夜闇に紛れて その1
月の細い光を黒いアスファルトがほんの僅かに跳ね返す道。その上を小さな小石すらも踏まないように、蹴飛ばして音を立てないように歩む。
草木眠る丑三つ時。自分の足元すら暗闇に溶けて消える深夜。
諸々の事情を考慮し“共犯者”と何度も何度も打ち合わせを重ねた結果、人気をできる限り避けて、かつ太陽の出ていない時間帯を選んだ結果、今こうして夜闇の中を進んでいる。
“共犯者”から連絡手段として携帯電話は持たされたが、懐中電灯の類は使えない。万が一にも誰かに目撃されて“何者かが牛緒組の元事務所の方角へ向かった”という情報をまき散らされてはならないからだ。
……それは重々承知しているし異論は全くないが、それはそれとして非常に足元が心許ない。牛緒組元事務所は吐叶市三大ダンジョンの一つ、庭泥亭の近くにある。いや、庭泥亭が事務所の近くに出てきたというべきか。その影響でここいら一帯は非常に荒れている。庭泥亭へ向かう方の道は探索者達が幾度も通る為に踏み均され、牛緒組も一応探索者組合としての責務を最低限果たす為かある程度整備されているが、そこから離れると途端に道はガタつく。
穴ボコと蜘蛛の巣に似た大きなひび割れ。蟻地獄めいた陥没。かつて分厚いゴムタイヤを支えていた公道の名残は何処にもない。電柱もほぼなぎ倒されてそのまま。電球が叩き割られて久しい街灯は火花すら散らさない。そこに関しては自分達の姿を闇の中に隠してくれている一因となっているのだから逆に都合は良いのだが──
「サジ君」
くい、と自分の袖が引っ張られる。
「そちらは危ないよ。草木に覆われて見にくいけど下に溝がある。転んでしまうからもう少し右に寄りたまえ」
「そうなんですか?ありがとうございます……」
忠告を耳にして足を止める。自分が踏み出そうとしていた先の光景を注視する。
……辛うじて、何か、細長く見えるものが微風に揺られているのが見える……気がする。
「凄いですね。俺には……とてもじゃないが見えません」
「はは、これでも吸血鬼だから夜目は……」
「ちょっセラさん!」
慌てて我が吸血鬼の主人の言葉を止めるべく、手の平で相手の顔を覆う。勢いが強すぎてスパァンと快音が鳴ってしまう。
「わっ!わ?サジ君?何も見えない……」
「あっ申し訳ありません!」
暗くて場所間違えた。口を覆うつもりだったのに。
急いで手の平を鼻に沿わせながら口元へ移動させる。
「…………」
「…………シャジふん?」
……何をやっているんだ俺は?
「も、申し訳ありません。慌て過ぎました」
深く被ったフードの奥から見える、色白の肌によく映える紅い唇から手を離す。
「……例の、外では控えようと決めた“ワード”が耳に入って気が動転してしまいました」
「あ、ああ成程。それはすまなかったね。不用心だった」
◆
『…………ふざけてるのか?』
『いーや?マジメもマジメ。大マジメだぜ』
到底真面目さを感じられないへらついた口調で、黒田羽久人は自らの誠意を訴えかけてくる。
『姐さんに事務所へコッソリ入って欲しいのさ。話の流れで分かると思うけど“元事務所”の方な。あ、モチロン鬼月も一緒にな。そっちの方がイイだろ?都合』
『それは……何故かな?私に何を望んでいるんだい?』
『姐さんの〈まずは話を聴こう〉っていうその姿勢助かりますわぁ。詐欺とかには気ィつけてくださいや。そういうお人ってヒッカケやすいんで』
『引っ掛けてきた奴の言い分だな?おい』
『まぁまぁマァ。それだけをシノギにしてたワケじゃないからよ』
言い訳になっていない。
『まぁまずは理由だな。第一目標をタンテキに言うと──あそこを組長を封じ込める檻にしたい。その手伝いをお願いしたくてよ』
『檻……かい?』
まるで猛獣か何かを追い詰めたいかのような物言い。最も、猛獣が相手ならもっと気が楽だったろうが。
『組長なんスけど、行動パターンが外をうろついてウップン晴らすみてぇに何かしらをズタズタにしてるか、元事務所で過ごしてるか。その位なんスよね』
『物騒なルーチンだな』
改めて組織の長とは思えない。行動があまりにも即物的で個人的で風来坊か何かだ。異常繫殖の時分は兎も角、物漁りをしてそれなりの頻度で探索者組合に通ってた自分が顔を合わせたことが無い訳だ。
まぁ、黒田が語った組長に至るまでの経緯を考えるに、正直組織のことは牛緒源一郎にとって振り返る価値は一切存在せずどうなろうが興味はないのだろう。
