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処刑まであと7日。悪役令嬢はもう何もしません  作者: すなな


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9/23

9- 処刑まであと5日

ヴォルター侯爵は、報告書を最後まで読むと机へ置いた。


「まだ署名しないか」

「はい。提示額では応じられないと」


向かいに立つ男が答える。

北部から王都へ流れる小麦は、すでにかなりの量を押さえてある。市場価格も上がり始めていた。

それでも、王国側は契約書へ手を伸ばさない。


「南部を待っているのでしょう」


男が地図を広げた。

王国南部。

今年は天候にも恵まれ、生育は順調。

予定どおり収穫できれば、王都は当面しのげる。


「価格を少し下げますか」

「必要ない」

「ですが、このまま収穫を迎えれば」

「契約が流れるな」

「はい」


ヴォルターは椅子へ深く腰掛けた。


「それでいい」


男がわずかに目を見開く。

ヴォルターは机の端に積んであった別の書類へ手を伸ばした。

小麦の売買契約ではない。

港湾の利用条件。

長期交易に関する草案。

関税の優遇措置。

男の視線がそこへ落ちる。


「小麦だけなら、ここまでやらない」


その一言で十分だった。

平時なら渡さないものでも、食料が足りなくなれば話は変わる。

ヴォルターは書類を閉じた。


「向こうには、まだ待てる理由がある」


視線が地図の南部へ落ちた。


次の紙を受け取ったところで、男が口を開いた。


「ヴァレン商会についても報告が」

「レオン殿は、まだ王都に滞在しているようです。アルヴェール公爵令嬢とも、たびたび行動を共にしていると」

「そうか」

「令嬢については、このままで?」

「構わない」


婚約は破棄された。

公爵家も王家への保証を打ち切った。

王宮から、金も人も離れた。

それで十分だった。


セレナは面倒な娘だった。

一つの数字だけを見ない。

離れた出来事を勝手につなげる。

誰も気に留めない小さなずれを拾い上げる。

だが今は、王宮の中にいない。


「これ以上、手を出す理由はない」

「承知いたしました」

「ただし、レオンの動きは見ておけ」


男が顔を上げた。


「やはり警戒を?」

「ヴァレン商会の会長だ。警戒しない方がおかしい」


まだ若い。

それでも、商会をあそこまで大きくした。

ヴォルターは、レオンに交易を教え始めた頃を思い出した。


市場価格。

輸送費。

倉庫代。

相手がどこまで払えるか。

教えたことを覚えるのは早かった。

ただ、こちらが想定していないところでよく立ち止まった。


『ここまで値を上げたら、向こうに利益が残りません』

『だから?』

『来年も取引するなら、残した方がいいでしょう』


あの頃からそうだった。

利益だけを見ればいい場面で、その先にいる相手まで考える。


「侯爵とレオン殿は、随分考え方が違うのですね」


男が言う。


「同じなら、教える意味もなかった」


ヴォルターは薄く笑った。

同じ数字を見て、違う答えを出す。

それが面白かった時期もある。


「ただ、今回は気づかせるな」

「はい」


返事を聞いて、ヴォルターは次の報告へ視線を移した。



若い頃。

ヴォルターは一度、隣国へ大量の小麦を回したことがある。

大凶作だった。

冬を越せない民が出ると聞き、相場よりずっと安い値で売った。


当時は、それが正しいと思っていた。

その冬、自国の備蓄は減った。

価格は上がった。

輸送費も国庫を圧迫した。


翌年。


助けた国が選んだ大規模な交易相手は、別の国だった。

条件がよかったから。

それだけだった。

裏切られたとは思わなかった。


ただ、よく分かった。

感謝と契約は別物だ。


それ以来、ヴォルターは先に自国の取り分を見るようになった。

善意では国を守れない。

それだけは、忘れなかった。


「侯爵」


声をかけられ、顔を上げる。


「南部からです」


男が一枚の紙を差し出した。

ヴォルターは受け取る。

数行読んだところで、指が止まった。


「出たか」

「はい」

「想定より早いですね」

「広がりは」

「今のところ限定的です」


その答えに、男は少しだけ言いよどむ。


「ただ、周辺でも似た症状が出ています」


ヴォルターは紙を机へ置いた。


「現地にはもう誰も残していないな」

「はい。連絡も切ってあります」

「なら、そのままでいい」

「……侯爵」

「何だ」

「この先、広がる可能性があります」

「分かっている」

「価格操作とは違います。民の食料です」


ヴォルターは男を見る。


「だから最初から、必要以上に広げるなと命じた」

「ですが、もうこちらで止められる段階では」

「そうだな」


男が黙る。

ヴォルターは南部の地図へ目を落とした。

王国側は、南部を当てにしている。

そこが揺らげば、判断も変わる。


「追加の工作はしない」

「はい」

「現地にも近づくな」

「承知しました」


男は一礼した。

扉へ向かいかけて、足を止める。


「レオン殿が気づけば、調べるでしょう」

「だろうな」

「では」

「だから、動きを見ておけ」


それ以上は言わなかった。

部下も聞かなかった。


扉が閉じる。


ヴォルターは一人、机の上の契約書へ視線を落とした。







その頃。

王国南部では、日が暮れても畑に人が残っていた。


「こっちもだ!」


声が飛ぶ。

松明が集まる。

昼間までは青々としていた小麦の葉に、褐色の斑点が広がっていた。

茎まで変色し、力なく倒れているものもある。


「昨日はこんなじゃなかった」

「向こうの畑でも同じだ」

「病気なのか?」

「分からん」


誰も答えを持っていない。

ただ、朝より増えている。

それだけは分かった。

村の責任者が畑の奥から戻ってくる。


「馬を出せ」

「領主様のところへ?」

「ああ」


男は周囲を見回した。


「王都にも報せる」


書記が慌てて紙を広げる。


「何を書きます?」

「分かっていることを全部だ。どこから出たか。どれほど見つかったか。どの畑まで広がっているか」


ペンが走り始める。

馬が用意される。

その間にも、松明の向こうで新たな声が上がった。


「ここにもある!」


夜の畑に、人の足音が増えていく。

やがて書簡を携えた馬が、村を飛び出した。


向かう先は王都だった。


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