1-4 「……っ、そ、それ……高すぎて、買えなかったヤツ……!」
「ごちそうさま!ラザニアがすごく美味しかった」
スオーロは食器類を返却棚に置いて厨房に向かって声をかける。すると「おー!よかった」と厨房から料理人が返事をしてくれた。
ここはルビーノ公爵城の敷地内にある使用人宿舎の一階にある食堂。常に料理人(ルビーノ公爵城の料理人見習い)が居るので、使用人たちは都合の良いタイミングで食事をすることができる。今は午前十一時なので食堂は空いていた。スオーロは早めに昼食をすませておきたかったのだ。
食堂を出たスオーロは階段を上って六階にある自分の部屋を目指す。ちなみに食堂や大浴場や談話室といった共有スペースは一階。二、三、四階は女性使用人の個室。五、六、七階は男性使用人の個室になっている。使用人の中には城下街に家を持つ者もいるので、ここで暮らしているのは使用人の中でも若い者が多い。
自分の部屋に辿り着いたスオーロはポケットからキーケースを取り出して扉の鍵を開けた。スオーロの部屋はシンプルにまとまっている。執事という職業柄、スオーロは常に整理整頓を心がけているので清潔感があり、家具は備え付けのものをそのまま利用しているので統一感も高い。
唯一、スオーロが新調したものがベッドだ。スオーロはあの天蓋付きのベッドで目覚めてから、すっかり高級ベッドの虜だった。給料を貯めてこだわり選び抜いたスオーロのベッドは、あの天蓋付きのベッドには数段劣るがとても寝心地がいい。
(あぁ〜……ゴロゴロしたい……!)
本来ならばスオーロはこの休憩時間に惰眠を貪る予定だった。この時間があるから完全徹夜をしてもいいと判断したのだ。
けれども、予定は変わるものである。
欠伸をグッと堪えスオーロは身支度をはじめた。ノリの効いた真っ白なシャツに袖を通し、深紅のネクタイを締めてグレーのウェストコートを着る。
スオーロの燕尾服はローザが用意してくれた特注品だ。黒を基調としたシックさの中に赤の差し色で遊び心を加えている。裏地は彩度と明度の低いボルドーで、植物モチーフの幾何学模様がさりげなく刺繍されていた。
この燕尾服を身に纏うとスオーロの気が引き締まる。ローザがこれほどまでスオーロに期待してくれているとわかるからだ。
最後にローザから専属執事になったお祝いとしてプレゼントされたスーツブローチを胸元に付ける。バラを模した銀細工に、細いチェーンとイミテーションの赤い宝石が光った。
「襟よし!袖よし!テールよし!」
スオーロは姿見で全身を確認してから部屋を出る。
休憩時間のスオーロが執事服に着替えたのは、ルビーノ公爵城内にある使用人統括室へ行くためだ。
使用人統括室とはその名の通り使用人用の準備室のような場所。入室できるのはそれぞれの部署の代表者だけ。スオーロはローザの専属執事ということで特例で入室を許されていて、個人ロッカーやデスクも用意されている。
使用人統括室では朝と晩に定例会が行われ、共有したい情報や物資の在庫確認や相談などが話し合われる。
スオーロは朝一でガーデンでの作業やその準備があり、今朝の定例会には参加できなかった。欠席の場合は話し合いの内容をまとめたメモをデスクに置いてもらえるのだ。スオーロはそれの確認に向かっていた。
しかし、スオーロの目的はそれだけではない。
(今なら執事長が居るはず)
昨夜の定例会で執事長がこの時間は事務処理をすると言っていたのをスオーロは覚えている。探し回らずに会えるのは大変ありがたい。
スオーロはつい気が急いて駆け足になる。少しでも早く執事長に会い、あの肖像画と資料を貸してほしいと頼みたいからだ。
