第1部 第3章
(第3章の概要)
俺は銀座の弁護士・イノウの不服申立てのためのドラフトの完成を手にする。手数料を払って小遣いから現金を引き出し、ようやくイノウの事務所に到着する。イノウは冷淡な態度ながらも、完成度の高いドラフトを提示し、「不服の申出とは言いたいことを言うものではなく、言うべきことをいうものです」と
言いたいことよりも勝てるための言葉を選ぶ重要性を説く。イノウは、係長側(俺)が極めて不利な立場にあると前置きしつつも、人事部側の判断ミス、特に「予見可能性」と「結果回避可能性」の見落としが「突きどころ」であると分析する。俺は部下による通報の件について誤解であると触れるが、イノウはそれを即座に切り捨て、「そんな意見まったく意味ないですよ」と断言する。
懲戒処分において感情的・事実関係の微細なやり取りは重要視されず、争点にならないというのが彼の立場だった。
アラームが鳴り、時間切れとなる。イノウは完璧な文書を用意しながらも、俺の感情や疑念には一切関心を示さず、冷徹に面談を終える。
(3章)
銀座でコンビニATMを探し出すのはなかなかの至難だった。
俺はなけなしの小遣いを貯めた口座から手数料をかけて金額をおろし、イノウの待つオフィスビルにようやくたどり着いた。
イノウは出来の悪い飼い主を待つ番犬のように無表情に椅子にじっとこしかけ俺を出迎える。
タイムウオッチのアラームが鳴る。「延長しますか」イノウの問いかけに俺はうなづいた。
イノウにみせられたドラフトは恐ろしいほど完璧だった。イノウは草稿となるドラフトを必死に読み解く俺の苦心ぶりに、退屈まじりに説明をはじめる。
「不服の申出とは言いたいことを言うものではなく、言うべきことをいうものです」言葉の端々に呆けた表情する俺の理解の遅さを気にせずイノウは続けた。
「言うべきことは勝てるための言葉です。自分の言いたいことから、何を棄てて何を棄てないかの選別こそが鍵になります」
ここでイノウは一息ついた。「資料はあらかた読みました、率直に言って極めて不利です」ただ、とイノウは付け加えた。
「ただ、言えるなら相手がズブの素人であることが明白なこと、それがこちらの強味だと分析します」イノウの説明は続いた。
過失とは予見可能性と結果回避可能性の観点があり、その観点からみれば人事部の主張は明らかにその判断を疎かにしており「突きどころ」のようだ。
ドラフトはその突きどころを強調するべく、段落仕立てに構成されている、とここまで一気に滑らかに話した。30分は近づいていた。
そのビジネスライクな語りにどこか信頼をよせながら、俺はどうしても気になっている点を尋ねる。
「あの」
はい?イノウは次の予約客の時間を気にしているのか腕時計をしきりに意識して俺の質問を斜めに聞こうとする。延長はこれきりか。
「部下が係長のことを通報しているという件」イノウはふと俺をみすえる「このところは何か誤解だと思いますが」イノウは少し残念な表情で首を振った「そんな意見まったく意味ないですよ」
「え?」
「誤解や誤解じゃないかの経緯なんて懲戒処分全体の主張からみたら、まったく無意味なやりとりです」イノウは面倒くさそうに付け加える
「そんな事実をどう争っても最終判断になんの意味もないからその部分を気にするだけ無駄です」
アラームが鳴った。
オプションサービス一切なしのリーズナブルな低廉待遇、銀座の若い弁護士のイノウはビジネスライクに完ぺきなドラフトをこさえ、そして俺の言葉を見事に封印する。
本作品はフィクションです。登場する人物、組織、職業、制度及び出来事は物語上の設定として構成したものであり、実在するいかなる個人、団体、職種、組織とも関係ありません。本作品は特定の職業や組織を描写・評価することを目的とするものではありません。




