第1部 第16章 処刑
第1部 終幕
(16章)
少しづつ担当業務を削られ、今では封入封緘の単純作業が日課になったハジのことをあえて誰も気にしない。のんびり職場にやってくるハジは残作業の封入封緘を気ままに日々行っているようにすらみえる。たまに人事部に呼びだされた。ハジがいることもハジがいないことももうたいした問題ではないかのように職場は不思議なほど平穏に日々を消化していった。
マザキから指定された期限はそれでも近づいていた。期限までに退職届をださない場合は免職になる。免職とは金目でいうと退職金がでない。ハジの勤続年数から換算すれば数千万。選択肢としてはウエートが大きくあまりにも大きな代償のはずなのに、ハジの様子は何かが吹っ切れたのか異様なほど平然としているように映った。
たまにナベサワはハジに体調を尋ねた。ハジにどのように尋ねても、懐にしのばせたしわくちゃの紙を取り出し読み上げるだけでそこに書いてあること以上は話さない。そうして全然普通ですよとハジは最後に付け加える。
普通であること自体が異様ではあるのだけれど。
退職届の提出をしつこく確認していたマザキも音沙汰はない。期限が近付くにつれハジは腹痛や様々な体調不良を訴えだした。ナベサワは何も言わなかった。マザキに問合せしろと言いかけるが俺の顔をみて不気味なものをみたように押し黙ってしまう。俺はマザキにあえて確認するがそこは職場の判断でと取り付く島もない。
期限まであと数日、マザキから突然呼び出しがあった。俺とナベサワにだった。
「あ、そうそう」ハジさんにも聞くことがあります、ということだった。ハジはマザキの呼び出しに打って変わって動揺を見せた。
ハジはナベサワにしつこく尋ねた「どう答えればいいのですか?」「教えてください」その必死なハジの言葉にナベサワも動揺が伝染してただ首を小刻みに横に振るだけだった。
その呼び出しは明らかに不吉なのはずなのに俺はどっか呑気だった。昼飯のメニューを考えていた。
呼び出し順はハジ、俺、ナベサワの順だった。先に呼びだされたハジは、無言で席に戻ると険しい表情で固まったまま何の反応もみせなかった。みるとナベサワは震えながら必死に何かの資料を読み込んでいる。
次は俺だった。俺は人事部に向った。自分の鼻歌のハミングが聞こえていた。
個室にくるように示されたその場所はカーテンが締めきられていて真向かいに人事部のマザキの姿がみえた。閉鎖された空間俺は辺りを見渡した。そうして俺の真ん前には無機質に銀色に光る録音機が作動していた。マザキは俺の着座を見届けて徐に読み上げた。「これから訊ねることは重要な証拠になります」
職場に戻るとナベサワの姿はすでになかった。ハジは早引けしたと係員は教えてくれた。誰もが腫れ物に触るように俺に接していた。目を合わせようとしなかった。
呼び出しからナベサワが戻ってきた。その姿を認めて俺は近づいた。ナベサワは俺の顔をみて少し表情をこわばらせたようにみえる。ナベサワは自分はありのまま話しています、ハジさんの様子やこれまでのことをです。そう事務的に俺に説明してきた。その答弁的な釈明の言葉には明らかに違和感があった。
でも俺はそんな奴の言葉の多くに何の意味も感じなかった。
言葉は俺にはいってそのまま抜けて空気に霧散した。
よそよそしい声色?ナベサワは俺の微妙な反応を気にしたようで、少し話せるかとパーテンションの区画に誘った。二人きりになるとナベサワは露骨に声を潜めた。
「・・・多分、ハジさんの件で人事部からなんらかの処分が出る可能性はある」ナベサワは自分の発した言葉の印象を吟味している。俺は、俺は薄ら笑いを浮かべていた。思いと表情が噛み合わなかった。
