暴力的なチェリーボーイ⑤
あっち側とこっち側が地続きの現実だとは思えない。
自分は、気がつくと映像の中の世界でしかなかった雪よりも白い取調室に存在していた。もっと明確に言えば、今の自分はガラス越しにその取り調べを見ているような形だった。だが、映像で観たような取り調べを行う男二人組の姿と取り調べを受けるブロンドヘアーの女の姿がそこにはなかった。
取調室を見渡すと、部屋の隅に目が留まった。
「あの監視カメラの映像を観ていたというわけか」
小さく丸い典型的な監視カメラが部屋の隅に存在していた。あの監視カメラの映像を自分はノートパソコンを通して観ていたということだろう。でも思う、確かにあの監視カメラの映像には、自分が今いるこのガラス越しの、謂わば〝外の世界〟も少しだけ映っていたような気がするのだが……でも、自分の姿を映像の中で観たことはなかった。
何度も何度も擦り切れるほど観た映像の中の取調室のあっち側と、今自分のいるこっち側の世界は、果たして同じ次元に存在しているのだろうか?
ふとした疑問ではない、恐らくあっち側の世界とこっち側世界は違うのだ。そんな感覚がちゃんとあって、自分はそう思った。そして、そんな事を考えているときだった。二人の男と一人の女が部屋に入ってきた。そう、それはまさしく自分が映像で観続けた取り調べをする検察官と被疑者だった。
自分は猛烈に興奮を覚えた。目の前で見れるという事もあるが一番は〝この出来事の結末〟が分かるかもしれないことについてだった。映像の範囲では断片的過ぎて最後にどうなったかまでは教えてくれなかった。
二人の検察官のうちの若い冷静そうな男の方は、机を挟んで部屋の奥側にある椅子に容疑者の女を座らせた。そうして自分も椅子に座り、机を挟んで改めて女と対面すると取り調べは始まった。
「エリナー・ヴァンテージ、貴女のこれまでの供述が正しいのかどうか、僕達が正式に取り調べを行います。これまでも沢山色々と取り調べを受けてきたことでしょうが、改めて僕達に、貴女の供述を教えてください」
今まで沢山色々と取り調べを受けてきたのにもかかわらず、何故今回が正式な取り調べなのだろうか?
女は――否、ブロンドヘアーのアメリカ人のエリナー・ヴァンテージは、このような言葉を開口に供述を始めた。
「あの人を殺したのは私」
なんとも言えない微妙な空気感になった。エリナーのその第一声に対し、椅子に座ってそれを聞いていた若い方の検察官は手元の資料にメモのようなものを残す素振りを見せた。対して、若い検察官の後ろで壁にもたれかかりながら今の言葉を聞いていた、上司であろうベテランの検察官はただただ頷く素振りを見せるだけだった。
「貴女が本当にやったの?」
そう言われると、エリナーは溜息をつきながら首を二度縦に振った後。
「そう、何度も何度も言わせないでよ。あの人を殺したのは私。今まで私が言った言葉達を信じるならば、貴方達に疑い様なんてないはず」
これまでに吐かれた女の数々の証言が記された資料なんて読まなくとも、男達は取り調べを行う前から既に肌感覚として分かっているようだった。エリナーが人を殺したことがある人間であることには間違いはない、と。自分としてはこの事件の概要はまったく分からない。ただノートパソコンに入っていた映像の中身がこの取り調べ映像だったというだけだから。
でも、このノートパソコンを食堂車で自分に渡してきたロディ・リッチメインという男は、ノートパソコンを自分に渡してきたときの会話で、こんな事を言っていた〝――特異体質者には各々特殊な〝能力〟が備わっています。貴方様にどんな能力が備わっているのか分からないですが、まずはそれを発現させる為にも、記憶を取り戻していただく必要があるのです。そして最終的には、初代特異体質者を殺していただきたい〟と。
一度しか会ったことのない話したことのない、しかも物凄く胡散臭い男の話にそんな信じていいものかどうかとは思うが、それでも少なくとも、自分はあの男の言葉に嘘はないと感じた。あの男の自己紹介である〝特異体質者を研究している組織の人間〟という言葉も、自分は真実だと思っている。ならば、手渡されたノートパソコンに入っていたこの目の前の取り調べは、もしやロディ・リッチメインが言っていた〝初代特異体質者〟というのに関係があるのではないか? その疑問を解決するためにも、目の前の取り調べの本当の結末を見届ける必要がある。
上官の男は、椅子に座っている物静かな後輩の肩に触れながら、エリナーの目をまじまじと見つめながら、エリナーのこれまでの、彼らなりの表現で言うならば〝非公式〟の取り調べで得られたのだろう証言の内容を反芻した。
