第1部 第2章
(第2章の概要)
ハジとの面談を終えた「俺」は、周囲からの冷ややかな視線を感じつつ、課長のナベサワに呼ばれる。ナベサワはムラサワや桐原の愚痴を聞き流す一方で、部長からの圧力を背景に、収納率向上の新規事業を俺に押し付けようとする。俺は慎重に断ろうとするが、ナベサワは「タカスギが協力的だ」と言って俺を揺さぶる。動揺しつつ席に戻った俺は、タカスギから個別に話しかけられる。
彼女はハジが「仮病」だと陰口を叩かれていることに疑問を抱いており、ハジの耳の不調を信じ、彼の努力を認めていた。かつて職場で標的にされていた彼女は、今のハジに複雑な共感を寄せていた。ハジが残業してマニュアルを作っていることや、以前から「マニュアル魔」と揶揄されている事実を共有する中で、俺はタカスギがナベサワと裏でどんな話をしているのかと疑いを抱き探りを入れるが、彼女ははっきりとした回答を避ける。その直後、来客対応の呼び出しが入り、会話は宙ぶらりんのまま終わる。
(2章)
ハジとの面談を済ませた俺の視界には係員の尖るような視線がふりそそいだ。
逆風全開、非難上等。ふとナベサワが俺を手招きしていた。
突き刺さる棘のような雰囲気から離脱するように、俺はナベサワの課長席にむかう。
ムラサワや桐原の眼が届かないこいつの課長席でも縮こまってナベサワは俺に小声で語り掛ける。
「ハジさんどう、何て言ってた?」俺は心のなかで舌打ちをした「いつものままっすよ」そうなんだ「僕のとこにもくるんだよあのムラサワさんと桐原さんだっけ」
知ってるよ。俺に聞こえるように課長に告げ口してると皆に吹聴してるよ。
「でもうまいことガス抜きしているから」ナベサワは俺にウインクする「タカシ係長も大変だよ」はい、ありがとうございますととりあえず口に出した瞬間、ナベサワが陰で部長に俺の悪口をしきりに言ってると噂に聞いたことをふと思い出す。
あまりこいつを信用してはならない。
「ところで」ナベサワは切り出してくる、俺はさっと身構える「考えてくれた、例の件」レイノケンと俺は少し渋い顔をみせて
ナベサワを牽制する。「部長まだうるさいんすか」そうなんだよ困ってさ、ナベサワが下手な相槌を大げさにしてくる。
「収納率あげるんですよね」そうそうナベサワが嬉しそうに俺の言葉を続ける、こいつにとってハジのことなんか実はどうでもいいことだった。
要は部長にどう評価されるかがこいつの全てだった。
「でも」俺はいつものように言葉を続ける。
「この繁忙の時期だと、新規事業の話はうちの係員、また嫌がって騒ぐかな」係員が騒ぐと課長に訴える、訴えると課長はそりゃ面倒くさい、じゃぁ止めるか。
これがいつものこいつとの話のループだった。
俺自身もさすがにこれ以上のトラブルは抱えたくない「でもタカスギさん」え、俺はナベサワの眼を思わず正面から見つめる、奴の小さな眼球がそれを見逃さず光った「タカスギさんは大丈夫じゃないかって、出来ると思いますって僕に話してくれたよ」ナベサワが語尾を長引かせて俺の反応を探ってくる。「タカスギが」そうそう、ナベサワはにやりと俺を見上げる「部長も本当にしつこくてさ」タカスギがいつの間に課長とつながっていたのかそんな思いが巡り始める。
自席に戻ると、「係長、課長とは何て話をしていたんですか」「う、うん。まぁいつもの風かな」課長との会話を探ろうとする係員を適当にはぐらかしている俺の表情を、チラチラと不安げに気にしているタカスギの姿がある。
「係長ちょっといいですか?」タカスギは話したいことがあると持ち掛けてきた。
少し皆から聞こえないところがいい、話しにくそうな様子なので、例のパーテーションで仕切られた区画に向い合せで話を聞くことにする。
タカスギはまっすぐに俺を見据えて座っている。その真摯な強さを持った眼差しから、俺に何から物語ろうか思案しているようだった。
「ハジさん耳悪いって本当ですか?」「ああそう聞いてるよ」じっとタカスギは俺の言葉を咀嚼し続けている。
「皆、仮病じゃないかって」タカスギは洩らした。
「仮病なのをタカシ係長が庇っていると話しています」庇うという単語に少し動揺するが、それを隠すように俺は明るくリアクションをする「仮病?ひどいことを言うよなぁ」
「係長はハジさんをどう見ているんですか」「ハジの耳のこと?」
タカスギは強くうなずく、どうやらそのことはタカスギにとって重要な意味をもっているようだった「多分悪いと思う、聴力もそうだけど心因的なものも影響しているかな」
わからないけどねと俺は少し言葉を濁した。
タカスギは相変わらず深刻さを崩そうとしない。
「でも」タカスギは絞り出すように続ける。
「わたしはハジさんやっぱり大変だろうって思ってます」タカスギは目を伏せる「皆はああ言うけど、頑張っていると思いますし」
ふっとタカスギは息をのむ「わたしシステムで分からないことよくハジさんに聞いて助けてもらって」
ああ、知ってるよ「何かできることないかなって思って、今でも思っています」タカスギは沈黙した、俺とタカスギの間に重い時間が漂う。
職場の中でハジの聴覚が問題視し始める前、職場の標的はタカスギだったのだ。
「ハジの奴」えっとタカスギは顔をあげる「マニュアル作るって言ってるよ、皆のために」
タカスギは顔をしかめる「よく残ってますよね」うん、そうだね最近少し帰りが遅いみたいだ「係長知ってますか?」
「え」
「ハジさんあっちこっちでマニュアル魔って言われているの」ああ当然知ってるよ。そうだ俺はよく知っていた、ハジは10分で終わる程度のシステム操作に10ページ以上の解説マニュアルを時間かけて作成する名人と揶揄されていた。その類の噂はすでにあちこちの職場で有名だった「皆にすまないって思いはどっかであるみたいだよ」悪気はないはずなんだと、俺は言い聞かせたかったがうまく言葉にできなかった。
タカスギはじっと俺の様子をみていた。
俺はふと何気なく切り出す「タカスギさん、課長と何か話してる?」
「どうしてですか」
タカスギの表情に動揺が見え隠れする「いやハジさんのこと心配なんだろうなって」俺は探りをいれる「課長もずいぶん心配しているし」
タカスギは俺の言葉を頭の中でじっくり慎重に反芻して、意を決したように言い放った「課長から聞かれたことですか」
俺は曖昧な表情を浮かべた「部長がどうとか聞いてない?」
後ろで係長と呼ぶ声がした。
ふりかえると俺のことを指名してくる来客が待ってるらしいと呼びに来ていた。
タカスギとはそこまでの話だった。後に微妙な余韻が漂った。
本作品はフィクションです。登場する人物、組織、職業、制度及び出来事は物語上の設定として構成したものであり、実在するいかなる個人、団体、職種、組織とも関係ありません。本作品は特定の職業や組織を描写・評価することを目的とするものではありません。




