悲しみの湖畔
これまでと同じようにファイルの中の世界に吸い込まれて、身体が現実から異世界へと転送されていく感覚の中に今回はひとつだけ違う感触を覚えた。
それは、何か懐かしさを覚えるような感触であり、それとともに小瓶の中に詰められている記憶の断片がどんなものであるかを自分はすぐさま理解した。
その記憶には大きく数えて二つの記憶しか存在しないと言ってもいいだろう。まず一つは、自分が世界で一番愛した女性であるアズサとの、淋しくも幸福に満ち溢れた記憶。そしてもう一つは、ただただ冷酷で残酷な〝日常〟という名の地獄の記憶である。その記憶には大きく分けて二つの記憶しか存在しないと思ったが、そもそも自分の人生にはその二つの記憶しか存在しないことに気がついた。
端的に言うと、小瓶の中に詰められていた記憶は数年前――正確には七年前ほど前になるだろう――頃の自分自身の記憶だった。異常なほど感じる引力には間違いがなかったわけだ。だが今までとは違い、小瓶の中に詰められていた記憶は断片ではなく、己の全てだった。
俺は、己を己たらしめる記憶の全てを今、手にした。
だが不思議なことに、ファイルの中の世界に飛び込んだ自分が入り込むことができる世界は限定された。つまり、記憶は全て戻ったものの、実際に目の前の現実として捉える事が出来るのは何故か極々一部のピンポイントな場面だけであったということだ。
それは、エリナー・ヴァンテージの取り調べの映像の世界に入った時みたいに、取調室のあの限定的な空間には入ることはできたが、それ以上は外には出ることができない。その時のように、今回もとあるピンポイントな場面だけが自分の目の前の現実として現れた。だが、記憶を全て取り戻した上で、自分にひとつだけ疑問が残った。
それは、その思い出した記憶の全てが、日付としては何故か、七年前の記憶という風になっていた。この列車内での日付というのは二千十五年だと聞いている。その一方で、自分が飛ばされた世界の日付は二千八年のものとなっていた。何故それが自分が地球で生きていた頃の最新の記憶であるのか、とても不思議に思った。この空白の七年という歳月は、一体なんなのだろうか?
走馬灯を見つめるように、昨日のことのように思い出すことができるありありとした記憶を何度反芻しようとも、その謎は解けぬまま記憶は最後の光景まで辿り着いてしまう。何か引っかかるところはないか? 何か見落としているところはないか? そう思いながら何度も何度も自分は記憶を正確に振り返った。そして振り返る度に、死んでしまう前のアズサの天使のような女神のような笑顔にぶち当たり、自分の気分は酷く萎えた。
自分が振り返る事が出来る最新の記憶というのは、病院にいる記憶だった。その病院がどこかというのも、今ではハッキリと明確に思い出すことができる。その病院の名は、アイリック・カンザスエイト精神医療センター。そう、今日自分の特異性を用いてアミリーを連れて潜入したあの書斎で、頻繁に目にした病院の名と同じである。
なんであの時、書斎に行った時気がつかなかったんだろう……。
そんな事を思ったって仕方がないから、自分は多少気持ちを落ち着かせると、記憶の反芻を再度繰り返した。自分が地球に存在していた頃の最後の記憶である、アイリック・カンザスエイト精神医療センターという場所。あまり良い思い出がある場所ではないが、何故そこで突然分断されてしまったように記憶が途切れてしまっているのか、自分は思い出したくもない記憶に途中出会いながらも、全て思い出すことができた記憶を何度も何度も反芻することを続けた。
何度も反芻する中で、自分はまるで物を整理している途中にふと突然懐かしいアルバムに出会ってしまった人間のように、とある一日の記憶に自然とフォーカスを合わせた。その日の日付というのもちゃんとしっかり明確に憶えている。二千八年の八月二十日。今から七年前、自分の記憶が突然分断されてしまったように途切れてしまったのと同じ年に起こった出来事である。
その日は、アズサと初めて出会った日である。
どんな日でもそうではあるが、その日だけはより一段と深く思い出すことができる。思い出せば思い出すほど生前のアズサの姿に胸の苦しさを覚えたりもするが、自分はより深くその日の記憶にフォーカスをした。フォーカスをしていけばしていくほど、まるでその日の自分に立ち返っているような気分になった。
どんどん時間の逆行は進んでいく。時間の逆行、過去へのフォーカスは次第に現実を消していき、僕は今この瞬間、二千八年の八月二十日の頃の自分自身と一体化していた。
この日のことは、一生忘れることはないだろう。そして、地獄のような日々のことも。