「イギリスのとある村に存在するケージという名前のパブで、突如殺人事件が発生した。現場に居合わせた一人の男を除いて全ての居合わせた人間の取り調べは終わった。その中で一番犯人である確率が高いのがお前ってわけだ。自分の旦那を殺すことの何が不思議なの? だっけか、もうそろそろ俺達本音で語り合わねぇか? お嬢ちゃん。俺達さっきみたいな雑な証言、もうこりごりなんだよ。調べた限り、あんたはイギリスの人間じゃない。生まれも育ちもアメリカの人間だ。だけどあんたは証言として、被害者のあの男と自分は結婚していた、妻が夫を殺す事件なんていくらでもある、っていう雑な証言をした。……なんでそんな小学生でも見抜けるような嘘ついたんだ? お前が犯人ではあるが真犯人ではないことは分かっているが、どうしてもひとつ分からないことがある。それは、お前が誰の指示で犯行に及んだかということだ。まぁ大方予想はついているがな。でも、お前が望んでアイツの身代わりになったわけじゃないだろう?」
エリナーは答えた。
「ねぇ、私のことをお嬢ちゃんだなんて、おぢさんもしかして結構若い女とセックスするのとか好きな人? 私いつもお姉さんって呼ばれるんだけど」
何を言うのかと思ったら突然そんなことかよっ! 映像の中には入ってなかったぞ。
猫撫で声で、目の前にいる肉食動物のオスを、メスが誘惑するみたいに、エリナーはポケットの中から飴を一つ取り出すと、それを口に入れて舌の上で上手く転がして男達を誘惑する姿を見せた。
――……こんなところも、映像には入ってなかったな……。映像をファイル分けした人間の配慮なのだろうか……。
傍から見ると、凄く滑稽に思えた。それは検察官の男達も同じ感想のようだった。ベテランの検察官の男は苦笑していたし、若い方の検察官は小さく溜息を吐いていた。そして若い方の検察官は、その爽やかさを存分に発揮させた晴れやかな笑顔を女に見せながら言った。
「じゃあ、なんて呼んで欲しいんです? お姉さん」
「うーん……それじゃー、柚子って呼んでくれると嬉しいかしらね」
「それは何故?」
「なんで……あれっ……なんで……? ……分からないわ……」
その瞬間、エリナーの様子が少し可笑しくなったように見えた。それを言語化することは難しいが、何かが胸に引っかかった。
それは検察官達としてもそうだったのか、若い検察官は少し焦りを浮かべたような表情になった。端正な顔立ちの彼がこんな風に表情を大きく崩しているところは映像でも載っていなかったから初めて見た。
若い検察官は自らを少し落ち着かせる素振りを見せると、改めてエリナーに向き直して言った。
「さっきみたいな下品に舌の上で飴を転がす姿を見たりしたら、僕ならビッチって呼びますけどねぇ……」
「私ビッチじゃないもん! ただ自分に正直なだけだもん!」
ビッチじゃねぇか。
と、そのときだった。
そう言ったエリナーは突如、表情を暗くさせ、酷く落ち込むように俯いた。空気感が突如として冷たくなっていくのが分かった。急激な人間の表情の起伏の変化に、自分の気持ちは着いていくことができなかった。その表情の移り変わりはまるで何かに憑依されたかのようだった。
そして次の瞬間、エリナーは自分の頭を机に叩きつけはじめた。
自分で叩きつけているとは思えないほどの流血の量だった。自分からしたらその姿は、意識の操縦桿を他人に握られてコントロールされているみたいに見えた。短い永遠が終わり、誰が見ようとも明らかにエリナーの死亡が確認できるような状況に、自分は検察官の男達と同じように唖然としていた。唾を飲み込むことすら忘れていた。唾を大量に飲み込む喉の動きを、こんなにありありと感じられたことはない。背中を流れる無数の汗の粒に、いつしか身体は冷えていた。
いつの間にか、検察官の男達もエリナーから部屋の中で取れるだけの距離を取っていた。だが大量に溢れ出た流血の量は凄まじく、検察官の彼らの足下までその流血というのは届いていた。
これが……人が死ぬということか……。
人が死ぬということが全て残酷で冷酷なわけじゃないし、死は悪い事ではない。死がネガティブなことだとは思わない。だけど、こんな死に方を見てしまうと……死ぬのが怖いと思ってしまう。そして自分がそう思ったのも束の間、検察官の男達はエリナーの死体から視線を外したが生々しい血の臭いに嘔吐をした。
真っ白な取調室が、今では真っ赤に染まっている。
「ここまでやるのかよ……」
「自分達も気をつけないといけませんね……」
「次の調査はアメリカだ。イギリスで事件を起こした次はアメリカで事件を起こすとは……我々の本拠地ではあるが、こんな事をできるようなアイツを見つけられると思うか? もし、見つけたとしても、アイツを殺せると思うか……?」
アイツを殺せると思うか?
