16- 処刑まであと3日
※本話には、ヤンデレ要素および相手の意思を尊重しないハードな描写があります。苦手な方はご注意ください。
朝。
リリアが目を覚ますと、アルベルトはすでに起きていた。
寝台から少し離れた窓辺の椅子に腰掛け、頬杖をついている。
昨夜のままのシャツ。
乱れた髪。
朝の光が差し込んでいるのに、こちらを見る気配はなかった。
「……アルベルト様」
返事はない。
リリアはゆっくり身体を起こした。
その途端、首筋に鈍い痛みが走る。
「っ……」
手を当てる。
昨夜、息ができなくなったときの感覚が蘇って、指先が冷えた。
隣を見る。
自分が目を覚ますまで、ここにいてくれた。
以前なら、それだけで嬉しかっただろう。
けれど今は、素直に喜べなかった。
昨夜、耳元で聞いた声が残っている。
――セレナ。
「アルベルト様」
もう一度呼んだ。
やはり返事はない。
アルベルトは考えていた。
セレナをどうすれば、自分のところに置いておけるのか。
昨日までは簡単だった。
レオンは商人だった。
どれだけセレナが親しくしたところで、最後には自分のもとへ戻る。
そう思っていた。
けれど違った。
ヴァルディア帝国皇太子。
本当にセレナを妻にできる男だった。
連れていける。
自分の知らない国へ。
「……どうして私の顔を隠したんですか」
リリアの声が聞こえる。
アルベルトは窓の外を見たままだった。
「昨日だけじゃありません。最初の夜も」
閉じ込めてしまえばいい。
王宮の奥なら、使われていない部屋はいくつもある。
「私、昨日……本当に怖かったんですよ」
誰にも会わせない。
外にも出さない。
そうすればレオンにも会えない。
「息ができなくて……」
それでも、あの男は皇太子だ。
探しに来るだろうか。
国を使ってでも?
面倒だな。
「聞いていらっしゃいます?」
声が大きくなった。
アルベルトはわずかに眉を寄せた。
朝からうるさい。
リリアは自分に抱かれたがっていた。
だから抱いた。
男爵令嬢でありながら王宮に住まわせ、何不自由なく暮らさせている。
それなのに、今度は何が不満なのだろう。
「私を見てください!」
また声がする。
アルベルトの頭には別の考えが浮かんでいた。
閉じ込めるのが面倒なら。
いっそ処刑にしてしまえばいい。
他の男に取られるくらいなら、その方がいい。
処刑なら斬首だったか。
首だけなら、保管する場所にも困らない。
あとは傷まないようにする方法を――
「だったら、どうして私を抱くんですか!」
アルベルトは答えなかった。
「顔も見ないで……あんなことまでして……!」
泣いているらしい。
声が耳に入って、抜けていく。
「私は何なんですか!」
知らない。
考えたこともなかった。
「セレナ様の代わりなんでしょう!?」
アルベルトの思考が止まった。
ゆっくり、リリアを見る。
「……セレナ?」
リリアの顔が歪んだ。
ずっと呼びかけていた。
怖かったと言った。
苦しかったとも言った。
それには一度も返事をしなかったくせに。
その名前だけは、聞こえた。
「やっぱり……」
リリアは寝台の上でシーツを握った。
「やっぱり、そうなんですね」
アルベルトは答えない。
「昨日もそうだった」
「……」
「私を抱いていたのに」
声が震えた。
「最後に呼んだのは、私の名前じゃなかった」
アルベルトの目がわずかに細くなる。
「セレナ様って、呼んだじゃないですか!」
「……そうだった?」
その返事に、リリアは息を呑んだ。
覚えてすらいない。
「どうして……」
涙が滲んだ。
「どうしてそんなことができるんですか」
アルベルトはまた窓の方を向いた。
「私、アルベルト様が好きだったんですよ」
「……」
「ずっと好きで……だから……」
言葉が詰まった。
好きだった。
選んでほしかった。
セレナより自分を見てほしかった。
そのために、あんなことまでした。
なのに。
「最近のアルベルト様は、セレナ様のことばかり」
リリアは涙を拭った。
「私といても、セレナ様」
「……」
「私を抱いていても、セレナ様」
「……」
「そんなにセレナ様がいいなら、最初から私なんて選ばなければよかったじゃない!」
アルベルトは何も言わなかった。
選んだ。
