最終話
朝。
セレナは目を覚ました。
見慣れた天井をしばらく眺めてから、身体を起こす。
自分の部屋だ。
昨日の審問で、公爵とセレナへの嫌疑は覆った。
アルベルトは王太子としての権限を停止され、拘束されている。
まだ調査は続く。
それでも、セレナはここにいる。
窓辺へ行き、カーテンを開けた。
朝の王都が見える。
今日だった。
本来なら、自分が処刑されるはずだった日。
七日前。
一度死んで、目を覚ましたあの日から、ずっと数えていた。
あと七日。
あと六日。
あと五日。
そして今日。
セレナは窓を開けた。
朝の空気が頬に触れる。
生きている。
食堂へ行くと、父はすでに紅茶を飲んでいた。
セレナも向かいに座る。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
父がカップを置く。
「本日の予定は?」
セレナの手が止まった。
「……ございませんわ」
「そうか」
セレナは紅茶を一口飲む。
「今日は、何もしませんわ」
父が笑った。
「それもいいだろう」
◇
何もしない。
そう決めた。
ソファに座って本を開く。
五分。
十分。
テーブルの端に置かれた帳簿が目に入る。
見ない。
一頁めくる。
また目に入る。
「…………」
結局、手を伸ばした。
数頁めくったところで眉が寄る。
「……なぜここの数字が合っておりませんの?」
「お嬢様」
侍女に呼ばれ、顔を上げる。
「何ですの?」
「本日は何もなさらないのでは?」
セレナは帳簿を閉じた。
「見ただけですわ」
気分を変えようと庭へ出た。
庭師たちが植え替えについて相談している。
「そちらですと午後に日が――」
言いかけて、やめる。
部屋へ戻る。
今度は商会から届いた報告書が目に入った。
「…………」
「お嬢様」
「分かっておりますわ!」
侍女はまだ何も言っていなかった。
何もしないというのは、意外と難しい。
◇
午後。
時計を見て、セレナは動きを止めた。
もうすぐだった。
窓辺へ行く。
王都はいつも通りだ。
人が歩き、馬車が走り、店には客が出入りしている。
やがて鐘が鳴った。
一つ。
二つ。
三つ。
七日前の光景が、一瞬だけ蘇る。
処刑台。
冷たい風。
振り下ろされる刃。
セレナは目を閉じた。
鐘が鳴り終わる。
何も起こらない。
風がカーテンを揺らした。
セレナは目を開ける。
「……終わりましたのね」
◇
「お嬢様」
侍女が入ってきた。
「レオン殿下がお見えです」
セレナは時計を見る。
「……もう少し、間というものを考えていただきたいですわね」
そう言いながらも、断るつもりはなかった。
ほどなくしてレオンがやってくる。
「寝た?」
「ええ」
「ちゃんと食べた?」
「皆さん、わたくしを何だと思っていらっしゃるの?」
「放っておくと働く人」
「……」
否定できない。
◇
二人で庭へ出た。
しばらく歩いてから、セレナが尋ねる。
「アルベルト殿下は?」
「拘束されたまま。王太子としての権限も停止されてる」
「今後は?」
「正式な調査になる。処分はそのあとだ」
「そうですか」
「今日はその話、しなくてもいいだろ」
セレナは少し考えて、頷いた。
「……そうですわね」
◇
「そういえば」
レオンが口を開く。
「何ですの?」
「帰る前のこと、覚えてる?」
セレナの足がわずかに止まった。
「……何のお話でしょう」
「覚えてる顔してる」
「存じません」
レオンが笑った。
「じゃあ、思い出させようか?」
一歩、近づく。
頬に手が触れた。
レオンの顔が近づく。
けれど、唇が触れる前に止まった。
セレナは閉じかけていた目を開く。
「……何ですの」
「いい?」
セレナは少し黙った。
そして、レオンの服をつかむ。
自分から引き寄せた。
唇が重なる。
離れると、レオンが嬉しそうに笑った。
「もう一回していい?」
「調子に乗らないでくださいませ」
「駄目?」
「聞こえませんでした?」
セレナは先に歩き出した。
レオンが追いついてくる。
「で、返事は?」
「何の?」
「結婚」
セレナが立ち止まる。
「……もう少し考えさせてくださいませ」
「まだ?」
「まだです」
「分かった」
セレナは少し意外に思って、レオンを見る。
「それだけですの?」
「セレナが決めることだろ」
「……そうですわね」
「まあ、待つけど」
「勝手になさいませ」
「そうする」
◇
庭の出口まで来たところで、レオンが聞いた。
「で、これからどうする?」
「ですから、結婚については――」
「違う。今日」
「今日?」
「まだ昼過ぎだろ」
セレナは足を止めた。
今日。
このあと。
そんなことを考えていなかった。
本来なら、この時刻にはもう自分はいない。
けれど。
まだ午後が残っている。
セレナは屋敷の外へ目を向けた。
王都には、いつも通り人が行き交っている。
小麦の価格が上がり始めた頃、自分が言った言葉を思い出した。
このままでは、民はパンも買えなくなる。
この国からパンが消えてしまう。
けれど、パンは消えなかった。
小麦の流通も戻り始めている。
今日も街のパン屋には、パンが並んでいるはずだ。
急に、それが見たくなった。
「レオン」
「ん?」
「少し、出かけませんこと?」
「視察?」
「いいえ」
即答すると、レオンが少し驚いた。
「じゃあ、デート?」
「……」
「違う?」
セレナは少し迷った。
「……好きになさいませ」
レオンが笑った。
二人で玄関へ向かう。
「どこ行く?」
「決めておりません」
「珍しいな」
「そうですわね」
「じゃあ、何する?」
外から、焼きたてのパンの匂いがした。
セレナは顔を上げる。
そして、微笑んだ。
「パンでも食べに行きましょう」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
最初に思い浮かんだのは、「明日、パンがなくなりますわ」というシーンでした。
パンがなくなるって何よ、と自分で思いながら人生初のweb小説の執筆を開始しました。
そこからセレナが生まれて、物語がどんどん広がっていきました。
なので私はこの作品を、「悪ぱん」と呼んでいます。
そして、いざ書き始めてみると、思っていた以上に楽しくて。
PV(足跡)やブックマーク・評価してくさったり、皆様の存在がとても励みになっています。
誤字修正などもありがとうございました!
当初は完全全年齢対象の作品になる予定だったのですが……。
途中から、とあるキャラクターが盛大に道を踏み外しました。
「これ、R15で大丈夫か?」と不安になっているうちに、R18にまで手を出してしまっていました。
そんな予定外の展開も含めて、最後までとても楽しく書くことができました。
後日談は8月24日頃に公開予定です。
また書いているうちに話が広がり、今後別ルートを執筆予定です。
◇「私を処刑した王子を6歳から矯正してみます」
※アルベルトルート…ヤンデレなし(多分)
セレナたちの七日間に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
続きが気になりましたら、ブックマーク・評価いただけると励みになります。
後日談も引き続きよろしくお願いいたします。
すなな
◇
◇
◇
おまけ
「こっそり笑顔の練習をするアルベルト」




