力を与えられし者達
◇
左手が熱い。
原理が糞程も分かりゃあせんまま吹き出させてる炎の所爲だ。
だが、慣れた。どうというコタァ無い。そもそも、もうその程度でどうにかなるヤワな身體じゃネェ。
見事なモンだ。それだけ“アイツ”が磨き續けた技が凄まじかったと、そういう譯だろう。アイツはきっと“向こうの世界”でも唯一無二の職人だったんだろう。
火を吹き込み續ける穴。その先から悲鳴は聞こえてこない。
代わりに、嗅ぎ慣れた臭い。戰地で幾度となく鼻ン孔に詰め込んだデカい肉が焦げる臭いが立ち昇る。
聲が上がんねぇのは炎を吸い込んで喉を燒いたからか。
左手から噴き出す炎を更に強める。
己は確かに確認した。あの部屋の鐵扉がカッチリ閉まっているのを。火が吹き込む心配はいらネェ──後は身の程知らずの、妙な身體を持った糞餓鬼が肉の焦げ屑になるまでこうしておく。幾ら傷が勝手に塞がる身體を持っていやがろうが、見たところ相手は人閒だ。心臟を動かして腦味噌に酸素を送っているならこれでくたばる。
何度も眼に燒き付いた。火に卷かれ續けりゃ命は等しく炭と灰になる。
手前ェの頭ン中に無い生きモンと出くわして、命の奪い合いになるのにはもう慣れっこだ。
──“長江”よォ。こうやって火を見るとボヤけた頭でもなんとか思い出せる。結構なモンを遺してくれたなァ。
長江よォ。己が字ィ讀めんからとわざわざ寄こした本に插繪まで足してよォ。まぁ結局上手くやれんかったがな。
長江よォ。お前と出くわした時もこんな──
──カァン、と金屬が何か硬いものとぶつかり合う音。
炎は決して緩めていない。だが、それが眞下から確かに聞こえた──いや、聞こえていやがる。今確かにこの瞬閒も。
カァン、カァン、カン、ガン、ガンと確かに、段々と己の方に近づき力強く。
これは登ってくる音。階段を踏みしめて上がってくる音──
手の平から垂れ流し續けている紅と橙色が混ざった炎の中に、眞っ黑い影が現れる。
正体は直ぐに分かった。直ぐさま立ち上がり“長江の匕首”を拔き放つ──
◇
金属がぶつかり合い火花が散る。
牛緒源一郎が長い匕首を抜き放ったのとほぼ同時に、暗闇の底から飛び上がった影の黒く焦げ切った腕が、厚みのあるサバイバルナイフを突き上げ、匕首の腹とぶつかり合った。
不測の事態にも関わらず牛緒源一郎の判断は素早かった。
相手のナイフを左へ受け流した流れのまま、穴から半身を覗かせる何かの影に向かい匕首を突き立てんと体重を乗せた下突きを繰り出す──が、空を切る。ギリギリのところで這い出た黒い影がゴロゴロと、包丁で削られる鱗の様に黒い皮膚片をまき散らしながら転がり出た。
黒く炭化した塊。そう見える何かから、ボコリ、と白く濁った小さな球体が二つ。突然浮き出た。
初撃を防いだ老人はそれが熱によって変色した“人間の眼”だと経験と天性の勘に基づいて即座に理解し、地に伏せる黒塊の白点を目印に、頭部を破壊すべく高く上げた足に体重を乗せて踏み抜く。
──牛緒組の古巣が衝撃に喘ぎ軋む。この部屋の主だった男の足指、その形そのままに床が窪む。刻まれたヒビ割れが壁にまで波及する。
──牛緒源一郎の足元と床の間には、確かに黒く広がった何かが挟まっていた。
だが、建物を揺らした本人に手応えは無い。
「あ”あ”ーが」
酷く嗄た声。ゾンビの呻きと捉えても違和感のない、喉を極限まで痛めつけた人間の声が地を這って響く。
その声の主の眼は、もう白く濁ってはいない。
老人が踏みつけたのは、甲虫の蛹の如く背中から割れた黒焦げの殻。その中身は今、部屋の入り口に立っていた。
炎の波の中、歩みを止めない為に全力で庇った両の足は衣服も含めて比較的無事と言える。
対して、容赦のない熱波を浴び続け、灰になり皮膚にくっついた衣服を皮膚ごと脱ぎ捨てた上半身は動く人体模型の様に筋繊維が露出し、筋の一本一本が蠢くさままで見えた。
鬼月佐治の筋繊維は、独立した意志を持つ生物じみた動きで寄り合い、結びつき合い、自分達を包もうとする浮かび上がる新しい皮膚を下から引っ張りくっ付ける。
