3- 処刑まであと7日
王宮へ向かう馬車の中で、セレナは窓の外を眺めていた。
幼い頃から、数えきれないほど通った道だ。
王太子妃教育に茶会や夜会。それに、いつからかアルベルトの仕事を手伝うためにも通うようになった。
王宮へ向かうことは、いつしか日常になっていた。
けれど今日は違う。
これから何を言われるのか、もう知っている。
◇
「セレナ・アルヴェール様がお見えになりました」
「どうぞ」
案内されたのは、王太子の執務室だった。
アルベルトは窓際に立っていた。
「お呼びでしょうか、殿下」
「ああ。座って」
いつもと同じ席に腰を下ろす。
何度ここで向かい合っただろう。
机の上には数枚の書類が置かれていた。
一番上の紙を見て、セレナは視線を逸らした。
知っている。
前の人生で、何度も読み返した書類だ。
「まず伝えておくよ。リリアの容体は安定した。もう命に別状はないそうだよ」
「それは、よろしゅうございました」
アルベルトがこちらを見る。
「本当にそう思ってる?」
「もちろんです」
「……そう」
それきり、しばらく沈黙が続いた。
先に口を開いたのはアルベルトだった。
「セレナ。もう一度だけ聞く」
「はい」
「リリアの杯に毒を入れた?」
「いいえ」
「誰かに命じたことは?」
「ございません」
「君の控室から見つかった毒は?」
「私のものではありません」
「侍女の証言も嘘だと?」
「少なくとも、私は命じておりません」
アルベルトは黙り込んだ。
「リリアは死にかけたんだ」
「存じています」
「……それでも、やっていないと?」
「はい」
前の人生でも、同じようなやり取りをした。
あのときのセレナは必死だった。
信じてほしくて、何度も説明した。
けれど、何を言ってもアルベルトの顔は変わらなかった。
「君がリリアを快く思っていなかったのは事実だよね」
「ええ。何度か注意はいたしました」
「リリアは、君に嫌われていると思っていた」
「そうでしょうね」
セレナにとっては、王宮で守るべきことを伝えただけだった。
それをリリアがどう受け取ったかまでは分からない。
「君が婚約者だからという理由だけで、証拠を無視して庇うことはできない」
「そうですか」
「分かってくれるね」
セレナは彼の顔を見た。
前の人生では、その言葉に納得しようとした。
王太子なのだから仕方がない。
私情で婚約者を庇うような人ではいけない。
そう自分に言い聞かせた。
「婚約者だからと、私を庇うことはできないと?」
「そうだよ」
「……リリア様には、随分お優しいのに」
アルベルトの表情が変わった。
「何が言いたいの」
「いいえ。ただ、少し不思議に思っただけです」
「リリアは関係ない」
「そうでしょうか」
「彼女は被害者だ」
「ええ。この件については」
アルベルトが眉を寄せる。
セレナはそれ以上続けなかった。
リリアと出会ってから、アルベルトは変わった。
夜会では彼女を探し、何かあれば真っ先に庇った。
それでもセレナは口を挟まなかった。
自分は未来の王太子妃なのだから、その程度のことで嫉妬するべきではないと思っていた。
自分はアルベルトが立派な王になるために、ずっと隣で支えてきた。
それを彼も望んでいるのだと、勝手に思っていた。
アルベルトが机の上の書類を取った。
「この件については、引き続き調査を進める」
「はい」
「それから」
アルベルトの指が、紙の端で止まった。
そして微笑みながら言った。
「君との婚約を破棄する」
その言葉を、セレナは前にも聞いた。
あのときは息ができなくなった。
何を言われているのか理解できず、ただアルベルトの顔を見ていた。
「承知いたしました」
今度は、声も震えなかった。
「婚約破棄、謹んでお受けいたします」
「それだけ?」
「はい」
「本当に、それでいいの?」
セレナは一瞬、返事に迷った。
いいのかと聞かれれば、きっと違う。
十年以上、この人の隣に立つ未来しか考えてこなかった。
それが今日、なくなる。
「殿下がお決めになったことでしょう?」
「それは、そうだけど」
「でしたら、私から申し上げることはございません」
アルベルトは何も言わなかった。
差し出された婚約解消の書類に目を通す。
署名欄に自分の名前を書いた。
セレナ・アルヴェール。
ペンを置いた指が、ほんの少し震えていた。
セレナはそっと手を膝の上へ下ろした。
「それでは、失礼いたします」
立ち上がる。
「セレナ」
呼び止められ、振り返った。
「審問で無実が証明されれば、謹慎は解かれる」
「そうでしょうね」
「だから……」
アルベルトはそこで言葉を止めた。
何を言おうとしたのか、セレナには分からない。
「リリア様の一日も早いご回復を、お祈りしております」
一礼して、部屋を出た。
◇
王宮の廊下を歩く。
前の人生では、ここで涙が止まらなくなった。
侍女に支えられなければ、馬車まで辿り着けなかった。
今日は一人で歩いている。
泣いてはいない。
けれど馬車へ乗り込み、膝の上に手を置くと、指先はまだ少し震えていた。
十年以上、この人の隣に立つ未来だけを考えてきた。
それが今日、なくなった。
「お嬢様」
向かいに座った侍女が、不安そうにこちらを見ている。
「お話は……?」
「婚約を破棄されました」
侍女の顔が強張った。
「それから、今日より公爵邸で謹慎です」
「そんな……」
侍女は絶句した。
しばらくして、小さな声で呟く。
「旦那様がお知りになったら……」
セレナも同じことを考えていた。
前の人生で婚約破棄を知った父は、珍しく怒りを露わにした。
王家への支援も見直すと言い出し、それを止めたのはセレナだった。
きっと誤解は解ける。
そうすれば、また元に戻れる。
あのときは本気でそう信じていた。
「お嬢様?」
「何でもないわ」
窓の外へ目を向ける。
王宮が少しずつ遠ざかっていく。
やがて大きな尖塔も、街並みの向こうへ隠れた。
父はきっと怒るだろう。
セレナは背もたれに身体を預けた。
馬車はそのまま、アルヴェール公爵邸へ向かった。
処刑まで、あと七日。




