僅かな光明
牛緒源一郎へ衝突し弾けた魔力で象られた雷は、筋密度が異常に高められた肉体を駆け巡り、確かに身体を硬直させた──瞬きにも満たない程の一瞬だが。
しかし、その一瞬を過ぎた後も老人は動かなかった。
奇妙なことに空に浮かぶ黒雲からではなく、突然室内で閃いた雷。空を平行に滑り割いて自身の身体で弾けたそれがどういった理屈でもたらされたものなのか。自分の“聖域”を犯した侵入者が倒れ伏していた場所とは見当違いの方向から放たれたそれが、強い警戒心を老人へと植え付けた。
突然放たれた魔術の正体。大人どころか子供すら隠れようが無い瓦礫の隙間の向こうに刻まれた“転移陣”その向こうで、此方の動向を知る“探知”の術に長けた夜の種族が構えていることを理解したのは鬼月佐治のみであった。
(……セラさん……)
理外の攻撃が戦闘に空白を生み出す。侵入者が身体を再構築し立ち上がるまでに十分な時間を。
「手前ェ、今のは……」
「教えてやらない。お喋り嫌いなんだろ?爺さん」
「……ああそうだ。若ェのは口ばかり達者でなァ。嫌ンなる」
もう当の昔に生産が打ち切られたのが容易に推測できる、古めかしい蛍光灯が人工的な明かりを降らせる部屋に佇む老人。かつて組員が詐欺や脅迫に用いていたFAX機能の付き家庭用電話を置いた机を挟んで対峙している、匕首の切っ先を自分に向けている男を瞬き一つせずに見据える──
「──う!」
鬼月は確かに全神経を尖らせていた。しかし、それでも、反応が間に合わない。
目の前に在った机の天板が突如真ん中からひしゃげたかと思うと、自分の左胸が急に熱を持つ。今まさに匕首の切っ先によって心臓を貫かれんとする身体が痛みではなく熱さを信号として脳に送り出す。
(避け──いや!心臓なら!イケる!)
苦痛を訴える電気信号に従って身を逸らせば、血液を送り出すという重要な役割を担うポンプから刃をずらせる可能性は十分にあった。
だが、それをあえて選択しない。
「!?」
牛緒源一郎も相手の身のこなしが如何程のものか、戦闘の中で理解していた。重要な臓器から刃を逸らされ、反撃に転じられる可能性を踏まえていた。
だが……かつて鉄砲玉として何度も行ってきた十八番の技……匕首を自身の身体に寄せ、相手に体重を込めた体当たりと共に繰り出す刺突はそのまま何の抵抗もなく侵入者の胸を貫く。切っ先が背中から突き出す。鮮血が噴き出す──
「……ぬがぁ……!!」
「手前ェ……!!」
そして、再生する肉が異物を飲み込んで成長を続ける木々の如く匕首を取り込む。
鬼月佐治は確かに覚えていた。セラ・テンキーンが自分の身体を改めて調べた際に、心臓は大部分が魔力が補っていると告げたことを。水の様に姿を変幻自在に移り変える魔力によって構築された部位は再生力が強く攻撃を受けても致命傷にはそう成り得ないだろうと導き出したのを。
賭けではあった。僅かに残された生身の部分を引き裂かれればどうなるか。想像できない訳ではなかった。
(このまま武器を奪う!)
それでも、鬼月はリスクを受け入れた。
目の前の怪物を打ち倒せるビジョンは未だ彼の中に無い。だが、降伏する選択肢も恩人を見捨て逃げ去る道も彼の中に無い。
やれることをやる。僅かな光明すら今は見えないが、希望の糸が掴めるかもしれない選択肢を若人は選ぶ。
その一手として選ばれたのが匕首の奪取。相手の手札を一つでも減らすとそう決めたのだ。
「舐めた真似かますンじゃねェ糞野郎ォッ!!」
腹の底から沸き立ち増幅した怒り、憎しみ。それらをこれでもかと孕んだ怒声が鼓膜を貫く。再生しつながった筋繊維がブチブチと引き千切れる音が、自分の身体から、突き刺した匕首から両者に伝わる。
しかし、抜けない。
確かに異物を掴む鬼月の体組織は人知を超えた剛力によって引き千切れる。だがその度に再生する。掴み直す。千切れる。また組織が元の場所に異物を巻き込んで戻ろうと再生する。
(……やれる!これならば!)
