃあ、なんでそんなこと言うの……」
「あなたが弱い人間には見えないから」
「……どういうこと?」
「……最近になって気づいたけど、あなたはよく、どっかに行ってるわよね?」
「そりゃあ、売店に行ったりシャワー浴びに行ったりご飯食べに行ったりはするけど」
何故そんな今更過ぎることを今……。ああ、頭痛い……。
「そうじゃなくて、現実から消えているよね? ってことよ。夜に多いけど、眩い光りとともに現実から消えてしまう……。ねぇ、あなたがどこに消えて行っているかはまでは訊かないけど、ひとつ言わせて。……あなた、この世界の人間じゃないわよね?」
一瞬、時間が止まったように世界から全ての音が消えた気がした。
そして、数拍の間が我々を通過した後、世界の全ての音は戻り止まっていた時間もまた動きはじめた。
――特異性のない、記憶の忘却の影響をしっかりと受けているはずの胡乃葉が、何故そんな事を言えるのだろう? いや、理屈なんてどうでもいい。実際、俺の目の前で今胡乃葉は、俺が特異性を持っている人間――すなわちこの世界の人間じゃない――と暗に指摘したのだから。その事実だけで、充分驚きだ。
詳しいことは俺だって分からないし、この列車内の秘密なり事情なりも全てを知っているわけじゃないが、特異性を持っている時点で、胡乃葉の言葉通り俺はこの世界の人間じゃないと言えた。そして、この列車内の秘密や事情を知らない、この列車内が世界の全てと思い込んでいる胡乃葉は、この世界の人間と言えた。
だが、その定義も今や瓦解しようとしているように思えた。それは、他ならぬ目の前の胡乃葉の発言によって。
「ああ……そうだよ、俺はこの世界の人間じゃない」
俺は真っ直ぐ胡乃葉の目を見つめながら素直に答えた。
すると胡乃葉は、はぁ、と一度息を吐き、俺の隣りに座ってきて俺の手を握ってきた。胡乃葉の手の温もりは、俺を深く安心させた。
「冗談でもなんでもなく、あなたが本当にこの世界の人間じゃないのであれは、あなたはここに居るべきじゃないように思うの。何故だか分からないけどそう思うし、実際にあなたは強いはずよ」
俺の言葉が、もしかしたら記憶の忘却に弾かれて胡乃葉には伝われないんじゃないかと思ったが、それはいらぬ心配だったらしい。胡乃葉の言葉は、何故だか俺の胸に深く浸透した。
強い――その言葉の真意は分からなかったが、その言葉は胸の奥まですっと入り込んできて、すごく温かみのあり安心感のある言葉のように感じられた。じんわりと、心をほぐしてくれるような、そんな言の葉。
やっぱり、俺はこの列車内の人間じゃないんだ。そして、今の俺はここから現世へと戻りたいという気持ちもあるんだ。だから本当に、俺はこの列車内から一刻も早く帰らなくちゃならないんだ。
そう、俺は強く、決意を固めた。
俺は胡乃葉にハグをした。
「ありがとう……本当にありがとう……」
自然と涙が溢れていた。
そんな俺を、胡乃葉も抱き返してくれた。
――そんな出来事から五時間後。俺は暗室にて、ベラトリックスでもない第三の見知らぬ存在によって、視界を奪われていた。




