火球の法と火急の用
◇
「実は厳密に言うと“火球”っていう魔術は存在しないんだ」
「えっ?」
セラさんが用意してくれたアンティークな机にあまりにも似合わない安っぽい大学ノートを広げていた自分の喉から素っ頓狂な声が出る。
「そう、なんですか?」
目の前で未熟な自分に魔術の講義を取り行ってくれている金髪赤眼容姿端麗温厚篤実の吸血鬼は根拠の無いことを無責任に言う人ではない。
この授業だって意図せず多量の魔力が備わった俺の助けになればと、異世界から流れ込んできた魔の力、そしてそれによって扱われる魔術についてかなり噛み砕いて教えてくれている。
非常に助かる……なにせ“実戦”の機会は近い。今、例に挙げてくれている火球も手札の一つとして是非習得したい。
早くしないといけない。両親との唯一の思い出がまた自分の手の届かない所まで流れ出さない内に。
だが、しかし……
「セラさん……ですが……俺は自分の掌やら杖やらで火の玉を操る輩を何人も見てきました」
地下遺跡ダンジョンの中、一人でめぼしい物を漁っていた頃、魔物と戦う他の探索者を見かける機会は何度もあった。そのパーティの後衛から火球を放つ魔術師の姿も。
「そうだろうね。言いたいことはよく分かるよ。だが、彼ら彼女らが使っているのは正確に述べると──“標的に着弾すると弾け飛ぶ火の玉を自分が火傷しないように前方へ押し出す魔術”なんだよ」
「…………」
セラさんは自分の言いたいことを分かっているらしい。
……その自分は情け無いことにセラさんの意図を全く汲み取れない。
「……ええと……それが、つまり、火球の魔術なのでは?」
「うん。一般的にはそう呼ばれているよ。俗称……通名というものかな。その名前は」
ダンジョン三層内に存在する吸血鬼のダンジョンマスターの私室。土壁に擬態した隠し通路を通らなければ入れないこの部屋。
それを構成する漆喰のような白い壁に直接セラさんは魔術に用いる手軽な片手杖を使って異世界の文字を刻む。
……後で杖を一振りするだけで直せるからできる、壁を黒板がわりにする荒技だ。いや白い壁だからホワイトボードか?いやどうでもいいか。
「これが所謂“火球”の術式。これを行使すればサジ君が見たことある火の玉が形成されるよ──試しにやってみようか」
そう言うと、赤い瞳の吸血鬼は右手に持った杖を軽く一振り。すると──周囲の白い壁が暖かい光を跳ね返す。その杖の先端には、大人の握り拳より一回り大きく、渦巻く火の玉。
強く見覚えがある。ダンジョンの探索中、他の探索者が手や杖の先から放っていたものと同じものに見える。変わった例だと口から撃ち出す奴もいた。
あれには参った。何でそうなるのかは分からなかったが口から吐き出された火球は異様に威力が高くて、遠方から様子を伺っていた自分にさえ爆風で吹き飛ばされた石礫が襲い掛かってきた。自分のこめかみ擦れ擦れを瓦礫が横切っていった光景は今でも目に焼き付いて──
「……えいっ」
「ちょッ!!?」
吸血鬼のダンジョンマスターの掛け声と共に渦巻く火球が天井に向かって飛び立つ。
思わず立ち上がるまずいぶち当たる。爆発する。間違いなく瓦礫が降り注ぐ早くセラさんを机の下に引っ張り込んで──
ぱすん。
「…………うん?」
微妙に空気の抜けた紙風船が壁に当たったような間抜けな音。
爆発を巻き起こす火球が向かった筈の天井からだ。
部屋には、何の異常も無い。若干の焦げ臭さが漂う程度。
「驚かせてしまってごめんよ。学習の際は大きな衝撃を伴うと覚えやすいから、ついね」
足の力がゆるりと抜け、尻が椅子に着地する……肝が冷えた。火の玉の所為なのに。
肝のついでに冷えた頭に、疑問が浮かぶ。
「……何故、爆発が起こらなかったんでしょうか?確かに火球の魔術に見えたんですが」
「そう!伝えたいのはそこなんだよサジ君!」
興奮気味にビシリ、と術式を彫りつけた壁に片手杖を叩きつける。
「今のはね術式の……ここ!この部分を破棄して行使したんだよ」
杖の先はカリカリと術式の中部辺りを囲う。
「火球の魔術の要、爆破を担う部分。そこを省いた訳だねだから今のは石壁をほんの少し焦がす位の威力しかなかった。勿論燃えやすいものがあったら延焼はするから安全という訳ではないけれど、魔物相手には有効打になりにくいだろうね。あ、でも逆に言えば焚き火なんかを起こす程度なら十分で魔力の節約になるね。まぁそういう時はもっと簡略化した魔術でいいんだけど……ああ、ごめん。話が逸れた」