そうなのだろうか。
リリアがそばにいてほしいと言うから、いた。
王宮に住みたいようだったから、住まわせた。
欲しがるから与えた。
自分に抱かれたそうにしていたから、抱いた。
それだけだ。
なぜ、それ以上を求めるのだろう。
「私のことなんて、どうでもいいんでしょう!?」
また声が大きくなった。
「私じゃなくてもよかったんでしょう!?」
アルベルトは頬杖をついたまま、窓の外を見ていた。
どうでもいい。
そんなことより。
セレナをどうするか決めなければ。
「……っ、もういい!」
リリアが叫んだ。
アルベルトは動かない。
「だったら教えてあげます!」
その言葉も、半分しか聞いていなかった。
「セレナ様はあなたに嫉妬なんてしていません!」
アルベルトの視線が戻った。
リリアは気づいた。
やっぱり。
「……何?」
やっと。
まともに返事をした。
胸の奥で、何かが切れた。
「していません!」
「何を言ってるの?」
「私がやったんです!」
アルベルトがリリアを見る。
「毒を飲んだのは、私です!」
「……」
「自分で飲んだんです!」
アルベルトの表情が消えた。
リリアはもう止まらなかった。
「セレナ様に飲まされたって、私が嘘をついたんです!」
「……」
「アルベルト様に心配してほしくて……!」
涙で視界が滲む。
「私を見てほしかった」
あの日の苦しさが蘇る。
喉が焼けて。
息ができなくて。
本当に死ぬのだと思った。
それでも。
駆け寄ってきたアルベルトを見た瞬間、嬉しかった。
「私を選んでほしかったんです!」
リリアは泣きながら笑った。
「だからやったの」
「……」
「私がやったんですよ、アルベルト様」
それでも。
アルベルトは怒らなかった。
「セレナ様は何もしていません」
「……」
「毒なんて盛っていない」
「……」
「私を殺そうとしたんじゃないんです」
アルベルトの唇が、わずかに開いた。
「……じゃあ」
声がひどく静かだった。
「セレナは、僕に嫉妬してなかった?」
リリアは一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。
「……は?」
「君と一緒にいる僕を見て」
アルベルトはまっすぐリリアを見ていた。
「嫉妬してなかった?」
聞きたいのは。
それだけ。
リリアの手から、シーツが滑り落ちた。
「……してません」
「……」
「していません!」
声を荒らげても、アルベルトは動かなかった。
「一度も!」
「僕が君を選んでも?」
「何も言いませんでした!」
「……」
「夜会であなたが私のそばに残ったときも、セレナ様は普通に一人で行きました!」
アルベルトの目が揺れた。
「僕が君を王宮に住まわせても?」
「何も!」
「……毒も?」
「私です!」
リリアは涙を拭うことも忘れていた。
「私が勝手に飲んだんです!」
「……」
「セレナ様は、あなたを取り戻そうとしたことなんて一度もありません!」
静かになった。
アルベルトは、きょとんとしていた。
怒っているようには見えない。
悲しんでいるようにも。
ただ。
理解できないものを前にしたように、リリアを見ている。
「……そう」
小さく呟いた。
「……」
「そうなんだ」
その頬を、一筋の涙が伝った。
リリアが息を止める。
アルベルトは気づかない。
瞬きをすると、もう一粒落ちた。
「……アルベルト様?」
返事はない。
ぽろり。
また落ちる。
顔は変わらなかった。
眉も下がらない。
唇も震えない。
ただ、涙だけが次々と頬を伝っていく。
アルベルトは自分が泣いていることすら、不思議に思っていないようだった。
「セレナ……」
ぽつりと名前を呼ぶ。
昨日のセレナが浮かんだ。
レオンの袖をつかんだ手。
自分とは二人きりになりたくないと言ったくせに、あの男には触れた。
求婚されても。
断らなかった。
あれは。
自分に見せるためじゃなかった?
「……僕に嫉妬してなかったんだ」
また涙が落ちた。
リリアは黙って見ていた。
自分が怖かったと言っても。
苦しかったと言っても。
毒を飲んだのは自分だと告白しても。
アルベルトは何も変わらなかった。
セレナが嫉妬していなかった。
ただ、それだけで。
泣いた。




