表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/77

暗室⑦

 一度消え失せた意識が、良くも悪くも皮肉なことに今の自分にとって一番安心することが出来る列車内(アイリッシュ)の自分のベッドの上で再構築されたとき、自分の身体にはびっちゃりとした汗が垂れ流れていた。少しばかりの雑音が、先ほどまで暗室に居たからだろうがとても大きく聞こえ、そしてそれが今は凄く自分を安心させた。


 ベラトリックスの誘いを受けるかどうか、検討期間は一週間。一週間後にノートパソコンに送られてくる自分の記憶の断片の中に入れば、交渉成立。この一週間はその事が頭の中から消えることはないだろうな、と、ベッドに勢いよく倒れ込みながら思った。


 検討期間は一週間あるものの、自分の中ではもう答えは決まっていた。だから一週間後だろうと後数分後に決断を求められようと、自分にとってはあまり関係のない事だった。だが……せっかく一週間あるわけだし、色々と手に入った新情報と合わせて改めてノイジーに訊きにいくとしよう。もしかしたら話している最中で、何故あんなにベラトリックスがノイジーを嫌悪していたかが分かるかもしれないし、ノイジーだって何かボロを出してくれるかもしれない。


 ベッドから起き上がると、早速ノイジーの元へ行こうと思い、部屋のドアを開けた。


 そのときだった。


 服を掴まれた感覚を覚え、自分は若干の驚きを抱きながら振り返った。振り返ると、そこには自分の服の袖口を掴む胡乃葉の姿があった。そりゃそうだ、この部屋には自分以外胡乃葉しかいるはずがない。というか、こんな深夜帯に胡乃葉が起きているだなんて珍しいな。


 胡乃葉はまだ少し眠気を帯びているのか、目線は床を捉えていた。だが、自分の服の袖口を掴むその姿は、夢遊などとは違って明確だった。自分は一度、掴まれている胡乃葉の指を丁寧に一本一本外しながら、ベッドの縁に座った。だが胡乃葉は自分に寄りかかる形で服を掴んでいたから倒れそうになって、それを自分は胡乃葉が床に頭をぶつける前に捕まえた。


 ――もしかしたら本当に夢遊の最中なのではないか?


 自分は胡乃葉を受け止めていると、胡乃葉は急に意識が覚醒したかのように自身のベッドの縁に座った。もうこのときには胡乃葉の意識は覚醒しているようだった。


「行っちゃダメ」


 胡乃葉は自分の目をしっかりと見つめてきながら、ハッキリとした物言いをしてきた。高すぎず低すぎず、ちょうどいいすっと胸に染み込むような声の波長で。


 突然の言葉自分はどう返せばいいのか分からなかった。戸惑いが胸に落ちると、人間はぬかるみに嵌まったが如く戸惑いから抜け出せなくなってしまう。自分は戸惑いに支配されていた。声という声が出てこなかった。


「ど、ど、どういう意味……?」


 やっと口から言葉が紡ぎ出されると、胡乃葉は自分でも多少の戸惑いでもあるみたいに、歯切れの悪い言葉で、


「さあ……? なんとなく、って言ったらいい? なんとなく、感覚的なものとしてそう感じるの。あまり今の時間帯は出歩かない方がいい。少なくとも、今日はね」


「こういうことは前にもあったの?」


「うん、何度かね。なんとなくそういう感覚がして、そう感じたら部屋から出ないの」


「そっか、じゃあ今もそうした方がいいか。今の時間帯はって言ったけど、いつになったら出てもいいのかな?」


胡乃葉は多少思案する様子を見せてから言ってきた。


「四時半、四時半くらいになれば、多少夜明けの匂いみたいなものも感じられるし、だからあと三十分くらい、出ちゃダメかな。でも四時半くらいになれば、連れて行かれることはないと思う」


「連れて行かれる? 誰に?」


「うーん……明確に誰って言えるものはないけど……〝魂〟が連れていかれるの。ある一定の期間毎に、どこにかは分からないけど、魂がふわふわ昇っていくって言われてるの。そのふわふわ昇っていく魂に触れたら、私達生きている人間も魂が向かうどこかに連れて行かれちゃうって、列車内(アイリッシュ)では有名な話よ」


「じゃあ、今は魂がふわふわ昇っていってるから、部屋から出ちゃダメなんだね?」


「そう、そういうこと」


「そっか、分かったよ」


 自分はこのとき、とある言葉が瞬間的に頭の中に浮かんできた。それは暗室でベラトリックスと話していたときの彼の言葉だ。彼が言っていた〝ここは現世と死後との狭間の世界〟という言説は、もしかしたら本当なのではないのだろうか? 


 ノイジーが言っていた〝補充されてくる人々〟というのも、死後の世界に昇る魂によって空きが生まれた部屋に、新しく入る人間のことを指すのでは? ……まあなんにせよ、自分みたいに新入りが入ってくるということは、空きができないと起こらないものだと思うから、胡乃葉が今言ったふわふわと昇っていく魂というのは、この現世と死後との狭間の世界から、死後の世界へと昇っていく魂のことなのだろう、恐らく。憶測でしかないが。


「ねぇ、五時くらいになったら一緒に朝ご飯食べない?」


「ああ、いいよ」


 自分がそう胡乃葉に返すと、胡乃葉は柔らかい満面の笑みを自分に見せてきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