……前から思っていたんだが、セラさんはどうも研究者肌というか、オタク気質な雰囲気がある。
強く興味のあるらしい分野について触れる機会があると、熱を込めて語ってくれる。楽しそうでなによりだ。
「つまりだね。通称火球の魔術は複数の基礎的な魔術を組み合わせて発動するものなんだ……例えば、この部分は火を纏わせる術式、少し進んでここは空気を圧縮させる術式、圧縮した空気を弾けさせ火の玉を押し出す術式……それに冷気を放つ術式も混ざってるよ」
「えっ火球の魔術なのにですか」
「うん。術者の方に向かって冷気が放たれる式があるんだ。そうして熱気を弱めないと本人が火傷してしまうからね」
成程。魔術に関しては門外漢だったが仕組みには納得がいく。
確かにあんな火の玉の最も近くにいる本人が平気なのは何らかの対処法が無いとおかしい。
「世の魔術師は皆これを理解してるんですか。勉強家だな」
探索者組合の入り口にあった魔術講義のパンフレットを思い出す。
金があればもっと早くこうした講義を受けられたのだろうか。
……今となってはもうあそこに世話になるのは金を渡されても御免だが。
「……あー、いや……それがそういう訳でもないんだよ」
「え?」
ことん、と教卓代わりに使われていた丸テーブルに杖が置かれる。
そしてコロコロ転がり机から落ちる──直前でセラさんの白い手が慌てて押し留める。
似たような光景を小学生の頃見た気がする。
「あぶな……ああ、で、話の続きだけれど、火球の魔術の術式を構成する基礎魔術を一つ一つ認識して覚えている魔術師はそう多くないと思うよ。少なくとも私がいた世界ではそうだったな」
何だか少し気落ちしたような、そんなトーンの声が耳に届く。
「そうなんですか?いや、しかし……そんな状態で魔術が扱えるんですか?」
「使えるよ。要するに今書きつけた術式を一塊として……丸暗記という表現が近いかな。細部がどうなっているか、仕組みがどうなっているか分からなくてもそうすれば行使できる訳だからね。とりあえず使えればそれでいいって人はそうしてたかな。教える側も楽だしね……」
「……」
完璧には理解できていないが……此方の常識で例えるなら、自動車の仕組みを深くは知らないがとりあえず免許は持っているから運転はできる、みたいな人物が多かったというような話だろうか。
そうならそれとなく感覚は分かる。
そして、似たような感覚でとりあえず使えればそれでいい、と判断する人間は此方の世界にも多いだろう。
「いや勿論それも手段の一つというのは分かっているんだけどね……生活に困って早く魔術を扱いたいという人に長々と魔術学校で習うような細々とした内容まで教えていられないというのは。今空腹で仕方ない旅人に釣りの仕方を教えるようなものなんだから。教授する側も労力を抑えないといけないというのも、それは確かだ。しかしそれに慣れて十分な労力と資金が備わっている組織や個人でも簡略化した術式に流れがちなんだよ。いや楽をするのが悪いという訳じゃ無いけれども、それが当たり前になっていくという流れにはちょっと異議があるんだよ……」
……セラさんの苦言はAT限定の人にMTも運転できる人がなんかモヤっとする的なアレなんだろうか。自動車になぞらえて考えた所為で連想してしまった。
しかし、もし自分が吐叶市の探索者組合に教えを乞っていたとしたらまず間違い無く、とりあえず使えれば良い方の術式を教え込まれただろうな。
あそこが懇切丁寧に教えてくれる訳が、探索者に余分なコストも掛ける訳が無い。
「……探索者組合、か」
かつて、暴対法に苦しむばかりだった反社会的組織牛尾組。
今やこの市を仕切る探索者組合の後ろ盾の牛尾組。
……このダンジョンに身を寄させてもらってからは行っていなかったが、一度見にいくべきだろうな。
しっかりと、自分の正体は伏せた上で。
「……“敵情視察”は欠かせないよな」
「やはり魔術師の端くれとしては自分が扱っている術式の仕組みは把握を──サジ君、何か言ったかい?」
「いえ、お気になさらず。独り言です」