あの肖像画と資料とは、ローザとルビーノ公爵夫人が母娘ゲンカしていた時に二人の間にあったもの。
資料の文字はとても綺麗で、まるでお手本のようだった。スオーロはあの文字に見覚えがある。
スオーロは幼少期に「最低限のレベルには達してもらいます。ルビーノ公爵家の執事たるもの、恥ずかしくない字を書かなくてはなりません」と執事長から文字書きのスパルタ教育を受けた。その時に彼が書いた見本の文字をスオーロが見間違えるはずがない。
あの資料には貴族令息たちのプロフィールや評判がとても細かく書かれていた。チラリと見ただけのスオーロにはとても追いきれない情報量だ。
当時のローザはルビーノ公爵夫人との母娘ゲンカ───もといルビーノ公爵夫人の説得に忙しく、碌に資料を見ていなかった。
ルビーノ公爵夫妻が選んだ相手をしっかりと確認すれば、その中からローザが望む条件の運命の相手を見つけられるかもしれない、とスオーロは考えた。何故なら、恋愛小説では両親が決めた相手が実は運命の相手だった!というパターンも多いからだ。
スオーロの新たな計画は【ドキっ!お嬢様のはじめての旅!〜偶然出会ったあの人が運命の相手〜】である。婚約者候補の中からローザの運命の相手(予定)を探し出し、二人旅で《偶然》その運命の相手(予定)に会いに行き、あとはいい感じに運命的でドラマチックな出来事を起こして、ローザと運命の相手(決定)に恋に落ちてもらう予定だ。
その運命的でドラマチックな出来事は全くの未定だが、それは仕方がない。ローザの相手が決まっていないのにシチュエーションが決まるわけがないのだ。運命の相手(予定)が決まってから、彼とローザにあう演出を考えるのがスオーロの仕事である。このためにスオーロはローザから借りた恋愛小説の使えそうなシチュエーションを頭の中で複数リストアップしていた。
お粗末な計画でも、スオーロは本気だ。これで本当に上手くいくと信じ切っている。
スオーロはローザに惚れない男はいないと思い込んでいるのだ。
スオーロにとってローザは最高の主人である。ローザは感性豊かで共感性が高い。嬉しい時は共に喜び、辛い時は共に悲しんでくれるのだ。そして温厚でおおらかで包容力もあり、彼女自身の芯ももっている。たまに見せる幼く無邪気な面も愛らしく魅力的だ。
さらにローザは一度出会ったら忘れられない容姿をしている。シャンパンゴールドのロングウエーブの髪に、人形と見紛うほどに整った顔立ち。肌は雪みたいに白く透き通り、その頬に影を落とすほどまつ毛も長い。そんな極上な容姿のなかでも、一番目を引くのはルビーの宝石よりも輝くローザの瞳だろう。
(あの瞳に見つめられて一目惚れしない男はいない!)
よって、スオーロ的にはローザが相手に惚れることが何よりも重要なのだ。
むしろ、ローザが惚れなければこの作戦は上手くいかない。この最難関を乗り越えてこそなのである。
その攻略のヒント(運命の相手の条件)を得ることができたスオーロは、かなり前進しているはずだ。そう意気込んでスオーロは使用人統括室の扉をノックした。
「スオーロです」
しかし、返事はない。
あれ?と首を傾げつつ「失礼します」とスオーロは中に入る。使用人統括室は無人だった。スオーロは慌てて自分のデスクの上を確認する。
執事長が予定外の行動をしているということは何かトラブルがあったのだ。スオーロはデスクの上に置かれていたメモを素早く、確実に読み込む。
(……オレに大きな変更はないな。一人抜けるからその穴埋めを夜の定例会で決める、と)
スオーロは納得して頷いた。執事長が居ないのは一人抜けたところのフォローに行っているからだ。執事長が手伝っている内容によってはスオーロが会いに行っても許されるはずだ。協力できる内容であればサポートして、執事長にスオーロと話す時間を作ってほしいと頼めばいい。
