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処刑まであと7日。悪役令嬢はもう何もしません  作者: すなな


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8/16

8- 処刑まであと5日

夕刻の鐘が鳴る少し前、セレナは西門に着いた。

待ち合わせは夕刻の鐘。

まだ早い。


別に楽しみにしていたわけではない。ただ、遅れるのが嫌だっただけだ。

そう自分に言い聞かせているうちに、王都に鐘の音が響き始める。


「セレナ嬢」


ほとんど同時に名前を呼ばれた。

振り返ると、人波の向こうからレオンが歩いてくる。


「お待たせしました」

「時間どおりですわ」

「あなたは?」

「今来たところです」


レオンの視線が、門に取りつけられた時計へ向いた。

セレナは黙って彼を睨む。


「何も言ってませんよ」

「顔に出ています」

「これは失礼」


まったく反省していない。


「それより、会議には最後まで?」

「もちろん」

「なら結構です」

「褒めてもらえないんですね」

「ご自分の仕事でしょう」

「あなたに言われたから戻ったんですけどね」

「なおさら褒められません」


レオンが肩をすくめる。

昼間のような堅苦しい装いではなく、上着も軽いものに替わっていた。


「それで、どちらへ?」

「こちらですわ」


セレナは歩き出した。


「何の店です?」

「着いてからのお楽しみです」

「へえ」


横から顔を覗き込まれる。


「何ですの」

「いや。楽しみなんだなと思って」


セレナは答えず、少しだけ歩く速度を上げた。







いつもなら馬車で通り過ぎるだけの大通りを、今日は歩いていく。

道端には露店が並び、客を呼ぶ声があちこちから飛んでくる。


色鮮やかな果物。

夏向けの薄い生地。

焼きたてのパンから立ちのぼる湯気。

視線を動かすたびに、何かが目に入った。


「危ない」


腕を引かれた。


「え?」


すぐ目の前を、大きな荷物を抱えた男が通り過ぎていく。

いつの間にか、通りの端から中央へ寄っていたらしい。


「すみません」

「珍しいですね。あなたがよそ見なんて」

「見慣れないものが多いのです」

「いつも通っている道でしょう?」

「馬車から見るのとは違いますわ」


答えてから、セレナは自分の腕を見る。

レオンの手がまだそこにあった。

気づいたらしく、すぐに離される。

少し前なら、それでほっとしたはずなのに。

今日は離れたところへ、つい目がいった。


「どうしました?」

「……何でもありません」


歩き出して間もなく、今度は本当に足が止まった。

店先に手袋が並んでいた。

薄手の布やレースを使った、夏の外出用のものだ。

淡い色が並ぶ中に、一つだけ目を引くものがあった。

灰青色の生地に、白い小花が刺繍されている。


「……月白草」


夕暮れの庭が蘇った。

蜂蜜に少し青い葉を混ぜたような香り。

風に揺れていた白い花。

銀色の髪に絡んだ花びらを取る、レオンの指。

『女性との距離が近すぎません?』

そう言ったら、本当に一歩離れられてしまった。

あのときは、それでいいはずだったのに。


「入ってみます?」

「……ええ」


店の中には、もっとたくさんの手袋が並んでいた。

けれど結局、セレナが手に取ったのは月白草だった。


「少し可愛らしすぎるかしら」

「つけてみては?」


セレナが手袋を取ろうとすると、レオンが先に持ち上げた。


「手を」

「自分でできますわ」

「今日はやらせてください」


言いながら、もう手を取られている。

手袋の中へ指を通される。


一本、また一本。


自分で着ければ数秒で済むことなのに、今日はひどく長く感じた。

指先が触れるたびに、そちらへ意識が引っ張られる。

最後にレオンが手首の布を整えた。

月白草の刺繍を撫でた指が、そのまま肌をかすめる。


セレナの息が止まった。


レオンが顔を上げる。


近い。

店内の話し声が、急に遠くなった気がした。


「……よく似合う」


さっきまでとは違う、少し低い声だった。

セレナは自分の手を見るふりをした。


「悪くありませんわね」

「気に入った?」

「ええ、まあ」


外そうとすると、手首を軽く押さえられた。


「そのままで」

「でも、お会計が」

「オレがします」


セレナは顔を上げた。


「いけません。自分で買います」

「贈らせて」

「どうして」


レオンは答える代わりに、白い刺繍へ指を置いた。


「これを見つけたときの顔が、よかったから」

「どんな顔をしていました?」

「教えません」

「なぜですの」


レオンが少しだけ身を屈めた。


「また見たいから」

「……」


セレナは言葉を失った。

近い距離で目が合う。


先に逸らしたのはセレナだった。


「……女性にこういうことばかりなさっているのでしょう」


口から出てから、少しだけ後悔した。

これではまるで。


「気になります?」

「一般論です」

「残念」


レオンは笑って店主の方へ向かった。


「少なくとも、今こうして贈りたいと思ったのはあなたですよ」


さらりと言い残される。

セレナは何も返せなかった。

 






