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処刑まであと7日。悪役令嬢はもう何もしません  作者: すなな


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10/30

10- 処刑まであと4日

翌朝。


アルヴェール公爵の執務室には、朝から二人分の書類が広げられていた。

公爵の向かいに座るレオンは、国外の小麦価格をまとめた紙へ目を落としている。


「昨日の会議では、まとまらなかったのですね」

「南部の収穫を待ってからでも遅くない、という意見が多くて」

「妥当でしょう」

「昨日までなら、私もそう思っていました」


公爵が顔を上げる。


「何か?」

「いえ。まだ、はっきりしたものは」


レオンは紙を一枚めくった。

値上がりの時期が揃いすぎている。

公爵家が王家への保証を打ち切ったことで、信用が揺らいだ。その説明で収まる範囲なのか。

昨日、セレナも同じところに引っかかっていた。

あの場で誰より早く。

思い出したところで、公爵が口を開いた。


「そういえば、ヴァレン殿」

「はい」

「少し見ていただきたいものがございます」


公爵は机の脇にある鍵付きの引き出しを開けた。

取り出したのは、一束の資料だった。


「これは?」

「娘の件です」


レオンの表情が変わる。

毒の出所。

事件の前後にリリアの周辺へ出入りしていた人物。

不自然な取引。

突然、王都から姿を消した商人。

日付と名前が細かく整理されている。


「いつから調べていたんです?」

「嫌疑がかかった日からです」


公爵は淡々としていた。


「王宮の調査だけに任せて、審問の日を待つつもりはありませんので」


レオンは資料をめくる。

途中までは、かなり追えている。

だが、あるところから急に情報が薄くなっていた。

商人の名。

取引先。

金の流れ。

そして、紙の端に押された見慣れない印。


「……これは」

「何か分かりますか」


レオンはその印を指先でなぞった。


「ヴァルディアで使われるものです」


公爵が静かに息を吐く。


「やはり」

「気づいていたんですね」

「こちらの人間では、その先が追えませんでしたから」


国境を越えたところで、調査が途切れている。

レオンはもう一度資料を見直した。


「私の方で追います」

「お願いできますか」

「ええ」


公爵は束をまとめ、レオンへ差し出した。


「では、よろしくお願いいたします。レオン殿下」


伸ばしかけた手が止まった。


「公爵」

「……失礼いたしました」


公爵が珍しく気まずそうに咳払いする。


「ここでは、ヴァレン殿でしたね」

「ええ。まだ、そのつもりです」


ヴァレン商会会長、レオン・ヴァレン。

その名でこの国に滞在している男を、公爵だけは最初から別の名で知っていた。

ヴァルディア帝国皇太子。

レオン・ヴァルディア。


「セレナには、まだお話しになっていないのですか」

「ええ」

「なぜ?」

「聞かれていませんから」


公爵の眉が寄る。


「それは、隠しているのと大して変わらないのでは」

「嘘はついていませんよ」

「商会の会長であることしか話していないのでしょう」

「それも事実です」

「……そうですか」


納得していない顔だった。

レオンは気にせず資料へ戻る。


「セレナ嬢は、この調査について?」

「知りません」


返事は早かった。


「話すつもりもありませんか」

「あの子は知れば、自分で調べ始めますので」


レオンは昨日の光景を思い出した。

もう何もしない。

そう言いながら、結局小麦の会議へ入り、資料を並べ、数字を追っていた。


「……でしょうね」

「ですから、話しません」


公爵は机の上の紙を揃えた。


「これは私が始めたことです。あの子には好きにさせておきます」


それ以上、説明はなかった。

レオンも聞かなかった。



ノックの音がして、使用人が入ってくる。


「ヴァレン様。穀物商協会より、至急の書簡が届いております」

「私に?」

「はい」


封を受け取る。

レオンはその場で開いた。

数行読んだところで、指が止まる。


「……南部?」

「何かございましたか」


公爵が尋ねる。


「小麦に病害が出たようです」


書簡を読み進める。

複数の畑。

穂が白く抜け、やがて灰色へ変わる。

実入りが悪くなり、発病した麦は食用に回せない。

現地では灰穂病と呼び始めているらしい。

被害はまだ限定的。

ただし、離れた地域でほぼ同時に報告が上がっている。


「南部ですか」

「ええ」


昨日、国外からの高値に応じなかった理由。

そこが揺らいだ。

さらにその下に、別の報告が続いていた。

レオンの眉が寄る。


「……値上げ」

「国外の?」

「複数の商会からです」


公爵が黙る。


「昨日の提示額から、さらに?」

「ええ」

「南部の件を受けてでしょうか」

「そこまでは書かれていません」


レオンは書簡を読み返した。

一社ではない。

ほぼ同じ時期に、複数。


「これは初耳ですね」

「ヴァレン商会にも情報が入っていなかった?」

「昨日までの動きなら把握しています」


それより先はない。

南部から王都へ正式な報告が入ったのは、今朝。

なのに国外では、すでに値が動いている。


「……早すぎますね」


公爵も視線を細める。

レオンは机を見た。

さきほど受け取ったばかりの資料。

毒。

商人。

ヴァルディアへ続く取引。

その横には、南部の病害と国外小麦の追加値上げ。

まだ、同じ線にはできない。


「公爵」

「はい」

「先ほどの商人について、分かっていることを全部教えていただけますか」

「今回の小麦と関係があると?」

「まだ何も」


レオンは二つの紙を並べた。


「ただ、少し出来すぎています」



 ◇


同じ頃

セレナの部屋にも、一通の書簡が届いていた。


「ハロルド様?」


昨日会ったばかりだ。

首を傾げながら封を切る。

『南部より、気になる報告が入りました。複数の麦畑で、見慣れない病が確認されたそうです。昨日のお話にも関わることですので、セレナ様にもお知らせしておくべきかと思い、筆を取りました』