先に昼食を取っておいてよかった、とスオーロは使用人統括室の壁にある使用人全体のスケジュールを見る。各部署の大まかなものと、部署代表の予定が記されているのだ。執事長の現在地もそれを見れば一目瞭然である。
「……えっ!?」
思わずスオーロは声を出した。
《執事長》 十時から王都へ(二週間) 外郭南門出発
と記されている。
一人抜けたのは執事長だったのだ。
「っ!?」
スオーロは弾かれたように壁掛け時計を見た。時刻は九時四十五分。
執事長の出発まで─────あと十五分。
考えるよりも先にスオーロの体は動いていた。途中数人の同僚たちとすれ違ったが、スオーロはおざなりに挨拶してその横を走り抜ける。スオーロは駆け足でルビーノ公爵城を出ると、城の正門へは向かわずに斜め右の方へ進む。
スオーロの目の前には城壁がある。ルビーノ公爵城をぐるりと囲む大壁で、高さは三メートルを優に超える。
城壁はレンガ作りのため所々に出っ張りがある。スオーロはそれを利用して軽々と城壁を登っていく。そして慣れた様子で城壁の上に乗り立った。
ルビーノ公爵城は山の上に建てられた城で、広い山裾に城下街がつくられている。そのため城下街には高低差があり、坂や階段が多い。
山頂付近に建てられたルビーノ公爵城から下を見ると、階層構造の街並みを一望できる。ルビーノ公爵城を含め城下街全体が大きな階段になっているからだ。
スオーロは城下街を見下ろして現状を確かめた。そこにはいつもと変わらない街並みが広がっている。特に工事している建物はなさそうだ。
「よし」
小声でつぶやくと、スオーロは城壁の上から城下街へ飛び降りた。
◇◇◇◇◇
「ママー!見てっ!メカクレツバメ!」
少女が指差したのは空。
そこに居たのは一羽の鳥ではなく───スオーロだ。
燕尾服のテールを靡かせながら、スオーロは空を飛ぶ鳥のように軽やかに建物の屋上から隣の屋根へと移動していた。
スオーロは着地した屋根から向かいの民家にジャンプして飛び移り、さらに一段下の店舗の屋上に飛び降りて膝を曲げて衝撃を逃して着地する。そして端に向かって走り出したスオーロは、店舗と民家のすき間を三角飛びで下っていき、人で賑わう通りに降り立った。
「おー!メカクレツバメ、やってるねぇ」
「すげぇ!はじめて見た!ラッキー!」
「あらスオーロ、気をつけてね」
「スオーロ、頑張れよ」
城下街の領民たちは楽しそうに歓迎しながらスオーロに声をかける。彼らにとってスオーロのこの移動方法は日常の一部なのだ。
スオーロがこの移動方法を使い、メカクレツバメと呼ばれるようになったのは、スオーロがはじめて執事服を着た日にまで遡る。
あの日のスオーロは非常に緊張しており、右手と右足が同時に出てしまうほどにテンパっていた。ローザの専属執事としてデビューするので、スオーロは「お嬢様の執事として恥ずかしくない行いを!」と気を張り過ぎていたのだ。
スオーロは極度のプレッシャーの中でローザの側に仕えていた。そんな時にローザが「お母様に手紙を渡し忘れてしまったわ。今日から一週間の外交で、もう出発してしまったのに……」と残念そうに言ったので、スオーロの頭は真っ白になった。
執事とは常に主人のことを考え、常に主人にとっての最善をつくし、常に主人の望みを完璧に叶えて、常に主人を支えるものである。主人であるローザが憂いているのならばそれを晴らすのがスオーロの役目だ。
スオーロは「届けてきます!」とローザから手紙を受け取り、勢いよくルビーノ公爵城を飛び出していた。
(何がなんでお嬢様の望みを叶えなければっ!)