「ここです」


ほどなくして、赤い屋根が見えてきた。

木製の看板が下がった、小さな菓子店。


「ここへ来たかったんですか?」

「ええ」

「ずっと?」

「……まあ」


何度も前を通った。

そのたび、いつか時間ができたらと思った。

仕事が落ち着いたら。

王宮へ行かなくていい日に。

次の機会に。

機会など、待っているだけでは来なかった。

セレナは扉を開けた。


甘い香りがふわりと流れてくる。

ショーケースを見た瞬間、そんなことはどうでもよくなった。


「……思っていたより多い」


木苺。

蜂蜜。

ナッツ。

果実を砂糖で煮て包んだ小さなパイもある。

端から見て、また最初へ戻る。


「決まりました?」

「急かさないでください」

「もう二周目です」

「どれも食べたことがないのですから、仕方ありません」

「全部買えばいいのに」

「選ぶところから楽しみにしていたのです」


言ってから、少し恥ずかしくなった。

けれどレオンは笑わなかった。


「では、ゆっくりどうぞ」


本当に黙って待たれると、それはそれで気になる。


「……あなたはどれが食べたいのです?」

「オレ?」

「一緒に食べるのでしょう?」


答えると、レオンの目元がふっと緩んだ。


「じゃあ、蜂蜜」

「わたくしは木苺にします」

「即決ですね」

「自分の分は決まっていましたから」

「……なるほど」

「何です、その顔」

「何でも」


何か言いたそうだったけれど、聞かないことにした。

そのとき。


「お父さん、これがいい」


幼い声が聞こえた。

少女が父親の袖を引いている。

指差したのは、小さな焼き菓子の詰め合わせだった。


「お母さん、これ好きだったよね」

「ああ」

「今日、お誕生日だから」


父親が値札を見る。

財布から硬貨を出した。

一枚ずつ数えて。

もう一度、数え直す。

その横顔から笑みが消えていた。


「すみません。こちら、前はもう少し……」

「申し訳ありません」


店主が眉を下げる。


「今日から値段を上げたんです。小麦粉がまた上がってしまって」

「そうですか……」


少女が父親の手の中を覗いた。

しばらく菓子を見つめていたけれど、やがて父親の袖を引く。


「お父さん。やっぱり、いらない」

「でも、お母さんに買うって」

「お花にしよう」


少女は笑った。


「帰りに摘んで帰ろうよ。お母さん、お花も好きだもん」


父親は何か言いかけて、やめた。


「……そうだな」

「うん」


二人が店を出ていく。

扉の鐘が鳴った。

セレナは、閉まった扉を見つめていた。


「追います?」


レオンが小さな声で尋ねた。

少し迷ってから、首を振る。


「いいえ」


追いついて、あの菓子を渡すことはできる。

でも明日、別の誰かが同じように諦めたら。

その次は。


「あの子に一つ買っても、仕方ありませんもの」


自分の口から出た言葉に、胸が重くなった。

視線が値札へ移る。


「店主」

「はい」

「小麦粉が上がったのは、今日から?」

「ええ。今朝の仕入れからです」

「どの程度――」


そこまで言って、セレナは口を閉じた。

聞けば、その次も知りたくなる。

どこから仕入れているのか。

昨日はいくらだったのか。

この店だけなのか。

王都全体なのか。

考える順番まで、もう頭に浮かんでいる。


「……いえ。ありがとう」


木苺と蜂蜜の菓子を包んでもらい、店を出た。







来たときと同じ道を歩いているのに、目につくものが変わっていた。

パン屋の値札。

荷車に積まれた小麦袋。

食堂の前で看板を書き直している男。

気づけば足が遅くなる。


「気になる?」

「……ええ」


今回は素直に認めた。


「でも、もうわたくしが出ていくことではありませんわ」


婚約はなくなった。

王宮の仕事からも手を引いた。

レオンは「そうですね」と答えただけだった。

それ以上何も言わないので、セレナの方が気になって横を見る。


「何もおっしゃらないのですね」

「何か言ってほしい?」


勝手な人。

 