そこから先を読み、セレナの表情が変わった。


「灰穂病……」


聞いたことがない。


それ自体は問題ではなかった。

セレナは農務の専門家ではない。

引っかかったのは、その下。

離れた複数の畑から、ほぼ同時に報告。


「……偶然?」


昨日の会議が浮かぶ。

国外小麦の値上がり。

公爵家の保証。

それだけで本当に説明がつくのか。

考え始めたら、もう座ってはいられなかった。

セレナは書簡を持って部屋を出る。

父の執務室へ向かった。

廊下を曲がったところで、ちょうど扉が開く。


「ヴァレン様?」

「セレナ嬢」


レオンだった。


「こんな朝早くから?」

「少し公爵と話を」


セレナは手にしていた書簡を持ち上げた。


「ちょうどよかったですわ。ハロルド様から、南部について知らせをいただきました」


レオンの目が書簡へ落ちる。

その反応だけで分かった。


「ご存じなのですね」

「つい先ほど」

「離れた地域で、同じ病が同時に出たというのも?」

「今の報告では」

「おかしいですわ」

「ええ」


レオンがあっさり認めたので、セレナは少しだけ面食らった。


「昨日の国外小麦と、今朝の病害。偶然でしょうか」

「分かりません」

「……」

「駄目です」

「まだ何も言っておりません」


セレナは書簡を握り直した。


「ですが、気になります」

「それは分かります」

「なら」

「一人で動かないでください」


セレナが顔を上げる。


「なぜですの?」

「まだ何があるか分からないからです」

「ヴァレン様は動くのでしょう?」

「ええ」

「ずるいですわ」

「仕事ですから」

「便利な言葉ですこと」


レオンが少し笑う。


「分かったことがあれば話します」

「全部?」

「話せることは」

「全部ではありませんのね」

「鋭いですね」

「ヴァレン様が怪しいだけですわ」


レオンは何も言い返さなかった。

それが余計に怪しかった。




 ◇




王宮にも、同じ朝に急報が入っていた。


「灰穂病?」


アルベルトは渡された紙をめくる。


「はい。南部の複数地域で確認されております」

「収穫への影響は?」

「農務院で調査中です。ただ、広がれば昨日の供給予測を修正する必要がございます」

「昨日決めたばかりなのに」


思わず口から出た。

さらに国外商会から追加の値上げ。

昨日の会議でようやく見えかけた数字が、もう使えない。

机には農務院、財務局、穀物商協会から別々の資料が積まれている。


「これ、誰かまとめてくれないの?」

「現在、各部署で――」

「各部署でやってるから、同じような紙が何枚も来るんだろう?」

「……申し訳ございません」


まただ。

最近はこんなことばかりだった。

昨日は、セレナが来た途端に話が進んだ。

必要な数字が揃い、誰が何を確認するかも決まった。

思えば以前からそうだった。

自分の机に届く頃には、選択肢がいくつかに絞られている。

だから気にしたこともなかった。

そういうものだと思っていた。


「殿下」


別の男が入ってくる。


「アルヴェール嬢の昨日の行動について、ご報告が」


アルベルトの指が止まった。

監視をつけるよう命じたのは自分だ。

公爵家が何か妙な動きをしないか。

セレナが誰と接触するのか。

その程度を確認するためだった。


「昨日、アルヴェール嬢はレオン・ヴァレンと市街へ出ております」

「市街?」

「はい」

「どこへ?」


 男がわずかに戸惑う。


「手袋店、菓子店。その後、広場へ」

「手袋店?」

「レオン・ヴァレンが、アルヴェール嬢へ手袋を贈ったようです」


アルベルトは報告書へ目を落とした。


「どんな手袋?」

「淡い色の布製で、白い花の刺繍が」

「セレナは?」

「はい?」

「喜んでた?」

「……そのように見えました」

「笑った?」

「はい」

「ヴァレンを見て?」

「おそらくは」


