敵情視察 その1
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四角い正方形のタイルが敷き詰められた床には乾いた泥がこびりついている。探索者達が冒険の汚れを払い落とさないままズカズカとこの玄関に足を踏み入れる所為だろう。自分もその一人だった。
自分は今、吐叶市の役所。その入り口前に立っている。
いや、“元”役所か。今は牛尾組に乗っ取られ、吐叶市の探索者組合の本部として組み替えられている。
……かつて猫の額程度の事務所で身を潜めていたヤクザ者が、自分を蔑ろにしていた国家に属する役人達の城を奪い取った時の騒動は今でも記憶に新しい。
まだ、ダンジョンというものが海の外でしか確認されていなくて、まだ日本では……無論この吐叶市でもその脅威がまだ他人事のように感じられていたある日のことだった。
まだ自分がランドセルを背負っていた頃、突如として故郷にダンジョンは現れた。
最初に吐叶市に生えてきたのは確か山中で見つかった小規模なものだったと記憶している。
確かトレッキング中の夫婦が第一発見者だった。
そして、最初の被害者でもあった。
山からは若い妻だけが下りてきた。衣服を血で真っ赤に染めて。
瞬く間に警察が駆けつけ、激しく動揺する女性を保護すると同時に、登山届が提出されているにも関わらず姿の見えない夫の捜索に出向いた。
熊による獣害の可能性が高い、そう警察は判断し猟友会へ協力を申し出た。
すると、女性はようやく、体を震わせながらも自分達に襲いかかったもの正体について口を開いた。
『洞穴から出てきた、人間より大きな、大きな灰色鼠に襲われました』
著しく信憑性を欠く証言。
警察も唯一聞き出せた情報を共有すれど当てにする者はいなかったらしい。
……山中で、散弾銃と拳銃のけたたましい銃声が響き渡るまでは。
……この事件以降、類似した小規模なダンジョンが吐叶市の彼方此方に頻出し、刑事を務める父さんの業務は多忙を極めて、ほぼ家に帰ってこれなくなった。
住民の安全を確保する為にどれだけ心と命をすり減らしただろうか。想像もつかない。
ねぎらいの言葉をかける時間さえなかった。今でも後悔している。
どれだけ辛かっただろうか。街の平和を守る為、愛する家族に背を向けて駆けずり回るのは。
だが、そんな努力の甲斐あってギリギリのところで治安は保たれていた。
──大規模ダンジョンの出現による魔物の大侵攻が巻き起こるまでは。
…………流れで嫌なことまで思い出してしまった。切り替えよう。今は敵情視察だ。
靴底の溝に詰まった土塊を叩き落とし、自動ドアへ歩を進める。
ひとりでに開くガラスの扉の向こうは、探索者だった頃に見慣れた光景と何ら変わりない。
玄関の左側のラックに挿さる《これでアナタもマホウ使い!》とポップなフォントが踊る魔術講座のパンフレットの束。
……魔術講座の相場というものは知らないが、中々強気な値段が下部に小さく記されている。
右側の壁に貼られているのは《“まだ大丈夫”は“もう危ない”!》とデカデカと赤文字が黒地の上から書きつけられたポスター。
どちらも日の浅い探索者をターゲットとして作られたものだろう。特に後者は。
自分の経験からいうと探索者はペーペーの頃が一番死にやすい。
特に、初めからある程度腕に覚えのある人物は非常に危ない。
半端に強いから初めての探索でも魔物をそれなりに容易く倒せてしまい、万能感に酔いしれたまま十分な装備も無しにダンジョンの深くへ脚を運び、気付けば体力は想定以上に削れ、周囲は強靭かつ狡猾な魔物に囲まれて……ということがままある。
自分も、そうやって死を迎えたのだろう探索者の無残な遺体をダンジョンから運び出した経験がある。偶にそういう依頼が上がってきていた。
……そうした事態さえ難なく跳ね除ける凄まじい力を持った個人が確かに存在することも事実だが。
だから新人探索者達は“きっと自分もあんな風に”という夢を捨てきれないのだろう。
ともかく、ここで足を止めていても仕方がない。
玄関を抜けると、だだっ広いホールに辿り着く。
……先ずは、確認からだな。
特に此方に注目する視線は感じない。問題無いとは思うし“対策”もしてきたが念の為フードを深く被り直す。
そそくさとけばけばしい化粧の目立つ女性が鎮座する受付、その脇に鎮座する筐体、タッチスクリーンにて操作するそれに自分の探索者IDを打ち込む。
探索者だったころ何度も何度もと繰り返してきた動作。IDカードはもう手元に無いが、番号は指が覚えている。
画面中央にグルグルと回転する歯車が映し出される。
これで分かるはず。さて、どうか?
歯車が消え、一瞬画面が白く飛び──一枚の写真と文字列が浮かび上がる。
見慣れた自分の顔が画面に映っている。
素早く文字列を目で追う。
画面には、こう記されていた。
〔氏名:キヅキ サジ〕
〔LEVEL:0〕
〔状態:死亡〕




