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処刑まであと7日。悪役令嬢はもう何もしません  作者: すなな


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2- 処刑まであと7日

「お嬢様。北部穀物協会のハロルド様がお見えです」


遅めの昼食を終えたセレナは、紅茶のカップを置いた。


「ハロルド様が?」

「はい。今年の収穫見込みについて、お話があるとのことです」


セレナはちらりと机を見る。

北部穀物協会から届いた書状が、昨日と同じ場所に置かれていた。

例年なら、届いたその日のうちに目を通し、気になる数字に印をつけ、必要なら追加の報告を求めている頃だ。

毎年この時期になると、ハロルドからセレナのもとへ書状が届いた。

今年も、それだけのことだ。

違うのは、セレナが返事をしていないことだけ。


「応接室へお通しして」

「かしこまりました」


侍女が部屋を出ていく。

セレナは立ち上がり、いつもの癖で机へ向かった。

協会からの書状に手を伸ばす。

昨年の収穫量。

王都へ回した量。

北部に残した備蓄。

確か、三年前は春先の価格が少し上がったはずだから、その年の記録もあった方が――

指先が紙に触れる前に止まった。


「……必要ありませんわね」


何をするつもりだったのだろう。

今日は何かを決めるために会うわけではない。

そもそも、今年の穀物をどうするか考える必要すらない。


セレナは伸ばしていた手を戻した。


机の上には何も触れず、そのまま応接室へ向かった。







「突然の訪問をお許しください、アルヴェール様」


セレナが入ると、ハロルドはすぐに立ち上がって頭を下げた。

五十代半ばの、物腰の柔らかな男だ。

北部穀物協会の会頭として、農家や領主、商人たちの間を長年取りまとめている。

穏やかな顔に似合わず数字には細かく、一袋の行方まで把握しているのではないかと、以前セレナが冗談を言ったこともあった。

もう何年も、毎年この時期になると顔を合わせている。


「お待たせしました。どうぞお掛けになって」

「ありがとうございます」


二人が向かい合って座る。

ほどなくして紅茶が運ばれた。

いつもと同じ茶器。

いつもと同じ席。

けれど今日は、セレナの手元に書類が一枚もない。

ハロルドの視線が、一度だけテーブルの上を滑った。

何も言わなかったが、気づいたらしい。

侍女が下がると、ハロルドは革鞄から書類を取り出した。


「先日お送りした報告についてですが」

「拝見しました」

「それはよろしゅうございました」


その返事を聞いて、ハロルドの表情がわずかに緩んだ。

返事がなかったので、届いていない可能性まで考えていたのだろう。


「その後、各地から新しい見込みが上がってまいりまして」


一枚の紙がテーブルへ置かれた。

セレナは目を落とした。

見るつもりはなかった。

けれど、見慣れた地名と数字が並んでいれば、目が勝手に追ってしまう。

北東部はほぼ予測通り。

中央部も大きな変動はない。


けれど――


「……前回より下がっていますね」


口にしてから、セレナはほんの少し眉を寄せた。

ハロルドが小さく笑う。


「やはりお気づきになりますか」

「これだけ並んでいれば」

「そうおっしゃると思いました」


書類の端を、ハロルドの指が軽く押さえる。


「今のところ、北部全体で大きく不足するほどではございません。ただ、例年より余裕がないのは確かです」

「そうでしょうね」


答えながら、セレナの頭の中ではすでに数字が動き始めていた。

北部で消費する分を残す。

冬を越すための備蓄も必要だ。

そこから王都へ回せる量を引けば――

セレナはカップを持ち上げた。


考えない。


「ですので、王都へ回す量について、そろそろご相談しておいた方がよろしいかと」


ハロルドは当然のようにセレナを見ている。

例年なら、ここから話が始まる。

どこまでなら北部から出せるのか。

備蓄をどこまで残すのか。

前年の消費量は。

王都の在庫は。

必要なら、その場でいくつか数字を書き出していた。

けれど今年は。


「そのお話でしたら、王宮の財務局へお願いいたします」


ハロルドの手が止まった。


「……財務局へ、でございますか?」

「ええ」


ハロルドはしばらくセレナを見ていた。

冗談かどうかを確かめているようだった。

やがて、ゆっくりと書類から手を離す。


「失礼ながら、私どもに何か不手際がございましたでしょうか」

「いいえ」


セレナはすぐに否定した。


「ハロルド様にも、協会にも何もございません」

「では、なぜ」

「北部から王都へどれだけ穀物を回すのか。その不足をどう補うのか。それを決めるのは、本来王宮の仕事でしょう?」


ハロルドは口を閉じた。

間違ったことは言っていない。

むしろ、それが本来の形のはずだった。

それなのに、ハロルドはひどく困った顔をしている。


「確かに、その通りではございますが……」

「でしたら、今後は財務局と直接お話しいただくのがよろしいかと」

「しかし、例年ですと、こちらの数字をアルヴェール様にお渡しすれば、王都へ回す量も、備蓄へ残す量も、その後の調整も――」