スオーロの頭はこれでいっぱいだった。この一点に集中しすぎて暴走してしまったのだ。
無我夢中だったスオーロは気がつくと城下街の建物の屋根の上に立っていた。
スオーロは前々からこの城下街のことを迷路みたいだと感じていた。城下街は複数の階層からできており、その階層を移動するには何度も折り返す階段や坂を通る必要がある。
この城下街は入り組んでいて複雑な街並みなのだ。
しかし、城下街を大きな階段とみなして一直線に外郭門へと駆け下りれば、複雑で入り組んだ道はスオーロの妨げにはならない。
むしろ、スオーロがルビーノ公爵夫人に追いつくために味方になってくれる。馬車が通れる道は限られているため、ルビーノ公爵夫人はかなり遠回りをしているからだ。
スオーロは屋根から屋上へ飛び移ったり、屋根から通りに飛び降りたり、通りから下層の建物の屋根にジャンプしたりを繰り返し、あっという間に外郭門へと辿り着いた。先に出発していたルビーノ公爵夫人の馬車を途中で追い抜くほどに速かったのだ。
この移動方法でスオーロはルビーノ公爵夫人にローザの手紙を渡すことに成功し、皆を驚かせた。前代未聞の機動力だったからだ。
いくら運動神経がよくても誰も彼もができるわけではない。張本人であるスオーロも、手紙を渡し終えてから自身の行動にビックリしたほどだ。スオーロはこの時はじめて自分の運動神経のよさを知った。
スオーロのこの移動方法は危険だから止めさせろという声も上がったが、それよりも従来の五分の一以下の時間で外郭までたどり着く利便性が優った。スオーロはルビーノ公爵家から正式にこの行為を許されたのだ。もちろんルビーノ公爵家にとって重要で緊急性の高い場合にのみ、だが。
けれども、ルビーノ公爵家の予想以上に、スオーロのこの移動方法を城下街の領民たちは好意的に受け入れてくれた。スオーロが城下街を駆け下りる様がツバメのように見えて縁起が良いと好評だったのだ。
ツバメは瑞鳥であり、人々にとって親しみ深いもの。この移動をするスオーロをメカクレツバメと呼んで愛着持ってくれたのも領民たちだ。
「ありがとうございます!」
スオーロは領民たちの声援に左手を上げて応えると、右手で道の端に設置されている転落防止の柵を掴んで飛び越える。下層の建物の屋根に着地して隣の民家に飛び移り、さらに下層の店舗の屋上にジャンプした。
見守っていた領民たちは飛ぶように進んでいくスオーロの動きを目で追うこともできない。一瞬しか見れないことから、メカクレツバメを見るといいことが起こるという噂が立った。今ではそれを目当てに観光に来る者もいると言う。
トンッ……
鳥が木に止まるみたいに、スオーロは地面に静かに着地した。最下層にたどり着いたのだ。ここから南門までは目と鼻の先。スオーロはすぐに駆け出した。
南門には出街手続きの長い列ができていた。スオーロはその横のルビーノ公爵家専用の門に駆け寄る。ルビーノ公爵家の用事であれば、使用人でもその門を使うことは許されているのだ。
ルビーノ公爵家専用の門には一台の馬車がいた。スオーロはその御者に話しかけ、中にいる執事長と会話をする旨を伝えてからキャビンをノックする。
「スオーロです。執事長、少々ご相談したいことがありまして……」
スオーロが声をかけるとすぐにキャビンの扉の窓が開いた。
「何か問題がありましたか?」
キャビンの窓から覗いたのは中年の男性だ。シルバーの髪をオールバックに纏めた知的な雰囲気のあるこの男がルビーノ公爵家の執事長である。
「いえ、トラブルではなく個人的な相談で参りました」
スオーロが頭を下げると執事長の視線が鋭くなる。キャビンの扉が開かれ「入りなさい」と執事長に声をかけられる。スオーロは「失礼します」と頭を下げてキャビンの中に入った。
扉と窓を閉じてしまえばキャビンの中は密室だ。
「……スオーロ。君は個人の都合でメカクレツバメをしたのですか?あの移動方法はルビーノ公爵家が許可を出した場合か緊急性のある場合にのみ許されたものです」
執事長の頭の中には使用人たちのスケジュールが全て入っている。スオーロがガーデンでの作業を終えたあと、どうやってここまでやって来たか推測するのは容易いのだろう。執事長の凍てつく眼差しにスオーロは思わず叱られる態勢になる。これはもはや条件反射だ。それだけ長い間、スオーロは執事長のお世話になっていた。
