第1部 第1章
(第1章の概要)
主人公(語り手)は、自身に下された懲戒処分に不服があり、若手弁護士イノウに相談するため銀座の法律事務所を訪れる。かつて法テラスで出会った際には親身に対応してくれた印象のイノウだったが、再会した彼はビジネスライクで冷淡な態度に変わっていた。主人公は申立て資料を提示し、部下ハジの諭旨退職に関連して自分が処分を受けた経緯を説明しようとするが、イノウは淡々と資料を読み、主人公の話をほとんど聞かずメモを取り続ける。
相談料は2時間2万円の現金払いと告げられ、持ち合わせがない主人公は現金を引き出すため、夜の銀座にATMを探しに出る。
(1章)
「では、手短に説明を願います」弁護士のイノウは手元のタイムウオッチをスタートさせた。
「ピ」
なんて音がやたら響いた。
職場から1時間弱、夜の銀座はあちこちが妙に派手で眩いものだった。足裏に踏みしめるアスファルトですら高級そうな思わせぶりでその靴音の響きですら胡散臭いものだった。高層の銀座ビルの一角、N島総合法律事務所のオフィスはやたら天井が高く室内はむやみにでかかった。大会議室の大テーブルをLED照明灯がこれでもかと室内を照りつけてくる。大テーブルの向こう側椅子にふんぞり返る若い弁護士のイノウは、俺のくたびれた背広を上から下から斜めから品定め完了している。
この照明灯のなか俺に隠せそうなものなんてない。
イノウに待たされてたこれまでの30分間、大テーブル上に精一杯俺の申立て資料を広げた。扉の向こうから面倒くさそうに現れた若い先生はじっと俺の姿をみていた。
もったいつけて挨拶をようやく口にした。多分、俺の顔を一生懸命思い出していたんだろう。
日曜日の法テラスの無料弁護士相談の枠でたまたま相談相手がこのイノウだった。
強引に頼み込んで手に入れた名刺先にある法律事務所に電話を数回と、メールを度々送信してようやくイノウを再面接にこぎつけるまでゆうに1か月が経っていた。
「ええっと懲戒処分の件でしたっけ」
俺は、そうですと不必要に大げさに頷いた。
大テーブルの向こう弁護士のイノウは眼鏡の奥の視線をちらっと俺の申し立て資料にすべらした。
その経緯は延々と資料上にちりばめている。
「部下のハジさん?でしたっけ、諭旨退職になったと」は、はい、そうです。
「それで係長であるお客様に管理監督責任上の懲戒処分が下された」そうですそうです。
弁護士は何か思い出したのか面倒くさそうに手を伸ばして数多くの資料から処分説明書をみつけ、つまみあげる。
座ったまま汚いものを眺めるように斜め読みを始めた。
俺とイノウとタイムウオッチ。
弁護士は俺の存在をほぼ無視して時折笑みを浮かべながら、ちゃちゃっとメモをとり始めた。
30分5500円でいいですよ、法律相談でのクライアント様になりますから破格の対応ができるものです。法テラスで出会った眼鏡の若いイノウは寝癖を残していたものの、にこやかにはきはき説明してくれた。
ひどいですね明らかにこの処分はこじつけだ、不服申し立てをした方がいいですよ、法はそのためにあるものです。テレビドラマの弁護士はいつでも弱者の味方。
理不尽な組織から被害を受けた僕たちを守ってくれる正義の味方。そんなイメージどおりの若い弁護士の眼鏡の輝きに、俺はようやく救いを見出した気になった。
今、俺の眼の先にいる大テーブル向こうにふんぞり返るあの若いイノウって奴は、髪を綺麗にセットしていて打って変わってただのビジネスマンの営業スタイルの姿勢を崩さなかった。
破格の対応と説明した単価5500円の30分は明らかに低廉な客層、銀座の弁護士の大先生に不釣り合いな客確定が明らかで、待たせる間、お茶のひとつすらださない徹底した塩対応を微塵も隠そうとしない。
処分説明書を読み終え、次に人事部作成の答弁書で事情説明を読み込むイノウがふっと息をついた。
俺のさぐる視線に気づいたようで「ああ、ドラフトを今用意します1時間くらい楽にしてください」俺が口を開きかけ、事情説明しようとするのを制してそう告げた。
1時間楽に、とは好きにしてていいよ。私に構わせないでくれっていうイノウって弁護士の無言の圧力だった。
弁護士は答弁書と事情説明を交互にゆっくり見比べ、自分のメモを補記しつづけている。
あれがドラフト?
俺が途方にくれていると思いついたようにイノウはタイムウオッチをみて「ああ2時間程度大丈夫ですか」
2時間ええっと30分5500円だからと、頭で計算を始める俺の様子に興ざめした様子を隠そうともせず
「初回なんで、2万、でいいっす。現金だけですけど」鼻先でイノウはそう言うと俺から関心を失ったかのように資料を再読し始め手書きメモの作成を続ける。
俺は持ち合わせがないから近くで口座から降ろしてきますと弱々しく伝え大会議室を後にする。
イノウの奴はチラッと目をあげただけだった。
弁護士とタイムウオッチをそのままだだっぴろい室内に残した。土地勘のない夜の銀座にコンビニATMを探しに飛び出した。
本作品はフィクションです。登場する人物、組織、職業、制度及び出来事は物語上の設定として構成したものであり、実在するいかなる個人、団体、職種、組織とも関係ありません。本作品は特定の職業や組織を描写・評価することを目的とするものではありません。




