welcome to underground⑤
そのままの流れで俺はノイジー・パーキンソンのいるBARへと足を運んだ。
彼に会う時、何故だかは分からないが、いつも言葉にならない緊張を覚える。まるで、できるのであれば行きたくもない修羅場にわざわざ足を運ぶかのような感覚すら覚える。そのくらい、俺にとって彼は、BARのマスター以上の異常な存在感があった。
俺はBARへと続く階段を上ると、空気感が明らかに違う場所へと辿り着いたことを体感する。BARにいると、何故だか時間の経過というものが感じられなくなる。そしてそれは、今入ったばかりの俺にも通ずることだった。入った瞬間に、時間の停滞を感じ、まさかとは思うが、時間が逆行するかのような時間感覚のバランスが取れない感覚に侵された。
マスターと一度軽く目が合う。夜中と違って昼間だからかあまり席が空いていない中、かろうじて空いていたBARカウンターの席に俺は座ろうとした。
「大事な話なら夜に来てくれないか。我々の会話は周りに人が少ない方がじっくり浸ることができるからね」
そんな俺に、マスターはまるで牽制を入れるかのように言葉を突き刺してきた。
俺は一瞬、心の中に直接手を突っ込んでこられたかのような気持ち悪さというか、嫌悪感を覚えた。だがすぐさま心の冷静を保ち、一言返してからその場を立ち去った。
「わかりました。楽しみにしてます」
夜と言っても俺が出向いたのは深夜と呼べるような時間帯だった。
言われた通りに俺はBARに再度出向くと、BARは貸し切り状態になっていた。
まぁ、この時間帯のBARは大体貸し切り状態だから、わざと客を入れなかったとか、そういうことではないだろう。そしてそんな貸し切り状態の中で一人、グラスを磨いているマスターの姿というのは、俺に妙な気持ち悪さを与えた。俺はマスターと目が合うと――マスターと俺の、二人だけの世界に入る覚悟を一度心の中で決めてから、マスターの目の前のBARカウンターの席に座った。
軽い度数のカクテルをマスターは出してきた。俺はまずはそれを一口飲んで、この場に心と身体が馴染むよう努めた。
「改めて来てもらって悪いね」
「いえいえ、自分の方こそ、忙しいお昼時に出向いてしまって申し訳なかったです。でも……今は貸し切り、我々の会話は周りに人が少ない方がじっくり浸ることができるから、丁度いいじゃないですか」
俺がそう言うと、マスターはニヤリと、本心ではなさそうなパフォーマンスとしての笑顔を見せてきた。
「おいおい、こんな若くもなく、君のように先に期待をすることもできない老人を虐めるのは辞めておくれよ……」
その言葉は俺に向けられたものではなく、まるでマスターが自分自身に向かって暗示をかけているかのような言葉に聞こえた。今日のマスターは、なんか変だった。表情が少し暗いというか……いつもと違って硬い表情をしているような。俺はそんなマスターの表情を上目で軽く見つつ、カクテルを飲み干した。
目の前の現実に対して、俺は普通に冷静だった。だが、頭の中では酷くノイズが走っていた。ベラトリックスという男に対する疑問という、ノイズが。アズサのためと言いながら、今の俺は純粋にベラトリックスのことを知りたがっている。それが自分自身でも分かる。だがそのノイズも、目の前の男との会話次第では、急激に終わりに近づくだろう。いや、少しでも終わりに近づかせなければならない。……全てを、終わらせなければならない。
どういう訊き方がよいのか、この列車内で目醒めたばかりの俺であれば迷っていただろうが、今の俺にはそんな回りくどい方法など微塵も選択肢に入っていなかった。
「ベラトリックスという男は、どういう人間だったのですか? この列車内に存在する唯一の一人部屋、その一人部屋の欠員は、この列車内とは違う領域を住処としている。それに対して嘘をついても無駄ですよ、だって俺、実際に行って来ましたから。暗室、そしてTwilight in the Room、そのどちらにも。俺は別に、貴方とベラトリックスの間にどんな関係性があろうとも、いいんです。どんな過去があろうとも、そこにもしかすると後悔の様な感情もあるかもしれない。でも、別にいいんです。あなたを責めようとしているわけではない。俺はただ、ベラトリックスという男についての情報を知りたいんです」
すると、ノイジーは何か吹っ切れたかのような表情をしだした。それが何かしらの肩の荷が下りたことによる表情の緩みなのか、それともただの諦めなのか……それとも自暴自棄か。まあどちらにせよ、マスターの表情は一度険しくなったあと急速に弛緩した。怖いくらいの表情を変化。俺はその変化を見て、手応えを感じた。
「あまり良い評判はアイツにはないよ……」
マスターは、湯気が立ち甘みが香るカフェオレを俺の目の前に出しながら呟くように言ってきた。