「ち、違います。確かに個人的な理由ではありますが、全てはお嬢様の、ひいてはルビーノ公爵家ためです」
だが、スオーロは説教されている場合ではないし、執事長にもそんな時間はないはずだ。スオーロは手短に自身の考えを説明し、ローザの運命の相手を探すためにあの資料を再度見せてほしいと頼み込む。
「お嬢様と奥様が話し合いをされていた時は熟読される余裕がなかったので、お嬢様は見落としている可能性があると思いまして……今一度、お嬢様に令息たちについて知る機会を頂けないかと」
「………君の考えはわかりました」
執事長は何とも言えない顔をしたあと、紙とペンを出してさらさらっと一筆したためてくれる。それはメイド長に宛てたもので、彼女にスオーロに貴族令息たちの資料を出してくれと頼んだものであった。
「この資料は極秘です。使用後はすぐに戻すように」
「わかりました。ありがとうございます」
スオーロはそのメモを受け取り、大事に上着の内ポケットに入れた。
「お忙しいなか、貴重なお時間をありがとうございました。気をつけて行ってらっしゃいませ」
挨拶をしてスオーロがキャビンから出ようとすると、執事長がスオーロの肩に手を乗せて引き止めた。スオーロが驚き振り向くと執事長は真面目な表情を浮かべている。
「………スオーロ。君は、お嬢様が他の男と結ばれても構わないのですか?」
「他の男、ですか?……ああ、お嬢様の運命の相手以外ということでしょうか?いえ、お嬢様には運命の相手と結ばれてほしいと思っております」
何を当たり前な事を、と言わんばかりにスオーロは返事をした。執事とは常に主人のことを考え、常に主人にとっての最善をつくし、常に主人の望みを完璧に叶えて、常に主人を支えるものである。それをスオーロに教えてくれたのは執事長である。
スオーロは自信たっぷりに執事長の質問に答え、教え子として褒めてもらおうとした。
「何故この件に関してだけ、こんなにも鈍いのか………」
けれども、執事長は片手で顔を隠して項垂れている。気品はあるが執事長らしからぬ所作にスオーロは戸惑う。執事長が何にがっかりしているのかわからず、スオーロが尋ねようとすると御者から「そろそろ時間です」と報告が入った。どうやらもう執事長が出発する時刻になってしまったらしい。
執事長は御者に返事をしたあと、真っすぐスオーロを見る。そして神妙な面持ちで口を開いた。
「スオーロ、励みなさい。……お嬢様のためにも」
「はい!精進して参ります!」
執事長からの突然の激励をスオーロは受け止める。そして頭を下げてからキャビンを出て、執事長の出発を見送った。
スオーロは南門から離れて城下街を見上げた。何度も城下街をメカクレツバメで駆け下りているので、スオーロは城下街の形状をバッチリと覚えている。それゆえに下から上に登るメカクレツバメのコースも編み出していたが、執事長に個人的な理由でメカクレツバメをしてはならないと注意されたばかりだ。
それに駆け上がってルビーノ公爵城に戻っても、すぐにメイド長には会えないだろう。今のメイド長はローザとルビーノ公爵夫妻の昼食会の準備の真っ最中だ。その邪魔はしたくない。
執事長の言いつけ通りにスオーロは地上を歩いてルビーノ公爵城に戻ることにした。
「おぉ、スオーロ!」
「さっきの見たわよー!」
領民たちは明るくスオーロに話しかけてくれる。スオーロはそれに元気よく応えていると、ある店が目に止まった。
そこは旅用品の専門店だ。
ここは城下街の最下層。外から来た人が最初に訪れ、外へ出る人が最後に訪れる場所。この店ならば品揃えがいいと思い、スオーロはその店に立ち寄ることにした。ローザと二人旅に出る時のために、何が必要で何があれば便利かを事前に知っておきたいからだ。
カランカラン、とドアベルを鳴らしてスオーロが入店すると、一人先客がいた。その人物を見てスオーロは驚きの声を上げる。
「あっ……!」
「ん?」
振り向いたのはふくよかで立派な口ひげを貯えた身なりの良い男。ネラ商会長だ。
「あぁ、君!」
ネラ商会長は歯を光らせて営業スマイルをつくると、スオーロに近づいて握手を求めてきた。スオーロはそれに応えようとして、思い止まった。
(これ、していいのか?)
