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愛とシトラス⑦

 翌日の俺達は、またいつもと変わらない関係性に戻っていた。


 それでも昨日の非日常的な体験が訪れる前のような状態に、完璧に戻ることはないのだろう。形あるものはいつかは壊れ、一見全く同じように見えても実際にはそれを完璧には修復することができないのと同じように、胡乃葉との関係性が前と同じような状態に戻ることはないのだろう。


 それでも胡乃葉は何気ない表情で、全くいつもと同じ呼吸とリズムで生活をしていた。昨日のセックスのことを気にしているのは俺だけのように感じられてしまう。もしかして、昨日の出来事は俺の妄想だったのではないか? そうであった方が納得できてしまうほど、目の前の胡乃葉はいつも通りの胡乃葉だった。


 俺はセックスのことが頭の中から片時も離れず、まるで反芻するようにこの日一日で四度もシャワーを浴びて身体を洗った。それはまるでアズサへ対する罪滅ぼしをするかのように。


 四度目のシャワーを浴び終わった後、俺は展望室に行って涼んだ。


 部屋に戻ると当たり前だが胡乃葉がいて、落ち着けるものも落ち着けない。


 濡れた髪の毛をわしゃわしゃとタオルで拭きながら、ペットボトルの緑茶を飲みながらふと考えていた。それは、ベラトリックスのことを。


 最近の俺は、昨日を除いてベラトリックスのことを絶えず思案し続けていた。まるで恋でもしているかのような相手に対する好奇心、純粋な探究心、ベラトリックスという男の何もかもを俺は知りたかった。頭の中をベラトリックスの話題が占領し続け、最近では夢にまで出てくるくらいだ。朝起きてから夜寝るまで、俺の意識はまるで乗っ取られているかのようにベラトリックスの事でいっぱいだった。


「ベラトリックスと俺は、ある意味似た者同士なのかもしれないなぁ」


 ふと口から溢れた。


 その時だった。突如俺の隣りにベラトリックスが現れた。


 俺はその場から勢いよく立ち上がった。飲んでいたペットボトルのキャップを閉めながら距離を取った。


 だが、眼前に捉えているベラトリックスはいつもとは少し雰囲気が違った。それは、ミルキー・ベインが開くパーティー会場で見たあのベラトリックスと同じ、ある種の違和感を感じられるベラトリックスだった。ベラトリックスはずっと不気味に真正面を向いて俺がさっきまで座っていた椅子の隣りの椅子に座っていた。


 そんなベラトリックスに対して、俺は目線を配れば配るほど恐怖感というのが何故か不思議と和らぎはじめていった。これはベラトリックスだけど、ベラトリックスじゃないんだ。パーティー会場の時もそうだったように、目の前にいるベラトリックスもきっと幻影なんだ。そう思うと、謎の違和感もすんなり受け入れられた。


 ベラトリックスのことを考えすぎて、幻影が見え始めたか……。


 俺はベラトリックスの隣りの、さっきまで自分が座っていた席に腰を下ろした。やはり、こうして真横にまで近づいても、本物のベラトリックスに感じられるピリピリするような空気感や威圧感みたいなものは一切感じられなかった。


「お前は俺の何が知りたいんだ?」


 ベラトリックスは不気味に真正面を向き続けながら軽く口を開いた。


 俺は溜まった唾を一度飲み込むと、虚空を見つめながら言った。


「色々ありすぎて分からないな。でも強いて言えばひとつある、それはお前の過去のことだ。それを知るためにはTwilight in the Roomにでも入ってお前の記憶が入っている小瓶でも探した方がいいかもしれないな」


 まぁ、もう小瓶なら一つ手にしてあるけど――と、俺は内心呟いた。


 勿論これはベラトリックスに対するジャブに過ぎない。まぁ、ベラトリックスと言えど幻影にジャブが効くのかどうかは知らないが。


 ベラトリックス(の幻影)は何か自問自答でもしているのか、首を上下左右様々な方向に動かして、今にも何か言葉を紡ぎ出そうとでもしているみたいな挙動を見せた。


「そうか、でも言っておく。別に俺の過去を知ったところで不利になり嫌な思いをするのはお前だ。俺の過去を知ることが、お前にとって良いこととは思えない」


 このベラトリックスは口調が優しかった。優しいというか……ああ、虚勢がないんだ。数少ない本物のベラトリックスと対峙した場面を思い出してみて比較してみると、本物に比べてこのベラトリックスはどちらかというとベラトリックスの素に近いような感じがした。そう感じられるくらい、このベラトリックスにはどこか親近感みたいなものも感じた。


 少しの沈黙の後、俺は言った。


「忠告ありがとう、優しいな、お前は。でも、どうして俺がお前の過去を知る事が、俺にとって不利になることなんだ? 確かに嫌な思いにはなる可能性はあるかもしれないが、不利になるっていうのがよく分からない」


「色々さ。まぁそんなに気になるんだったら来いよ、俺のTwilight in the Roomへ。そうじゃなくともどうにかして俺の記憶を見つけ出せ、そして見てみろ、俺の記憶を探る事がどれだけ無駄でお前にとって無意味なことかを思い知るがいい。でも、本当に見るだけ無駄だよ。本当に……本当に……できることなら、見ないでほしい……」


 最後の方になるにつれ、言葉はやけに弱々しくなっていった。


 そして、ベラトリックスは猫背になり、自分の膝を抱えて椅子の上で丸くなってしまった。


 これが……ベラトリックスの本当の姿……なんだろうか。凄い弱々しい、衰弱した野良犬みたいに見える。


 俺はもうこれ以上、目の前のベラトリックスが口を開いてくれることはないだろうと直感し、部屋に戻ることにした。去り際に、丸くなったベラトリックスが、そのままの姿勢で庇護欲を掻き立てられるような弱々しい口調でこんなことを言ってきた。


「知らない方がいいこと、首を突っ込まない方がいいこと、人生には沢山あるよ」


 俺は内心――ああそうかもな、と呟いた。

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