悲しみの湖畔⑧
その日の自分も、いつもと同じように帰路についていた。
アズサとのキスの余韻をいまいちど味わいながら、何ら変わらないクソみたいな抑圧された日常、それが今すぐこの瞬間にでも壊れてくれればいいのに――そう思ったことは数知れず。だが実際にそうなってしまって初めて、如何に日常が尊いものだったのかを自分は知った。
自分はアズサとのキスで頭がいっぱいになりながら家の敷地に着いた。着いたのだが……家は全焼していた。
突然のことで、何がなんだか分からず頭がパンクしそうになる感覚が自分を襲った。家はもう全焼しきった後のようで、所々灰と化したかつて家だったものを見ていると、自分はもしかしたら疲労とストレスで幻覚を見ているのではないか? と思った。とうとう幻覚を見てしまうくらい抑圧がピークに達したのか?
何度目を擦ろうとも、何度気持ちを落ち着けようとしようとも、目の前の現実が変わることはなかった。そして自分はふと思い出したかのように灰と化した家の下敷きになっているであろう両親を捜し始めた。(何故家が全焼しているのか、これから自分はどうなってしまうのか、完全に火が収まっている状況を見ると、火災は長時間続いていたものなのか――等々、そのような諸々の考えはこの時には全く浮かばなかった)。
自分はただ無我夢中に、瓦礫の山を掻き分けて瓦礫に下敷きになっているかもしれない両親を捜した。恨んでいるのにもかかわらず、抑圧を受けているのにもかかわらず、殺したい、消えてほしいと思っているのにもかかわらず。(後から思った事だけど、完全に結果論ではあるが、もしこの時の自分に一言声をかける事が出来るとしたら、自分は迷わず瓦礫を掻き分けても良い結果は訪れないと言うだろう)。
両親の焼死体を見つけた自分は、思わず後ずさりをしてその場に座り込んだ。
でも自分は、両親が死んだことについては全く悲しくなんてなかった。ただ、しばらくの間気が動転していて、酷く気分が悪かった。死体を見るのは初めてじゃなかったけど、まぁ死体なんて元々別にいいもんじゃないが、焼死体だけはもう見たくもない……。
気の動転が多少収まると、自分はアズサに電話をした。アズサは中々出なかった。二十回ほどコール音が鳴り響いた後に、アズサはやっと電話に出てくれた。
「どうしたの?」
アズサの声を聴いただけで自分は大粒の涙を大量に流していた。自分は絞り出すような声で言葉を紡いだ。
「家が……全焼して……親が……二人とも死んでた……」
両親が死んだことは別に悲しくなんてない……。恨んでいたんだ、憎んでいたんだ……。
自分からの電話を受けて、アズサは足早に自分の家だったのものがあった場所へ来てくれた。そして、アズサは身を寄せながら話を聴いてくれた。
「恨んでた? 憎んでた? ……大粒の涙を大量に流しながら言ったって説得力ないよ……」
自分のことを抱き寄せながら頭を撫でながらアズサはそう言ってきた。
自分は両親を恨んでいた。いや、死んでいった今も尚恨んでいる。なのに、どうしてだろう? ……とても涙が止まらないんだ。
アズサが警察と消防を呼んでくれた。その後の事はあまり憶えていないが、事件? 事故? 後の自分は周りの大人達に促されるままメンタルの治療に専念することになった。
どうせ家も焼失し、行くアテもない、抑圧もされない心の休息が果たせる環境であればもう……どんなところに行ったっていいと思った。自分はメンタルの治療を開始するまでは祖父母の家に居た。でも祖父母の家はオクトーヴァーから凄く遠いから、祖父母の家に居た短い期間の間は一切アズサに会うことができなかった。それに祖父母の家はあまり居心地の良い環境でもなかったし、全メンタルの治療の為に当時は通院していたアイリック・カンザスエイト精神医療センターからも凄く遠かったから、今すぐにでも入院してオクトーヴァーに戻りたい、アズサに会いたいと思っていた事を強く憶えている。
列車内にて、アミリーと、自分の特異性を用いて入った書斎の中にもその名前が沢山あった『アイリック・カンザスエイト精神医療センター』という病院。あの書斎に行った時にはまだこうして記憶を全て取り戻していなかったから分からなかったが、自分はその病院で、大きな体験をした。
そしてそれは自分の事でもあるが、個人的にはいちばんアズサにまつわる事だと思っている。
記憶の追憶はアズサの死へと段々と、だが着実に近づいていっているため、あまり反芻したくない気分にはあるが、この列車内から抜け出し、そして地球へと戻る為の何かしらのヒントみたいなものを見つけるためにも、自分は再度意識をフォーカスさせて記憶の続きを辿ることにした。