スオーロはローザからルビーノ公爵家はネラ商会とは関係を持たない、と言われている。使用人とはいえ、スオーロもルビーノ公爵家の関係者だ。勝手にネラ商会長と友好関係を築いていいのだろうか。
戸惑うスオーロに気がついたのか、ネラ商会長は一度手を下げる。
「私はカルタ・ネゴーツィオ。ネラ商会長としてではなく、一個人として君に礼を言いたい。どうかね?」
カルタは先ほどよりも素朴に微笑み、スオーロに再び手を差し出した。ルビーノ公爵家の使用人であるスオーロの事情に配慮してくれたらしい。
「お心遣いに感謝します。カルタさん。スオーロと申します」
スオーロもルビーノ公爵家の執事としてではなく、ただのスオーロとしてカルタと握手をした。
「息子さんの具合はいかがですか?」
「ああ。息子のマティータは昨日の夜に一度目を覚ましてね。今はまた眠っているのだが、養生すれば完治するだろうと医者が言ってくれたよ」
「それはよかったです!」
スオーロは心の底から喜んだ。カルタにもそれが伝わったらしく、彼は涙ぐみながら「本当にありがとう」と口にする。そしてカルタは泣きそうになったのを誤魔化すために明るい声をだした。
「ところでスオーロ君はなぜこの店に?旅行に行くのかい?」
「はい。近々、旅をしてみたいと考えておりまして、どういったものがあると便利かを調べに来たんです」
流石に「ローザと二人旅に出る予定で〜」などとは言えないので、スオーロは当たり障りのない表現をする。
「なるほど。では私のオススメをいくつか紹介しよう。こう見えて旅好きでね、いろんな所に行った経験がある」
カルタは茶目っ気を出してワザと自分を旅好きと評した。あくまでも様々な場所で商売をする商会の長ではなく、カルタ個人として話してくれるようだ。
「馬車を使うのであれば、クッションがあるといいかもしれない。寄り合い馬車は座席が酷いから体を痛めやすいんだ。クッションは枕にもなる」「いつ雨に降られてもいいように水捌けのよいマントはあったほうがいいけれど、嵩張るから好みが別れるね。荷物に余裕があるのなら入れておいて損はないよ」「金属マッチは旅の必需品だ。これさえあれば焚き火に困ることはないだろう」「ナイフも二本くらいは持っていた方がいい。最低でも一本は常に身につけておいてくれ」などと丁寧に教えてくれた。スオーロも細かく質問し、カルタのオススメを把握していく。
「いろいろとご教示頂きありがとうございます」
「いやいや、お役に立てたのならなによりだ」
スオーロはカルタの太鼓判が押されたナイフを一本購入し、彼と一緒に店を出た。
買ったばかりのナイフ柄を握り、スオーロはナイフの感触を確かめてからパンツのベルトに差し込む。
「旅に出る前にこれをしっかり手に馴染ませます」
「いざという時に使いこなせないと困るからね。使い慣らした方が安心だ。……いや、それにしても今日は暑いな」
カルタが上着の胸ポケットからハンカチを取り出すと、その拍子に何か黒いものが胸ポケットから落ちた。
「ぅごぁ!?」
「っと」
驚愕の声を上げて固まっただけのカルタとは違い、スオーロはサッと手を伸ばして落ちたものをキャッチする。
スオーロが掴んだものは小瓶だった。
透明な小瓶の中には大量の黒い砂が入っている。服についたら繊維の中に入ってしまいそうな粒子の細かさだ。落として割れたら集め直すことはできない。
「ああ、だからそんなに驚かれて───「スオーロ君!!ありがとうっ!!」
カルタは小瓶を持っているスオーロの手を両手で握った。その迫力にスオーロはたじろぐ。スオーロはこの熱量で感謝されるとは思っていなかったのだ。
「よ、よかったです。えと、これはそんなに貴重なものなのですか?」
スオーロは小瓶をカルタに差し出す。カルタはそれを受け取りつつ、キョロキョロと周りを確認した。
「………実はそれ、開発中の試作品なんだ」
「試作品?……磨き砂でしょうか?」
執事であるスオーロがパッと思いつく砂の商品はそれだ。スオーロもカトラリーを美しく磨くためによくお世話になっている。
「いいや、磨き砂ではない。これは灰なんだ。すまないが、これ以上は極秘なので教えられないな。……でも、ディザストロ対策用のアイテムとだけ言っておこうか。これが実用化されれば世界が変わる」
カルタの発言は「商人が大口を叩いている」と受け取られても仕方がないものだった。商品を売り込むセールストークにしては規模が大き過ぎる。
