第1部 第15章
(15章)
ピ。
ピピピピピ。
百均で買ったようなタイムウオッチが鳴りたてた。イノウはその音を聞き腕時計で時間を確認する。
「延長になっていました」事務的にそう俺に告げた。
イノウは鼻を鳴らした。俺に無感動に目をむける。
銀座のオフィスのだだっぴろい大会議室の巨大なテーブルでいつものように真向い合せに座っている。
奥の個室に通すまでもない低廉な客専用か雑魚寝仕様の巨大テーブル。銀座の総合法律事務所にはそんな低レベルのクライアントはいるはずもないのか。
他の客の姿はここじゃみえない。物音ひとつ聞こえやしない。防音完備は当たり前なのか。
俺の話をどう受け止めたのか。イノウは少し考え込んでいた。
「それがハジ・・・職員Hの諭旨退職のきっかけということですね」イノウの確認に俺はゆっくりと頷いた。イノウは目を細め、俺が毎回用意する膨大な資料を漁り始める。
「さっきは安全配慮義務も聞かせてもらいました」
安全配慮義務?ああ、あれだハジを職場の皆で排除した状況、そんな様子でも結局、イノウに言わせれば
そんな言葉、安全配慮義務違反になる程度の状況なんだ。
安全配慮義務、職場の環境づくり、そんなパッケージ化された言葉が
記号化されて俺の記憶をラベリングする。
イノウは資料をみつける。これこれ、と独り言。
「でも職員Hは最終的に懲戒免職ではなく退職6か月ですよね?」そのイノウの確認が変な角度で俺に刺さる。
「え?」イノウは俺の動揺を不審げに手元の資料を差し出す。
懲戒分限審査委員会の黒塗りばかりされた議事録要旨の文書にハジの処遇が次のように明記されている。『懲戒指針の「懲戒免職」に該当する連続欠勤日数だが、欠勤した日に病気で無かったとまでは証明できないためひとつ下の停職6か月としている。ただし、本人から退職届が提出されたので諭旨退職を認めるとした。』
黒塗りされず残された資料の文章を読み返した刹那、俺の頭の奥でドカンと何かが揺れ動いた。
「ハジは免職ではなくて停職、嘘だろ」イノウはどうでもいいことのように俺の狼狽を観察している。
「辞めなくてよかった、まじかよ」
俺は事態がよく理解しきれなかった。
なんでハジは消えた。どうしてハジは封印された。
俺は何に加担していた?揺れ動き続ける俺に対して、腕時計をチラ見するイノウが小さく溜息をつく。
「裁判、訴訟、不服申立て、何事もそうですけど」俺はイノウの言葉のする方をむいた。
「シンプルにいうと嘘つきは誰だってことを決めるゲームです」嘘つき?俺は思わず聞き返した。
「どっちかが嘘ついている」イノウは首を振った「いや、どっちかが嘘をついていることに、させられる」イノウは俺を正面から見据える
「そう・・・させられたら負け」イノウは鼻を鳴らす
「安全配慮義務、諭旨退職の経緯」イノウは再び腕時計をチラ見する「そのことは、ふうんってだけ、正直、勝ち負けにあまり関係ない」
ピ。
ピピピピピ。
タイムウオッチがまた鳴った。
俺の小遣いをかき集めた持ち金はもう不足していた。
延長オーバー「支払いは現金だけっす」イノウはニヤッと笑う「領収書もでないです」
本作品はフィクションです。登場する人物、組織、職業、制度及び出来事は物語上の設定として構成したものであり、実在するいかなる個人、団体、職種、組織とも関係ありません。本作品は特定の職業や組織を描写・評価することを目的とするものではありません。