一瞬で根こそぎ焼け焦げた筈の黒い毛髪が生え揃う。熱で変色していた筈の瞳が急速に鳶色を取り戻す──
戻った視力が真っ先に捉えたのは、暴力団の長であった男が懐に持っていた拳銃の口から噴き出す発砲炎。眼前に迫りくる鉛の弾丸。
鬼月の眼が、その意識がたちまち研ぎ澄まされる。
躱した鉛玉の回転方向まで目視できる程の世界の中──鬼月の横を熱く回る弾丸が通り過ぎるよりも速く、冷たく閃く匕首の刃が首筋に当たる。
「──!!?」
渾身の力を振り絞り、プツリと皮を破り首の半分程まで食い込んだ刃物を自分の身体を引き抜くように後ろへ跳ねる。
声が出ない。気管まで割かれた……が、即座に傷が塞がり臓器が正常な働きを取り戻す。傷の治る速さから、吸血鬼の従者は直感的に理解した。今の一撃は細胞の隙間に刃を通すような非常に研ぎ澄まされた一太刀。自分の頸椎を首ごと容易く断つ斬撃であったと。
「……自分で自分の撃った弾を追い越せるとか、逆に銃持ってる意味あるのか爺さん」
恐れの中に、若干の呆れを混ぜた声色だった。この問い掛けは、過分な情報をこの短時間に叩き込まれた脳味噌へ猶予を与えたいが為に放たれたものであったが、声色に込められた感情は両方共に真実。鬼月佐治は確かに相手を怪物として認識していた。
だが、その認識を植え付けられたのは牛緒源一郎も例外ではなかった。
閉所に閉じ込め骨身まで焼き尽くす炎を喰らわせたにも関わらず、変温動物が羨むほどの速度で脱皮を経て再生するその身体。病床から目覚めてからというものの、誰にも……如何なる生物にも反応されず命を終わらせた自らの攻め手に反応する身のこなし。
牛緒源一郎もまた、自らの“聖域”への侵入者を対峙した経験の無い怪物として認識を改めていた。
「喋りは好まネェ。年寄りが皆若いのと話し込みたがると思い上がるな。糞餓鬼」
しかしながら、返事を返すその声には微塵の震えも恐れもなかった。何の強がりも無く、ただそれは本心からの言葉だった。
両者がお互いに抱く認識。それは同じであっても、対峙する心根は実力差を示すように離れていた。
◇
途轍もない勢いで吹き込んできたあの炎は引いた。轟々と暴風が荒れ狂うような轟音が止んだことからそれは察せられる。なら早くどうにかしなければ。
鉄扉の取っ手に再び手を掛ける。
「……~~!!」
恐らく向こう側は赤熱しているだろうそれは容赦なくこの吸血鬼の指先を焼く。だけれども構っていられない。だけれども開かない。自分が得意とする冷気系統の魔術を行使することも考えたが、後々のことを考えれば魔力はもうこれ以上無駄遣いできない。ただでさえ転移陣を書くのに相当消耗したというのに。
……悲鳴は聞こえなかった。いや、声もあげられなかっただけの可能性が高い。だけれども彼の特殊な身体ならまだ“治癒”が間に合うかもしれない。もしかしたらどうにか地下から出たかもしれない。所在だけでも分かればそう対応するのか練られるけども……とにかく、彼を助けられるのは私しかいないんだから、何とかしなければ。
だけれども、開かない。
「ハァッ……ふ……熱で変形してしまったのか?」
それなら一か八か、今残された魔力を掻き集めた“火球”を打ち込んで扉を吹き飛ばす?いや、さっきも考えたが魔力の無駄遣いはできない。そんなことをすれば魔力切れを起こしてまともに立てなくなる可能性すらある。そもそも扉の先でサジ君が倒れていたらどうする?吹き飛ばされた鉄扉の下敷きだ。
頭が熱い。廊下から送り込まれた炎熱の所為だけではない。
なんとか、なんとか今できることはないのか──
「……あ!」
そうだ。私には扉を隔てていても彼が今どうなっているか、何処にいるか把握する“手段”があるじゃないか!間抜けか!
地上に出ている可能性を考えれば……術を使うのはできるだけ高いところがいい。
うら寂しい部屋の奥。そこに鎮座する机の上に飛び乗る。行儀が悪いけれどもそんなことを気にしている暇は無い──
カツン、と何かが足に軽くぶつかる。
机に乗った足の横で、つい先ほど彼と確認しようとした小さな箱が……丁寧に丁寧に束ねられた“金色の髪”が収まった小箱が揺れていた。