「確かに、キビト君が言うように、この列車内に存在するたった一つの一人部屋の欠員は、ベラトリックスによって引き起こされたものです。彼自身の人格や生い立ちを除いても、彼がこの列車内の異物であり異常そのものであるということは否定しようがない。それと、前に私が、貴方に対して、ベラトリックスについての情報や彼が引き起こした事象などを誤魔化してしまったことを、どうかお許しください。ですが、それには深い訳があるのです。その深い訳だけは、どうしても話せないのです。それも同時にお許しください……」
「別にそれはいいとして、ベラトリックスに関する情報をできるだけでいいので教えてもらうことはできますよね?」
「それは勿論お話しさせてもらいますが、その前に……何故そこまでベラトリックスのことを知りたがっているのですか? それさえ教えていただければ、私の方もスムーズに話すことができます」
「言ってなかったですけど、俺、全ての記憶を取り戻したんです。そして、気づいたんです。最愛の女性が俺にはいたこと、そして、その最愛の女性がベラトリックスに約束というか用事があるということをね。でもその彼女は生憎死んでしまったんで、最後の約束を俺が背負っているといった感じです。彼女の用事は、俺の用事なんでね」
「そうですか……ならば、より大変な窮地に立たされたと、貴方様は言えるかもしれませんね。彼は……ベラトリックスは……アメリカの貧困地区で生まれた元孤児でした。そして現世にいた時は――――……」
「大丈夫ですか!?」
それは突然のことだった。
マスターは急に目の前で意識を失って、BARカウンターへと前のめりに倒れ込んだ。
俺はすぐさま伏せた状態になったマスターの気道を確保し、BARカウンターの奥へカウンターを股がって入り、近くにあった背もたれのある木製の椅子にマスターを座らせた。俺は一瞬のことに何が何だか全く分からなかった。頭で理解するよりも先に、身体が無意識的に動いていた。
しばらくすると、マスターは意識を取り戻し自分で椅子に座り直した。気を失ってから意識が回復するまで、僅か五分の出来事だった。
「大丈夫ですか? いきなり意識を失って……」
「これだからアイツの話をするのは嫌なんだっ!」
これまでに一度も見たことないような剣幕でマスターは怒鳴るように吐き捨てた。
アイツの話……意識を失ってから取り戻すまでの一連の事象が、まさかベラトリックスと関係しているというのか?
「はぁ……はぁ……はぁ、ごめんね……悪い悪い」
息が絶え絶えになりながら、マスターは言葉を紡いでいた。
「一体どうしたんですか?」
「キビト君、君はベラトリックス本人に会ったことあるのかな……」
いきなりなんだ? と思いながらも素直に答えた。
「ありますよ、二度ほど」
「そうか……よく死なずに帰ってこれたものだな……。アイツはな……君と同じように特異性を持った人間なんだ。記憶を全て取り戻したとさっき言っていたね? ならば、君は自分の能力も完璧に把握しているはずだ。君の能力は一体どんなものだい?」
「壁や床や天井とかの、物理的障害を通り抜けられる……っていうものですけど」
「そうか……まぁ悪くはないな。だがその能力でベラトリックスとやり合うのは少し難しいかもしれないな。アイツの能力はな……――」
マスターは意識を失った。
俺は椅子から落ちそうになったマスターを倒れないようになんとか支えた。
俺は冷や汗をかいた。冷や汗が身体をツーっと流れ落ちていくのがやけにありありと感じられて、今にも手の力が抜けそうになり、それをなんとか我慢しながらマスターを再度椅子に座らせた。そして俺は符号した。目の前で起きた一連の出来事、そしてマスターの言おうとしたが気を失うことによって言えなかった言葉達。……まさか?
まさかとは思いながらも、そうとしか思えないのもまた事実だった。
――ベラトリックスは、他人の意識に干渉する能力が使えるのではないか?
………………。
そしてまた五分ほどすると、マスターは意識を取り戻した。だが一転、さっきとは違って強く怯えているような表情になっていた。冷たく硬い、血の通っていない表情に。
俺は、今日はもうマスターがこれ以上の会話ができなさそうな様子を見て、帰ることにした。怯え冷たく硬い表情をしているマスターに部屋に帰ることを伝えようとしたが、何度声をかけようともマスターはこんな言葉を繰り返すばかりで、俺の言葉など届くことはなかった。
「――夢なら早く醒めてくれ夢なら早く醒めてくれ夢なら早く醒めてくれ夢なら早く醒めてくれ」
俺は、目の前のマスターが悪夢のような深淵の中に突き落とされていることを感じ取った。その様子は外から見ているだけでも鳥肌が立つような怯え具合で、見ているこっちまで恐怖に支配されてしまいそうなほどだ。
こんなにも他人に影響を与えるベラトリックスの能力……お前は本当に一体何者なんだ?