……アイツとは一体誰なんだ? 自分が殺してほしいと依頼を受けている〝初代特異体質者〟とやらともしかして同じなのか?
若い検察官は、首を横に何度も何度も振った。
「いいや……厳しいでしょうね……。ですが、女が証言として色々話していた話は、やはりアイツの支配下に女があったからこそそうさせたのでしょうね」
すると突然、男達は、自分達の制服の右腕のワッペンを剥いだ。それも簡単に。恐らくマジックテープで簡易的に取り付けられただけであろう検察のワッペンの下に、もうひとつのワッペンの存在が自分の目に飛び込んできた。そのワッペンは、二人の男が本当は検察官などではなく、何か特殊な組織に属していることを示した。
男達がこなれた手つきで死体を運び出す頃になっても、自分は……目の前の出来事が……現実のものとは思えなかった。男達は死体を運び出し終わると、息を吐きながら上官の方が言った。
「これは、俺達が今回取り調べという体裁の事実確認をする前に行われた本当の取り調べの中で出た言葉なんだが、エリナー・ヴァンテージは、頭の中を砂嵐に襲われるような痛みを感じたようだ。そして同時に、意識を乗っ取られるような感覚も覚えて、それから意識がなくなって気づいた頃には人を殺した殺人犯にされたと言っていたらしい」
「それってベラトリックスの持つ特異性の話と一致してきませんか?」
「ああ、だから俺が何を言いたいのかお前ならもう分かるだろう」
「ええ……ベラトリックス・バグファイアの特異性は他人に罪を被せる使い方もできる、ということですよね」
「ああ、その通りだ。だから俺達がやることはひとつ。特異性事故対応局の人間として、アイツの犯罪歴が増える前に止める、それまでだ」
「止める……って言っても、次はどこでやるんですかねぇ?」
「こういう奴は絶対自国で名を上げようとするものだ」
「つまりアメリカで事件が多発すると?」
「ああ、現にこうしている間にもベラトリックスはアメリカで一件事件を起こした。とりあえずその起こってしまった事件の調査をするためにも、アメリカに戻るぞ」
「了解です」
斯くして、あんなに飛沫を上げていた取調室の血液を男達は一滴すら残さず短い時間で清掃し、自分という存在だけがこの部屋に残った。
……ベラトリックス・バグファイア……特異性事故対応局……その言葉の全てが今の自分には分からない……。
だけど、この何故潜り込めたのか分からない〝映像の世界〟にて、隠されていた取り調べの全てをやっと観ることができた。
ベラトリックス・バグファイア、そいつが恐らく〝一番最初の特異体質者〟なのだろうと、自分は思っている。
これは憶測に過ぎないが、何かしらによって特異性を持つ人間が誕生し、そいつはその特異性を悪用した。だから特異性事故対応局なる組織が存在していて、その特異性事故対応局の人間はそのベラトリックスを捕まえることに必死である、と……。
でも、この事と列車内との関係が、自分には分からなかった。
まぁ、そんな事は後で考えればいい。今は、もし何かあってこの世界から出れなくなってしまったりする前に、この世界から出てしまおう。そしていつしか、列車内ではない本当に自分がいるべき元の世界に、記憶を取り戻した後に戻れるといいな。まぁ、そんな世界がもしあったらだけど。
いや、無いなんて言わせない。ずっと列車内なんて死んでも嫌だね。ずっと列車内で暮らすくらいだったら死んだ方がマシさ。