鬼月は自分の再生能力というものに関して、怪我がすぐさま治る体質という以上の認識は無かった。今この時までは。
だが、今自覚した。自分の身体が傷ついて“元の形”に戻ろうとする力は凄まじいものだと。沼底から天上にまで遠く感じていた力量差さえ埋められる可能性があるものだと──
突然、既視感のある浮遊感が身体を支配する。
自分の歯を噛み砕かんばかりに食いしばり、奈落の穴よりも深く黒い瞳の奥に怒りの炎を燃やした老人の顔が真下に見える。
持ち上げられている。突き刺さった匕首を軸にして。
つい先程の惨劇が脳裏に蘇る。走馬灯に似たそれが脳味噌を駆け巡り──若人に一つの閃きをもたらす。
幸いにも自由だった腕が懐に伸びる。そして──黒い拳銃を掴み取り老人の深く黒い瞳を持つ眼球へ狙いを定める。
「──!!」
乾いた発砲音が二回、うら寂しい建物の中に鳴り響いた。
◇
サジ君のものでは無い“もう一つの魂の火”を持つ誰か。まず間違いなく……ウシオ・ゲンイチロウ。今この建物の中には二人しかいないのだからまず消去法で間違いない。
押し寄せる火炎に呑まれた彼を探す為に放った“念話”……魔力の節約の為、意思の疎通ではなく居場所を掴む念波を飛ばす感知の段階で留めているから厳密には“念話”ではないが今はその辺りを気にしている場合ではない。
とにかく吸血鬼固有のこの技術を応用したおかげで彼の居場所は直ぐに分かった。移動していることから何とかあの炎を免れたことも。しかしながら、肝心の……怪物からは逃れられていないということもよく分かった。
そう。怪物だ。私の世界でもまず見聞きすることも無かった強者。恐らく竜にさえ匹敵する化生の存在。
何の冗談でもない。
有り得ない。あの老人の魂は確かに人間の物だ。なのにどういうことだ。
あの炎は“火球”の成り損ない。それは分かる。だが通常それは大した射程も無く、枯れ木に火を灯す程度の火力だった筈。人間が扱うならばあんな轟炎には成り得ない。どこぞの村から討伐隊を差し向けられた時に身を以て経験している。何だったら放つ炎に一番近い術者本人が大火傷を負うような魔術。
先程の火炎は火竜の息吹と比較しても遜色は無い。規模を考えればそれこそ術者本人が真っ先に燃え尽き灰になる火力。
だが、自分が感知した老人の魂。そしてそれを宿す器は縦横無尽に暴れ回り、駆けまわり、静物だろうと生物だろうと無差別に破壊の限りを尽くしていく。自身さえも焦がす炎もサジ君の決死の抵抗も何ら意に介さず。
有り得ない。魔力の総量が……ヒトのものではない。人間は個体によって魔力の保有量に振れ幅があるとか、森白人はほぼ例外なく魔力を多く宿しているだとか、そんな種族上おかしいなどというような次元ではない。
この世に存在する一個の生命体として、ウシオ・ゲンイチロウは異常を極める。
実際に肉眼で姿を捉えた訳じゃない。しかしこうして壁越しに周辺の魔力の流れを感じるだけでも異常性は分かる。大気に浮かぶ主人を持たない魔力が、あの老人に次々と吸い込まれ隷属してゆく。
自然の中に在る魔力を利用する技そのものは珍しくない……森白人の得手だ。規模が異常なのだ。そして、その魔力を留めて置けるその身の許容量が異常なのだ。
それこそ、鬱蒼と生い茂る枝葉から空気と日の光を取り込み、大地を固めて水と栄養を吸い取る迷宮と化した大樹の様に。
彼と戦うということは一個の強大な迷宮そのものに牙を剥かれるのと同義。
「……フゥー……」
……現状を再認識する為とはいえ、色々悲観的な考えが頭の中から途切れなくて嫌になる。
けれども、それでも、確かなことは彼は人間であるということだ。“雷撃”で痺れ硬直が生まれるれっきとした肉の身体を持つ人間なのだ。
クロダ君に協力する為に描きつけた、この石造りの家の中に配置した転移陣。
それら全てを繋ぐ新たな転移陣をこの地下室の床に急ぎ描き上げた。好機を見て……援護射撃を送り込む為に。
だが好機の前に窮地がやって来た。魂の動きから壁に叩きつけられ動けなくなったサジ君を追い詰めようとしていることを察した瞬間、自分の掌から“雷撃”は放たれ、そして直撃し、一時動きを鈍らせることができた。
(……しかし、この後どうするべきだろうか)
今のところ、現状を打破する為に思いついているのは……残りの魔力を掻き集めた最大出力の“雷撃”をウシオ・ゲンイチロウに当てて、隙を作る。どのくらい隙ができるか分からないけれども、先程よりかは時間を作れる筈。その間にサジ君を離脱させることができるかもしれない……彼がこの作戦に納得してくれれば。
しかし今のところこれ以外に効果的な作戦が思い浮かばない。奇跡的に私は存在を気付かれていないようだし、サジ君さえ逃げ切れれば後々私もひっそりと抜け出せる可能性も……無い訳、ではないだろうし。
……というか色々考えたところで、そもそも伝えられる好機が見つからない。“念話”はいつでも送れるけれども、この絶え間ない戦闘の中に割り込めない。今、サジ君の集中を乱せば全てが終わる──
「……ん?え?」
増えた?
そんな馬鹿な。
「いや……増えている」
絶え間なく動き続けるサジ君の物でも、燃え上がり続けるウシオ・ゲンイチロウの物でもない魂の炎──それが見える。
「──嘘だろう?」
しかも複数。
「これ以上ややこしくしないでくれ給えよ……!!」
その上、明らかに組織立った、お互いがお互いの死角を埋め合う、背中を預け合う連携を取り合っていると察せる動きで。
これが何なのか。先程から脳を支配している絶望的な考え以外に……最悪なことに、今のところ思いつかない。
「……増援、だなんて!」




