welcome to underground③
列車内へと帰ってきた俺は、抱えている滾る気持ちをどうにかするべくシャワーを浴びた。
久しぶりに帰ってきたような感覚すら覚える列車内を生きる気持ちというのは、前とは全く違うものになっていた。それは勿論、自分自身が記憶を取り戻したからである。
人間は今を生きている。過去と現在、そして未来は同じテーブルの上に並んでいて、そもそも記憶そのものが曖昧なものである以上、時間の流れすら、今の俺にとっては信じられないものに感じられる。それでも、目の前の時間だけは唯一とも言えるような確かな現実で、いちばん大切にすべき最大のリアルである。
俺は、もう俺じゃない。前のような自分ではないのだ。ただそんな事実と感触だけが、記憶を全て取り戻した今の俺には残っていた。
列車内へと帰ってきてからというもの、俺は列車内での日常が驚くほどつまらなく感じられはじめた。それは記憶を完全に取り戻すというひとつの大きな目標を達成したからというのもあるが、それ以上に、取り戻した記憶によって自分が自分だと感じられなくなった事が一番大きい。
大きな虚脱感、本当の自分に回帰したことによる自己嫌悪。社会的なペルソナや肩書き、与えられた立場を全て取り外せば、よい意味で人間なんてある種そんなものだと言えるかもしれないが、いざ実際に〝お前とはそんなものだ、そういう人間なのだ〟という事実を突きつけられると、生きる気力は蒸発した。少なくとも今の俺は、自分自身に対して、まるで赤の他人の身体に魂を入れられてしまったような新生の気持ちを感じていた。身体の疼きは止まらず、こんな感覚は今までの自分にはなかった……。
だから、ここ三日間ほどの俺はただ寝てただ食べるだけの、抜け殻を抜けきれない爬虫類のような生活をしていた。そんな自分に対して、胡乃葉はなんにも言ってこなかった。
それは抜け殻を抜けきれない爬虫類のような生活をし始めてから三日目のお昼頃に起こったことだ。俺はふと、この列車内にある違和感を抱いた。違和感を抱いてから、より感覚を意識的に研ぎ澄ませてみると、やはり、列車内の違和感はより強く感じた。列車内から、人間が少し減ったような違和感を俺は感じたのだ。だが、これまでの雰囲気から察するに、この列車内特有の現象である本当の死後の世界へ誘われる事象が起きたわけではなさそうだ。そして、補充されてきた人間達も見当たらない。
その日の夜、俺は胡乃葉と食事を共にした。その時に、昼間ふと感じた違和感をそのまま直接ぶつけてみることにした。
「ねぇ、俺の違和感だったら別にそれでいいんだけど、列車内にいる人の数が少なくなっているような気がしない?」
「そんなことより、あなた一人称いつから『俺』になったの? 最近話すことがほとんどなかったから気づかなかった」
「……まぁ色々あるんだよ、俺にも」
「それに、なんか前のあなたとは違うような雰囲気を感じる。人が変わったみたいな」
「そうかな? ……どんな風に俺は変わったように感じる?」
「なんか、前と比べて刺が付いたような雰囲気になったというか、どちらかというと前は柔らかい雰囲気を感じていたんだけど、今は薔薇みたいな雰囲気になったような感じがするのよ」
薔薇……か、それが本当の俺だということだろう。
「変……かな?」
「いや、別に。逆に今の方が男性としては魅力的ではあるかもね」
「そっか」
ならよかった、そう俺は言葉を付け足して、しばらくして思い出したように本題に戻った。
「それでさ、さっきも言ったんだけど、やっぱり列車内から人の数が少なくなっているような気がするんだよ。それって俺の勘違いかな?」
「少なくとも勘違いってことはないと思う。あなた知らないの?」
「何を?」
「周りに人がいるここじゃあまり話したくない。部屋に戻ったら教えてあげる」
食後に入っていた胡乃葉とは違って、まだ半分ほどステーキとライスが残っていた俺は、爆速で食事を終わらせた。
部屋に帰るやいなや、ベッドに腰掛けた胡乃葉に俺は立ったまますぐに話を訊いた。
「それで、周りに人がいると話せないような事が、プライベートのプの字もないような全てが筒抜けなこの列車内にまだあるってわけ?」
「ええ、そうね。あるわよ。今の時期はね、そういうことに興味がある人間は皆ミルキー・ベインの開くパーティーに参加しているのよ。だから列車内に人が少ない」
初めて聞く名だ。ミルキー・ベイン、そいつがパーティーを開いているとしても、そんなパーティーが開けてなおかつ列車内から人が少ないということは、この列車内で開かれているパーティーではないということになる。じゃあ一体どこで? どこでそいつはパーティーを開いているんだ?
「どこでそのパーティーは開かれてるの?」
「さぁ? 私そういうことに興味ないし」
「そういうことって、どういうこと?」
「パーティーで実際にどんなことをやっているかは私にも分からないわ。ただの噂でしか聞いたことない。ただの噂話よりも、ミルキー・ベインという男の説明を聞いた方がいいと思う。聞きたい?」
「教えてくれ」
「ミルキー・ベインはね、この列車内における闇市の総支配人なのよ。そのミルキー・ベインが開く秘密のパーティー。まぁ、秘密って言ったって周知の事実だけど」
パーティー……パーティーねぇ……どこかで前にも聞いたような気がするぞ? ……でも思い出せない。
「今のような時期には毎回パーティーが開かれるのが慣例みたい」
「そうなんだ、ありがとう」
俺はそう言い、部屋から出て、頭の中を整理するために展望室へと向かった。
俺は依然として、頭の中で『パーティー』という単語が引っかかっていた。一人になれば、頭の中に引っかかっているパーティーのことも、何か思い出せるかもしれない。
……あれ……もしかして……。
パーティー? 展望室? ……誰か…………ああそうだ、展望室で出会った日本人に教えてもらった憶えがあるぞ。確かそいつの名前は、下柳豪介。この列車内で珍しい同じ日本人だったから憶えている。確か豪介はパーティーについてこう教えてくれたはずだ。
――〝パーティーと言っても、これは子供が楽しめたり大勢の人間を集めて開催するような典型的なパーティーではない。この列車内に子供はいないけど、どちらかと言うとこのパーティーは大人向けだよ。皆とは言わないけど、結構な数の人間がこのパーティーに参加して、日頃の生活で溜まったストレスや疲れを快楽で消していくんだよ。ここまで言えば、このパーティーが危ないパーティーだっていうことはなんとなく分かるよね? そしてこのパーティーでどんな事が行われているかということも〟
そして俺はこう返したはずだ『つまり、乱交パーティーってこと?』と。
それに対して、豪介はこう答えたはずだ。『皆まで言うな』と。
豪介からその話を聞いた時、俺はベラトリックスとの関連性を見出した。列車内とは違う場所で行われている時点で、ベラトリックスが関わっているに違いない、と。
俺はふと、アズサから受け取った最後の約束であるペンダントのこと思い浮かべた。もう、進むべき進路は決まっていた。