通りを外れた先に、小さな広場があった。

二人で噴水のそばへ腰を下ろす。

包みを開くと、甘い香りがした。

セレナは待ちきれず、木苺の菓子を一口かじった。

さくりと生地が崩れる。

木苺の酸味。

あとからバターの甘い香りが広がった。


「……おいしい」


思っていたより小さな声が出た。

もう一口食べる。

今度は、さっきよりゆっくり味わった。


「そんなに?」

「ええ」

「よかった」


返事が近い。

見ると、レオンは自分の菓子には手をつけていなかった。

ずっとセレナを優しい表情で見つめている。


「食べないのですか?」

「食べますよ」


「ではなぜ――」

「セレナ嬢」


呼ばれて顔を上げる。

レオンの手が伸びた。

親指が、唇のすぐ下をゆっくり拭う。


セレナの身体が固まった。


「木苺」


レオンの指先に、赤いジャムがついている。


「……言ってくだされば」

「取ってしまった方が早かったので」

「そういう問題では……」


声が少し上ずった。

触れられた場所が熱い。

レオンの指が離れたあとも、その感触だけが残っている。


「また近いですわ」


ようやくそれだけ言った。


「そうですね」


レオンがこちらを見る。

目が合う。


「離れた方がいい?」


夕暮れの庭を思い出した。

あのときは。

『では、気をつけます』

そう言って、本当に一歩離れた。


「……」


返事をしなければいい。

離れてほしいなら、そう言えばいい。

なのに口が動かない。

レオンの視線が、ほんの一瞬だけセレナの唇へ落ちた。


心臓が跳ねた。


すぐに目が戻ってくる。


何もされていない。

それなのに、息をするのを忘れていた。


「……蜂蜜」


やっと出た言葉が、それだった。


「はい?」


「蜂蜜のお菓子。食べないのですか」


レオンが一拍遅れて笑った。


「食べます」

「なら、早くしてください」

「はい」


ようやくレオンが前を向く。

セレナは小さく息を吐いた。


ずるい。


何がずるいのかは、考えない。



しばらくして、レオンが蜂蜜の菓子を一口かじった。


「どうですの?」

「甘い」

「それは見れば分かります」

「食べます?」

「……少しだけ」


そう言って、残りを差し出される。

セレナは一瞬、手を伸ばしかけて止まった。

レオンが今しがた口をつけたところが妙に目に入った。


受け取ろうとしたのに、レオンは手を引かなかった。


「?」

「このままでいいでしょう」

「自分で食べられますわ」


レオンは笑顔で蜂蜜の菓子を目の前に差し出す。


「ほら」

「……」


断ればいい。

なのに。

セレナはほんの少しだけ身を寄せて、一口かじった。

蜂蜜の甘さが広がる。


それよりも。


近すぎるレオンの指と、さっき彼が口をつけた菓子のことばかりが気になった。


「……甘いですわね」


やっとそれだけ言う。


「顔、赤いですよ」

「夕陽です」

「まだそこまで赤くないけど」

「……早く召し上がってくださいませ」

「はいはい」


レオンは笑いながら、残った菓子を口に入れた。

その唇を見てしまって、セレナは慌てて視線を逸らした。


蜂蜜が甘すぎる。

きっと、そのせいだ。


噴水の水面が夕陽を反射している。

手元には、ずっと食べてみたかった菓子。

手首には月白草。

その隣にレオンがいる。

もう帰らなければならない時間なのに。

セレナは最後の一口を、いつもよりゆっくり食べた。


「そろそろ行きましょうか」


レオンが立ち上がる。


「……ええ」


セレナも立った。

帰り道、菓子店のあった通りが見えた。

あの少女は、もう家へ着いただろうか。


母親に渡す花は見つかっただろうか。

その向こうでは、パン屋の主人が値札を掛け替えている。


セレナの目が自然と数字を追った。

昨日までの値段なら知っている。

差額も、すぐに計算できた。


「セレナ」


呼ばれて顔を上げる。


「置いていきますよ」


いつの間にか、レオンが数歩先にいた。


「待ってくださいませ」


追いつく。

並んだところで、レオンの腕が自分の腕に軽く触れた。

今度は離れなかった。


セレナも。

離れなかった。

ただ、歩きながら一度だけ振り返った。


夕暮れの街で。

また一軒、店の値札が書き換えられていた。

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