『で、外に出てるときはほぼ所在はツカめねぇ。多分吐叶市からは出てねぇよな?って位だな。逆にはっきり居場所がハアクできるのは元事務所にいる時だ』
『……よく分からないが、そんな気分次第で動く男が古巣に帰る時だけ律儀に連絡を寄こすのか?』
『んなワケねぇじゃん。元事務所の周りにいくつも隠しカメラ仕込んでんのよ。オレ個人だけが覗き込みできるヤツ』
『ふーむ……例の城壁の時も思ったけど、こっちの世界には随分便利なものがあるんだね』
恐らくその便利なものには、異世界の技術に関心するこの女性の姿は映らないのだろう。風の噂程度に耳にした吸血鬼の生態に乗っ取って考えるのなら。
……注意が必要だな。カメラに映らないといっても身に纏った衣服はどうなのか。もしも身体だけを透かし衣服は映るのなら、それは吸血鬼がカメラの前を横切ったという証拠になってしまう。
『ま、要するにだ。組長が確実に帰るのが分かるのが元事務所。つまり罠を仕掛けるのにうってつけ……というかそこ以外にないのよねこれが』
……しかし、牛緒源一郎はなんでそんなに古巣に執着するんだ?何か理由でもあるんだろうか。
いや、それは後回しだ。とりあえずしょっちゅう入り浸っていることが事実ならそれはそれでいい。
『それで、なんでセラさんが向かわないといけない?罠を仕掛けるという話だったが……』
『だからだよ。このダンジョン、転移の罠があったろ?あれは姐さんのお手製のハズだ。でしょ?』
『あ、ああ。そうだね』
『ありゃいいですよぉ……色んな悪さができる。オレは中から外に弾き出すんじゃなくて、外から中に送り込みたいんですがね。モノを』
ニンマリと、チャラついた茶髪男の顔にいやらしい笑みが浮かぶ。
『多分あれ距離制限とか重量とかは大分シビアだと思うんすけど、まぁそこは魔力の導線を用意しまっさ。丁度あの辺にはさっき言った監視カメラがあるし。あれなんスけど実は中身に魔石入ってるんっスよ。バッテリー兼アンテナとして使ってましてね。アレを中継点にしちまえば、バカみたいにカメラと魔石の寿命縮まるだろうけど組合本部から色んなモンが転送できる……』
黒田の口角は上がり続ける。
『例えば、建物ごと崩せる爆弾とか。流石の組長も今しがた出現した爆発寸前の爆弾には対応できないと思うんスよね。転移陣の向こうからしこたまチャカぶっ放すのも……いやそれは効果薄いかぁ。対物ライフルとかならいけるか?でも今から取り寄せるってなったらなァ』
セラさんの顔を横目でちらりと見やる。
……白い顔が更に青ざめ、頬が引き攣っている。ドン引きだ。
魔術も刃物も、扱う者によって、悪意によって如何様にもその価値を変えるものなんだな。
『まぁそこは改めて打ち合わせさせてもらわねぇとな。送れるモンのサイズ感とか重量とか……手榴弾程度なら大丈夫っスかね?オレの握りこぶし位の奴』
『う、うん。まぁ……』
『……ああ、安心してくださいや。ぶっちゃけ事務所ごと木っ端みじんにする爆弾使ってもあのジイさん死なないだろうし。多分』
まぁ流石に弱りはするハズ……と黒田は言葉を続ける。
これは、平和主義のセラさんを気遣っての言葉か、あるいは本音か。
恐らく後者だ。
『つまり、転移陣を書きつけて欲しいからセラさんに協力を願いたいと。そういう訳か』
『おう。それが一番目な』
『他にも何かあるのかい?』
……人使いの荒い奴だな。
『そうなんスよ……姐さん。これ、なんだか分かります?』
丸机の上に置かれたのは、昨日も大活躍したスマートフォン。牛緒源一郎の刺青……もとい魔術紋の存在を知らしめ、牛緒組の長が異世界との交流を持っていたこと。そしてあの老人が持つ力の源は恐らく背中の魔術紋だというのを証明した立役者だ。
しかし、今回映し出されているのは牛緒源一郎の姿ではない。
『……鉄の扉?の上に……これは?』
手の平程度の画面にあったのは、薄暗い空間に鎮座する鉄製の扉。
パッと見た印象では、古めかしい懲罰房の扉に見える。端々に打たれた丸い鋲が如何にもそれらしい。
だが、その印象を文字通り塗り替える装飾がこの扉には施されている。
『魔術陣だね。これは施錠を目的としたものだ。一見作り自体は割と一般的……だけど随分ガタガタだね。あまり詳しくないというか、不慣れな人が割と最近書いたみたいだ』
『ほほぉ!つまり結構簡単に破れそうってことッスね?──これ、元事務所の地下にあるんスよ』
『おい待て。目的は分からんが空き巣紛いのことまでさせようとしているのか?』
『ははは人聞きが悪いなぁ鬼月君は。オレをなんだと思ってんのかな?』
ヤクザだろ。