アルベルトは紙を指先で叩いた。


「ほかには?」

「菓子店で買い物を。その後、広場でしばらく過ごしております」

「どちらから誘った?」

「そこまでは」

「使えないな」

「……申し訳ございません」

「次から見ておいて」


男が顔を上げる。


「誰と会ったかだけじゃなくて。何を話したか、何を見ていたか。どちらから触れたか」

「……承知いたしました」

「あと」


アルベルトは報告書から目を上げないまま続ける。


「セレナが笑った回数も」


一瞬、沈黙が落ちた。


「聞こえなかった?」

「いえ。承知いたしました」


男が下がる。

扉が閉まると、アルベルトはもう一度報告書を開いた。

手袋店。

菓子店。

広場。

白い花の刺繍が施された手袋。


「ふふ」


笑いが漏れた。

監視がついていることくらい、セレナなら気づいているだろう。

その報告が自分のところへ来ることだって。

なら。


「仕返しか」


昨日の夜が浮かぶ。

リリアの荒らされた部屋。

脅迫めいた手紙。

あれほど嫉妬しておいて、今日は自分が別の男と出歩く。


「そんなに悔しかったんだ」


報告書の一文を指でなぞる。

白い花の刺繍。

気に入って、すぐに着けていたらしい。


「かわいいな」


胸の奥がざらついている。

レオンと笑っていた。

その事実だけは、少し気に入らない。

けれど、その不快ささえどこか甘かった。

セレナも同じだったのだ。

自分がリリアといると知って。

こんなふうに。


「……なるほど」


これが嫉妬なのか。

アルベルトは少し笑った。


「殿下」


次の官僚が入ってくる。


「農務院より、灰穂病への対応についてご判断を」


新たな資料が置かれる。

被害範囲。

収穫予測。

国外調達量。

数字ばかりだった。


「それで、どうすればいいの?」

「それを殿下にご判断いただきたく」


アルベルトは顔を上げた。


「君たちは?」

「……はい?」

「何のためにいるの?」


官僚が黙る。

昨日なら。

セレナが資料を見て、いくつか質問をして。

その頃には、何をすればいいのかが見えていた。


「セレナに見せれば?」

「……アルヴェール嬢に、ですか?」

「うん」

「しかし、殿下との婚約はすでに解消されておりますし、審問を控えておられる身ですので」

「だから?」


アルベルトには、本当に何が問題なのか分からなかった。

セレナは自分を好きなのだ。

昨日、それが分かった。

あれほど嫉妬していたのだから、自分から頼れば喜ぶだろう。

それに――。

アルベルトはふと、口元を緩めた。


「……会いに行ってあげようかな」

「殿下?」


昨日はヴァレンと出かけて、自分の気を引こうとしていた。

なら、そろそろ応えてあげてもいい。

アルベルトは机の上から資料を取った。


「これ、持っていくよ」

「アルヴェール嬢のもとへ、ですか?」

「うん」


扉へ向かいかけて、足を止める。


「そうだ」


振り返った。


「白い花の刺繍が入った手袋を用意して」

「手袋、でございますか?」

「うん」

「どのようなものを?」


アルベルトは報告書へ視線を戻した。

レオン・ヴァレンから贈られた手袋。

白い花の刺繍。

セレナは気に入って、すぐに身につけたという。


「一番いいもの」

「かしこまりました」

「ヴァレンが贈ったものより、ずっと」


そうすれば、もうあちらを使う理由はない。

セレナもきっと喜ぶ。

それを身につけて、自分を見上げるセレナを想像する。

昨夜と同じ、甘い痺れが背筋を這った。

今度はどんな顔をするだろう。

驚くだろうか。

嬉しくて、ようやく素直に笑うだろうか。

それとも――。

また必死に、平気なふりをするのだろうか。

どれでもよかった。

アルベルトは機嫌よく執務室を出た。


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