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処刑まであと7日。悪役令嬢はもう何もしません  作者: すなな


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5/20

5- 処刑まであと6日

午後、公爵邸の玄関前に一台の馬車が止まった。

二階の廊下を歩いていたセレナは、何気なく窓の外へ目を向けた。

使用人たちが、いくつもの鞄や木箱を屋敷へ運び込んでいる。


「あれは?」


後ろを歩いていた侍女も窓の外を見た。


「ヴァレン様のお荷物でございます」

「……こちらに泊まるの?」

「はい。西棟のお部屋をご用意しております。一週間ほどご滞在になるそうです」

「そう」


王都にしばらく滞在するとは聞いていた。

けれど、まさか公爵家に泊まるとは思っていなかった。

父と何か話があるのだろうか。

そう考えかけて、やめた。

レオンがどこに泊まろうと、自分には関係のないことだ。

部屋へ戻ろうとして、足を止める。

戻っても、することがない。

朝から机の上の書類には触れていなかった。

本を読もうにも、手に取るのは政治や経済、歴史に関するものばかりだ。

今は、それすら開く気になれなかった。


セレナは窓の向こうへ目をやった。

初夏の日差しを受けた庭が見える。

白い花が風に揺れていた。

いつもなら、そのまま通り過ぎる。

今日も二、三歩進んでから、セレナは足を止めた。


振り返る。


時計を見る。


次の予定はない。

それが、なんだか不思議だった。


「……少しくらい、いいわよね」


セレナは踵を返した。


部屋ではなく、庭へ続く階段へ向かった。









庭へ出ると、思っていたより風が涼しかった。

毎日のように窓から見ていた庭なのに、こうして目的もなく歩くことはほとんどなかった。

白い月白草が、庭の一角にまとまって咲いている。

名前も、咲く時期も知っていた。

けれど、こうして立ち止まって眺めた記憶はなかった。


「月白草がお好きなんですか」


後ろから声がして、セレナは振り返った。

レオンだった。


「ヴァレン様」


昼間よりも少しくだけた服装をしている。

上着を脱いだだけなのに、朝に会ったときより随分印象が違って見えた。

整った黒髪が風に揺れ、青みがかった灰色の瞳がセレナを見ている。


「驚かせました?」

「少しだけ」

「それは失礼」


レオンはセレナの隣まで来ると、月白草へ視線を移した。


「北では、もう少し遅く咲きます」

「気温が低いからでしょう?」

「ええ」

「夕方になると香りが強くなるとも聞きました」

「聞いた?」


セレナは少しだけ間を置いた。


「……実際に確かめたことはありませんの」


レオンがこちらを見る。


「では、ちょうどいい」

「何がです?」

「もう夕方です」


言われてみれば、日差しはずいぶん柔らかくなっている。

セレナは花のそばで身を屈めた。


ふわりと、甘い香りがした。

蜂蜜のような甘さに、若い葉の青い香りがわずかに混じっている。

思っていたより軽く、涼やかな香りだった。


セレナはもう少しだけ顔を近づける。


「……こんな香りだったのね」

「お気に召しました?」

「ええ」


風が吹いた。

銀色の髪が頬にかかる。

払おうとしたところで、レオンの手が伸びてきた。


「動かないで」


低い声に、セレナの手が止まる。

レオンの指が髪に触れた。

耳の近くをかすめるようにして、絡んでいた小さな白い花びらを摘まむ。


「ついていました」

「……ありがとうございます」


さっきまで感じていた花の香りが、急に遠くなった。

セレナは少しだけ距離を取った。


「ヴァレン様は、女性との距離が近すぎません?」

「そうですか?」

「そうです」


レオンは少し考えるようにしてから、一歩離れた。


「では、気をつけます」


あまりにも素直に離れられて、セレナは拍子抜けした。

これでいいはずなのに、先ほどより二人の間にできた距離が気になる。


セレナは月白草へ目を戻した。


「ところで」


レオンが口を開いた。


「あなた、本当に仕事をやめられるんですか?」

「やめます」

「そうですか」

「何です、その顔は」

「いえ。ただ、先ほどからずいぶん退屈そうだなと思って」


セレナは眉を寄せた。