「財務局がなさるでしょう」


あっさり答えると、ハロルドが黙った。

その顔にはまだ、何かが引っかかっている。


「……左様でございますか」

「ええ」


セレナは紅茶へ手を伸ばした。


「何か?」

「いえ」


ハロルドもカップを持ち上げる。

けれど、口をつける前に戻した。


「では……公爵家の方は、いかがいたしましょう」


セレナの指が止まった。


「父に直接お願いいたします」


今度こそ、ハロルドは明らかに驚いた。


「私どもから、公爵閣下へ?」

「ええ」

「アルヴェール様を通さずに、でございますか?」


同じようなことを二度聞かれ、セレナは少し可笑しくなった。


「今まで私を通していたことの方が、不思議ではありません?」

「それは……」


ハロルドは困ったように口元へ手をやった。

何か言おうとして、やめる。

それから、少し考えるようにセレナを見た。


「アルヴェール様にお話しすれば、すべて話がつながりましたので」


セレナは瞬いた。


「そうでした?」

「はい」

「私は、それぞれに必要なことを伝えていただけですわ」


数字が届けば、必要なところへ回す。

話が決まれば、次の相手へ伝える。

セレナにとっては、毎年してきたことにすぎない。

ハロルドはしばらく何も言わなかった。


「……左様でございますか」


なぜか返事が遅い。


「これからは財務局と父、それぞれにお話しください」

「承知いたしました」


そう答えたものの、ハロルドはまだ何か言いたげだった。


やがて声を落とす。


「何か、王宮でございましたか?」


セレナは紅茶へ視線を落とした。


リリアが毒を飲んだのは三日前。

前の人生と同じなら、今日このあと王宮へ呼び出される。

そこで婚約を破棄され、謹慎を命じられる。


けれど、それはまだ起きていない。


「いいえ」


セレナは答えた。


「何もございませんわ」


少なくとも、今は。


ハロルドはしばらくセレナを見ていたが、それ以上は追及しなかった。


「承知いたしました。では、収穫見込みについては財務局へ報告いたします」

「お願いいたします」

「公爵閣下にも、改めてお話を」

「ええ」


ハロルドは書類を鞄へ戻し、立ち上がった。

それでも、まだ腑に落ちない様子だった。


「しかし、今年は随分と勝手が違いますな」

「そうでしょうか」

「ええ。毎年、まずアルヴェール様にご相談しておりましたから」

「これからは、それぞれ担当の方がなさればよいことですわ」


セレナは当然のように答えた。


「私は婚約者として、少しお手伝いしていただけですもの」


ハロルドが一瞬黙った。


「……少し、でございますか」

「ええ」


何かおかしなことを言っただろうか。

ハロルドはセレナを見たまま、わずかに口元を緩めた。


「いえ。では、そのようにいたします」

「よろしくお願いいたします」


ハロルドは深く一礼して、応接室を出ていった。







扉が閉まる。


一人になった応接室で、セレナはしばらく紅茶を飲んでいた。

さっきまでハロルドが座っていた場所には、もう何もない。

話は終わった。

これでいい。

いつもなら、この後は父の執務室へ行く。

北部の収穫見込みを伝えて。

それから財務局へ――

セレナは立ち上がった。

そのまま二歩ほど扉へ向かう。

手を伸ばしかけて、止まった。


「……どこへ行くつもりなのかしら」


父の執務室だ。

あまりにも自然に身体が向かっていた。

セレナは扉を見つめる。

やがて小さく息を吐いて、元の椅子へ戻った。

何もしないというのは、思っていたより難しい。

北部の数字は財務局にも届く。

王都へ回す量も、備蓄へ残す量も、向こうで決めればいい。

父への話も、ハロルド自身がする。

セレナが間に入る必要はない。

それでも。

念のため、財務局の担当者に一言だけ――


「またですわね」


思わず声が漏れた。

セレナは冷めかけた紅茶を飲んだ。

今日は父の執務室へ行かない。

財務局にも手紙を書かない。

ハロルドには、行くべき場所を伝えた。


それで十分だ。







午後。


セレナのもとに王宮から使者が来た。


「王太子殿下より、登城するようにとのご命令です」


やはり来た。


「承知しました」


使者が下がる。

侍女が心配そうにセレナを見た。


「お嬢様、王宮へ?」

「ええ」

「お支度を」

「お願い」


鏡の前に座り、銀色の髪を整えてもらう。

櫛が髪を滑っていく。

鏡の中には、いつもと変わらない自分がいた。

前の人生では、この呼び出しが何を意味するのか知らなかった。

リリアを害した覚えなどない。

きちんと説明すれば分かってもらえる。

そう信じて王宮へ向かった。

帰りの馬車では、涙が止まらなかった。


「お嬢様?」


侍女の声で、セレナは鏡を見る。


「何でもないわ」


今日は泣くだろうか。

自分でも分からない。

支度を終え、部屋を出る。

セレナはそのまま王宮へ向かう。


前の人生で、自分のすべてが終わったと思った場所へ。


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