力の優位性 情報の優位性
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戦いの舞台としては狭苦し過ぎる組長室から転がり出る。閉所はとにかくまずいと吸血鬼の従者は先程身をもって理解させられた。
鬼月佐治の脳内に残された見取り図によれば、今現在自らの背後に開けた部屋へ繋がる締め切っていない扉がある。視界を外さないまま、後ろに向かって跳ねる海老の様に背後の扉にぶつかり、荒々しく開ける。
勢いよく壁へ衝突し反動で閉まった扉の先には、ささくれの目立つ机がいくつも中心に集められた広めの部屋。素早くペン立てや平べったい家庭用電話を蹴飛ばしながら駆けあがり、机によって形づくられた反対側の通路に着地する──同時に、背後から轟音。目の前の黄ばみ切った壁紙の張られた壁に鋭く、太く大きな木片が突き刺ささる。
下手人は扉を蹴り壊した旨を証明する、踏みつけられた泥の様に人の足指がくっきりと刻印された木片も壁に叩きつけられ、軽い音を立てて床へ転がる。
「……!!」
それが先程通ってきた扉の成れの果てであること、偶々着地の反動で全身が机に隠れるようにしゃがみこんでいたから壁ではなく自分が貫かれずに済んだこと──ならば、自分は今自分は相手の視界を切った、という事実を若人は一瞬で理解する。
ポケットの付いたゆったりとしたズボンにねじ込んだ武器は、黒く煤けた幅圧のナイフに──黒田の伝手で予備も含めて弾薬を受け取った回転式拳銃。だが──
「……チッ」
思わず居場所を知らせるリスクも忘れ、小さな舌打ちが出る。指向性を持つ榴弾の如く撒き散らされた木片が転がる音に掻き消される程度であったのは不幸中の幸いであった。
念の為に持ち込んだ弾丸の予備は全て消し飛んでいた。もっとも炎熱に巻かれて暴発する危険性を鑑みて咄嗟に地下通路に投げ捨てたのは自分自身なのだが。
それでも何とか数発くらい持ち出せなかったか、そんな後悔が脳内に産まれるが即座に打ち消す。切り替える。今は手に馴染むサバイバルナイフと運よく無事装填されたままの六発に頼るしかない。
全神経を尖らせつつ、大きく息を吐く──吐息に、自分から切り離した魔力の微細な粒を混ぜることを強く意識しながら。
命を救われた恩人であり魔術の師匠である人物から教えを受けた技の一つ。“探知”の魔術。正確にはそれを応用した技の一端。
魔力を放出する形で活用する際、杖の類を使用しないなら口腔を経由して放つのが効率的で効果も最大化しやすくはある、との助言も受けた。それが確かであるのは師匠が管理する迷宮への侵入者を利用した、又は黒田羽久斗から紹介を受けた人気の無い小規模迷宮で魔物相手に行った実践に向けた実験的な鍛錬の中でよく分かっていた。
肉眼では捉えられない程に微細な魔力の粒。それは言わば発信機の役割を果たすもの。それぞれが常に自分達を放った主人に対し位置を教える。盗人萩の如くペタリと動体や生物にくっついて。
通常、まだ位置が判明していない遠方の敵に対して用いられるのが一般的な魔術。今回、鬼月は位置関係の一方的な把握の為に行使した。これなら机の影から頭を出さずとも相手の様子を探れる。
魔力の粒を散布しながら、自分が駆け上がった際に小物を蹴飛ばして作ってしまった卓上の痕跡が居場所を知らせるのではないか気がかりであった為、机で作られた通路の右端にへと身を寄せる──
「──ッ!!」
その判断が正解であったことは、自分が先程まで身を隠していた机が暴走するトラックにでも押されたかのように床を滑り、けたたましい衝突音と共に天板を割る姿から証明された。同時に痕跡からおおよその位置を割られていることも。
次々に机が列ごと凄まじい力によって壁へ叩きつけられ、身を潜めていた通路が塞がってゆく──鬼月から見て左側へ向かって。
(……チャンスだ!)
