暗室
自分がこの列車内で目を醒ましてから一ヶ月が経とうとしていた。
一ヶ月という時間がこれほどまでに長く感じられた事はあるだろうか。いいや、逆にこんなにも一ヶ月という時間が急速に消化されていったことは、果たしてあるのだろうか?
全ての物事が初めてずくしだからこそ時間が急速に消化されていく感覚が自分を襲った。時間には伸縮性があるということは分かっている。時間は伸びも縮みもするゴムみたいな、自分がどれほどまでに現実を生きる事が出来ているかを表し出す鏡のようなものであるという事も分かっているが、これほどまでに急速に時間が進みふと気がついたら現在に放り出されてしまっていたような感覚は、自分の焦燥を確かに煽った。
一ヶ月も経った頃にはもう自分の生活というのは全てルーティーン化されていた。まず朝、胡乃葉の物音で目を醒ますと、自分はあのノートパソコンの中に存在する取調室で目を醒まさなかったことに安堵する。じゃあ、この列車内で目を醒ましたいかと言われれば返答に困るが。
そして、それから食堂車へと朝食を食べに行くのだ。ステーキにライス、そして真っ赤なアセロラジュースはいつものことで、その食事をこの列車内で好み始めてから一日たりともその食事を欠かしたことはない。
食事を採れば採るほどこの世界に身体が馴染んでいくのが分かった。そして同時に、この世界の食べ物を食すことで自分がこの狭く窮屈な精神性を抱えた、ちっぽけにも思える世界の構成員になっていってしまっているような気がした。
ノートパソコンのあの取り調べの映像の世界に潜り込んでしまうことは〝あの時〟を最後に一切なくなってしまった。失って初めてその価値に気づくという事が自分の人生では多いような気がする。それは記憶もそうだし、記憶が忘却されたからこそ連鎖的に起きる身体言語の消失というのも、失って初めてその価値が分かるものだ。そんなことを思いながらも、同時に取り戻す価値や必要のある記憶なのか疑念を抱いていることも事実であるが……。
それは一週間に一度ほどのペースであるが、自分はこの一ヶ月という長く短い期間で、アミリーと話すことが増えた。どんな話をしたか……実を言うとあんまり憶えていない。憶えていないというよりも、脳がそれを認識することを拒んでいるのだ。
それは、そのような感覚に襲われるという程度の話ではなく、実際に頭の中を砂嵐が荒らしに荒らしまくって、アミリーの話が脳へ侵入することを防いだ。アミリーとは本当に〝様々な話〟をしたが、その中でも他愛もない話にはその砂嵐は姿を現さなくて、〝この列車内の根幹に関わる話〟の時に、その砂嵐は自分の脳内に現れた。
他人に自分の意識の操縦桿を握られるような感覚にまでは至らなかったが、意識が朦朧とし、現実と死後の世界の狭間にでもある水面に浮かぶような感触が耳鳴りとともに訪れる時には、アミリーは列車内の根幹に関わる話をすることをやめた。
時間が経ち、この世界の食事を採り、その他にも様々な要因が積み重なって記憶の忘却へ対する免疫みたいなものが着々とできてはいたが、完璧な免疫を持つためには、記憶を取り戻さなくてはならないのだろう。
気分の後退を感じながら、意識が朦朧とする中、部屋を後にしようとした自分にアミリーはこう言葉をかけてくれた。
「記憶を全て取り戻してから、またこの話をするよ。そうした方がいいもん。というか、今のキビトにはそうするしかないもんね」