「失礼ですわね」

「違いました?」

「私は花を見ていただけです」

「ええ。ですから不思議なんです」

「何がです?」

「何もしなくていい時間を楽しんでいる人には、あまり見えなかったので」


セレナは答えなかった。


月白草の香りを初めて知った。

庭へ来てよかったとも思う。

それなのに、どこか落ち着かない。

何かを忘れているような気がしてしまう。


「……長年の癖です」

「そうでしょうか」

「どういう意味です?」


レオンはセレナを見る。


「案外、仕事がお好きなのでは?」

「まさか」

「そうですか」


それ以上、レオンは追及しなかった。

ただ、どこか楽しそうにセレナを見ている。


「何です?」

「会ってみたかったんです」


唐突な言葉に、セレナは瞬きをした。


「それは朝も伺いました」

「ええ」


レオンの指先には、先ほど取った白い花びらがまだ残っていた。


「会えば満足すると思っていました」

「では、目的は達成されましたね」

「それが」


レオンの目元がわずかに緩んだ。


「会ってみたら、余計に欲しくなりました」

「……何がです?」


レオンはすぐには答えなかった。

青みがかった灰色の瞳が、まっすぐセレナを捉えている。

先ほどまで浮かんでいた笑みは、いつの間にか消えていた。

風が二人の間を抜ける。

それでも彼の視線だけは動かない。


逸らした方がいい気がした。

けれど、なぜかできなかった。


「あなたが」


セレナの指先が、わずかに止まった。


「……商会に、という意味でしょうか」

「そう思います?」


今度はセレナが目を逸らした。


「……ずるい方ですわね」

「よく言われます」

「褒めておりません」

「知っています」


いつもの笑みが戻る。


「強いあなたも好ましいですが」


セレナが顔を上げる。


「何も考えなくてよくなるくらい、甘やかしてみたくもなりますね」

「……ずいぶん勝手なことをおっしゃるのね」

「嫌ですか?」


間を置かずに返された。

嫌だと言えばいいだけなのに、その一言がなぜか出てこない。


レオンの目元が少しだけ緩んだ。


「返事は?」

「いたしません」

「残念」


少しも残念そうではない。

セレナは顔を背けた。


「そろそろ戻ります」

「では、ご一緒しましょう」

「結構です。一人で戻れます」

「知っています」


レオンは当然のように隣へ並んだ。

一人で歩けることと、一緒に歩くことは、どうやら彼の中では別の話らしい。

セレナは何も言わず歩き出した。







夕食には、父とレオンも席についていた。

向かいに座るレオンは、何事もなかったような顔で父と話している。

庭での会話を思い出しているのが自分だけのようで、少し腹立たしい。

セレナは料理へ視線を落とした。


「明日は王宮へ?」


父がレオンに尋ねた。


「ええ。まずは財務局と話す予定です」

「それなら、ちょうどいい。こちらからも今日、王宮へ通知を出したところです」

「何の通知です?」

「今後、新たな債務保証は引き受けないと」


セレナの手が止まった。

ほんの一瞬だった。


「すでに保証しているものは?」


レオンが尋ねる。


「それはそのままです。今さら撤回すれば、こちらの信用にも関わる」

「なるほど」


セレナはナイフを置いた。

前の人生でも、父は王家への保証を止めようとした。

婚約を破棄された直後だった。

あのときの自分は、父の書斎まで追いかけていった。


『お願いです、お父様。今はやめてください』

『なぜだ』

『王家との関係が悪くなります。殿下のお立場にも関わります』


父はひどく怒っていた。

それでもセレナは何度も頼んだ。

最後に折れたのは父だった。

セレナは顔を上げた。


父と目が合う。


ほんのわずかに、間があった。

以前なら、もう口を挟んでいる。


「この肉、美味しいですわね」


父が目を瞬いた。


「……そうだな」


セレナはもう一口食べた。

父は何も言わなかった。

向かいに座るレオンが、一度だけ二人を見る。

それから何事もなかったようにグラスへ手を伸ばした。

やがて話題は別のものへ移っていった。


セレナは最後まで、保証の話には触れなかった。


処刑まで、あと六日。


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