探知結果を待つまでもなく、牛緒源一郎の位置を掴んだ。身を屈めたまま通路が塞がりきる前に右端から反対側の通路へ。
掃除の為に机と椅子を端に寄せた教室の様に広くなったそこには、百歳を超えているとは到底思えない程にしゃんと立つ老人の背中が見えた。
背後を取った。
視覚、嗅覚、触覚。立ち上がった鬼月佐治の持つ全てのセンサーが目の前の強敵を捉える。
産毛の先までもが空気の僅かな揺らぎを蜚蠊の触覚が感じ取る様に意識を向ける。そして西部劇のガンマンを思わせる動きで銃を抜き放ち──一足飛びに距離を詰めて引き金を引く。
人工的な明かりに薄く照らされる部屋に二回、銃声が鳴り響く──それと同時に、牛緒源一郎は身を翻す。
「!!」
信じられないことに目の前の老人は銃弾よりも早く動ける。そのことは先程思い知らされた。故に鬼月は銃の利点を殺してまで距離を詰めた。確実に銃弾を浴びせる為に。
作戦は成功し、身を翻した老人の胸に弾丸が当たる。
「は!?」
銃弾は確かに当たった。
そして、分厚い鉄塊にぶち当たったのかと錯覚させられる金属音を響かせ、力なく床へ転がる。
牛緒源一郎の羽織る派手なジャケットには確かに穴が開いていた。つまり何かを仕込んでいた訳で無い。つまり、百を超えたこの男の身体が回転する銃弾を弾いたのだ。
(怪物にも程が──)
鬼月の思考を切り裂くが如く、刃が閃く。
咄嗟に一歩跳ねて下がる。匕首の切っ先が眼前を通り過ぎる──
「がっ!!?」
瞬間、視界が暗闇にぶつりと包まれた。
鬼月は知る由もない。切っ先を擦れ擦れで躱されると咄嗟に判断した牛緒組の長が、匕首の柄から一瞬手を離して握り直し、眼球を裂けるリーチを確保したことを。
視界を失う激痛に怯み頭を垂れる様に体勢を崩した侵入者。その脳天を貫くべく、頭上から匕首の切っ先が迫る──
「……だっらあ!!」
「!」
血涙を流しながら、侵入者が匕首を振り下ろす自分の腕を掴む。
咄嗟の判断だった。鬼月は“探知”の為に散布した魔力の粒を応用して、敵の輪郭を掴み次にやってくる行動を把握したのだ。
眼を潰した敵に行動を読まれるのは牛尾にとって初めての経験だった。故に反応が一拍遅れる。
鬼月は腕を掴んだまま老人を背負うように自らの背を、腰を、老人の身体へあてがう。所謂、一本背負いの姿勢。
死の淵より持ち帰った、鉄棒さえも容易く折り曲げ握り潰す剛力をもって、若人の身体に刻まれていたかつて警察官を目指す為に修練を積んだ武術の経験が今実践で生かされようとしていた──
「!?」
身体が浮き上がる──鬼月佐治の身体が。
抱え込まれた老人の片腕が、若人の身体を持ち上げている。
「情けネェ餓鬼。爺に力比べで負けやがって」
再生した眼球を通して脳に飛び込んできたのは──目紛しく揺れ動く視界。
鬼月の身体は牛緒源一郎の片腕にぶら下がったまま、やんちゃな幼児に所有されてしまった人形のように激しく振り回される。
「──!──ッ!!」
身体が床に叩きつけられる。また持ち上げられて今度は壁に叩きつけられる。本来なら悲鳴の一つでも上げていただろうが、激しく背を叩きつけられ続けている所為でそれすらままならない。
何度目か、視界が再び横に流れ始めた瞬間、鬼月は手を離す。
「ああ?」
吸血鬼の従者の身体はハンマー投げの様に、いや、円盤投げの様に回転しながら放り出され、また机の影へと落ちてゆく。
「……ッ……」
退避の為に選んだ滑稽じみた投げ捨てられ方に対して、ダメージは甚大であった。
立ち上がろうにも足が、背を支える骨が割られて思うようにいかない。
「……」
そして、それは牛緒源一郎も自らの手に伝わっていた感覚で理解していた。
幾ら身体を再生する特殊性を持っていようと直ぐには不可能であろうと。だが、猶予はそう無いだろうということも。
さっさと決着をつける。そう考え何の遠慮もなく机の天板に足を掛ける──
その瞬間、視界の端に強く煌めく“何か”が映った。
「!?」
空気を切り裂き迫る“何か”は瞬く間に辿り着き──弾けて、雷鳴を轟かせ、牛緒源一郎の肉体を一瞬硬直させた。
牛緒は知る由もない。“雷撃”が飛んで来た先には侵入者達が刻んだ“転移陣”があることを。
牛緒は知らない。入り口に立っていた若人に隠れて見えなかったのだ。自分の“聖域”にもう一人の侵入者がいることを。