「あって訓告、悪くてもせいぜい戒告だよ」ナベサワはいつものようにウインクをする「ハジさんは?」その問いかけに俺は帰っていますと伝えると、そうなんだとたいして興味もないように呟いた。ナベサワは俺の肩をポンポンと叩いた。
期限の前日、ハジは俺が出勤するより前に職場にいた。珍しいことだった。俺の姿をみて仁王立ちした。どこか俺のことを見下ろしていた。ハジから紙が渡された。みると退職届だった「さっき人事部によってきました」ハジはポツリと言った。
退職理由には職場に迷惑をかけたくないためと書かれていた。いいのか?俺はふとハジに尋ねた。ハジは何も答えなかった。黙って自席に戻ろうとしてふと振り返る「係長、係長も頑張ってください」。
他の係員が出勤しはじめ職場にはいつもの喧騒が起き上がりつつある。俺の手にはハジの退職届があった。ナベサワにその報告をするとつまんなそうに「ああ、わかった」とだけ言った。
マザキに連絡をいれると、明らかな動揺があった「ちょっと今はそれどころじゃないです」そう言って電話を切られた。期限の当日はハジは遅れて職場にやってきた。簡単に皆に挨拶をすませて帰宅していった。もう誰も何も言わなかった。それがハジの最後だった。
そしてその日の午後、マザキから俺に連絡がはいる。辞令の呼び出しだった。
一緒に呼び出されたナベサワは部長のところによるから先に行ってくれと言った。俺は辞令の控室で待たされた。控室には豪勢なソファーがあった。座り心地がいいはずのソファーにぎこちなく俺は座った。
時間がやたら長く空気が重く感じる。声がかかり辞令を受け取るべき主賓室にうながされる。
そこには副区長はじめ各部長級が勢ぞろいしていた。隅にナベサワもいた。マザキの眼も光っている。皆、一様に俺の挙動を眺めていた。「礼」全員で一礼をする。
空気が引き締まったようにピシりとなった気がする。副区長が辞令をよみあげた。その唇は乾いていた。
副区長がところどころ噛み気味に読み上げる辞令は俺のパワハラ行為で職員が諭旨退職になった責任で処分するというものだった。
厳かに文書が俺に渡された。副区長は「しっかりするように」そんなことを言っていた。
終始、俺は目を伏せていた。副区長の金色の靴が悪趣味だななんて思っていた。こんな靴をどうしてわざわざ購入する気になるものだろう。
「礼」ふいに号令。そうして解散。式は終わった。処刑されたのは俺だった。
退室しようとする俺の後ろからナベサワが近寄ってきた。俺は思わず尋ねた「課長も処分されたんですか?」ナベサワは一瞬詰まった「う、うん戒告だけ」まいったよ、と小さく苦笑いした。その笑い顔の歪みで俺ははっきり悟った。
はめられたのは俺だった。
ナベサワは慌てて付け加えた「減給だよね、大丈夫、次の査定でその分上乗せできるように加点するよ」
絶妙なウインクがあった。部長が近寄ってきた。ナベサワは部長に挨拶し笑顔で談笑をはじめた。
何にも事情を知らない部長は笑顔のまま俺に軽く説教をして「これも人生経験だよ」なんて俺から顔をそむけ冗談をいった。職場に戻る階段。俺の足取りは軋み続けた。
処分は匿名でホームページに公開される。次の日、俺を指名する電話があった。名乗らないらしい。
俺は不審がり電話にでる「・・・ハジです」奴だった。どうした?俺は訊ねる。
その声色に微妙な反応を感じたのか奴は「い、いえ何でもないです・・・ただ」俺は黙って聞いていた。やたら遠くにハジを感じた「ただ何にか忘れ物したと思って」
その頃から俺はうまく眠れなくなっていた。浅い眠りの影響で日中も呼吸がきちんとできないようになっていた。
本作品はフィクションです。登場する人物、組織、職業、制度及び出来事は物語上の設定として構成したものであり、実在するいかなる個人、団体、職種、組織とも関係ありません。本作品は特定の職業や組織を描写・評価することを目的とするものではありません。