けれど、スオーロはカルタの真剣な声のトーンを聞き、彼が言っていることは商人のビックマウスではないと察した。短い付き合いでしかないが、カルタの商人としての誠実さをスオーロは感じていたのだ。
この試作品は世界が変わると豪語するほどディザストロに対して有効なものになるのだろう。それほどまでに人類にとってディザストロは大きな障害になっていた。
(やっぱりディザストロの対策が最重要だな)
ローザとの二人旅をルビーノ公爵に許可してもらうには、ディザストロ遭遇時の完璧な逃走策を提示する必要がある。そうスオーロは再認識した。
だが、その策を考えるのが難しい。
そもそも一匹のディザストロの討伐に、騎士団一分隊(戦闘員十人程度)を派遣するのが基本である。いくら戦わずに逃げるとはいえ、スオーロはそれを一人でやろうとしているのだ。何か秘策が必要だとスオーロが思った時、ローザの話を思い出した。
「……そういえばカルタさんの息子さんが、お一人でディザストロを撃退されたと伺ったのですか……?」
「ああ。本当だよ。息子が頑張ってくれたんだ」
カルタは胸ポケットに小瓶を戻しながら頷いた。
「大怪我をしてしまったけれど、とても勇敢に戦ってくれたんだ。自慢の息子だよ」
「……すごいですね。大怪我をされたのは非常に残念ですが、まさかお一人でディザストロと交戦できるなんて……何か特殊な訓練をされている方なのですか?」
「いやいや。そんなことはないよ。どちらかというと、私に似て運動オンチでね。息子は魔黒石武装を使ったんだよ」
「魔黒石武装……、あ!ネラ商会の独自製品ですね」
スオーロは驚き、納得した。
ネラ商会が頭角を現した唯一無二の商品とは魔黒石武装のことだ。魔黒石武装とは魔黒石を動力とした武器で、従来の武器とは比べものにならないほどの威力があるらしい。
(噂では大袈裟に話が盛られていると思っていたけれど、違ったのか)
一人でディザストロと戦える魔黒石武装とはどのようなものなのか、とスオーロは魔黒石武装にとても興味が湧いた。
しかし、ルビーノ公爵家はネラ商会と関係を築く予定はない。
つまり、スオーロが魔黒石武装に触れる機会は無いということだ。もし、個人的に購入するチャンスに恵まれたとしても、一介の執事であるスオーロに払える金額ではない。
(ルビーノ公爵領では魔黒石も高額だからな……)
スオーロはルビーノ公爵家がネラ商会と関係を持たない理由の一つに「魔黒石」があると思っている。
ルビーノ公爵領には魔黒石の発掘場がなく、魔黒石を使用する場合は他領から購入するしかない。一方、ネラ商会の商品は魔黒石を使用するものばかりだ。ルビーノ公爵家がネラ商会と関係を持つのに慎重になるのも理解できる。
(……魔黒石武装じゃ参考にできないか)
スオーロは別の方法でディザストロから逃げる方法を考えなければならない。魔黒石武装から意識を切り替えることにした。
だが、スオーロの少年心が、見たことのない武器への憧れを抱く。
それをカルタが機敏に感じ取った。
「よければ見てみるかい?」
「えっ!?」
いいんですか?と素直に喜びそうになり、スオーロは慌てて口を閉ざす。今回の邂逅が個人的なものであっても、スオーロはルビーノ公爵家の執事だ。ルビーノ公爵家と付き合いのないネラ商会の商品と関わるべきではない。
けれどもこの商品アピールのチャンスをネラ商会長であるカルタが逃がすわけがなかった。
「遠慮せずに!私とスオーロ君の仲じゃないか!」
強引にスオーロを引っ張る鼻息の荒いカルタに、スオーロは冷や汗をかく。
カルタがすっかり商人モードになってしまっていた。飛ぶ鳥を落とす勢いのネラ商会長に、スオーロは瞬く間に彼のテリトリーに連れ込まれた。
連行されたのはカルタが泊まっている宿の馬場(馬車を止める場所)だ。鍵付き小屋が三棟建っており、カルタは一番手前の小屋の扉を開けた。
「さぁ!近くで!」
スオーロはグイグイとカルタに背中を押され、小屋の中に入った。カルタにとっては千載一遇のチャンスなのだろう。まだ縁を築けていない公爵家の関係者であるスオーロに、どうにか自社製品へ興味を持ってほしいのだ。スオーロは正に、将を射んと欲すればまず馬を射よ……の馬であった。
カルタは馬車の荷台の扉を大仰に開ける。中にはいくつもの木箱があり、その上に黒い塊が置かれていた。
スオーロはその黒い塊を見てとてつもない衝撃を受ける。まるで全身を引き裂かれたかのようだ。
放心状態になりながら、スオーロは無意識のうちに口を動かす。
「……っ、そ、それ……高すぎて、買えなかったヤツ……!」
自身の呟きに驚くと同時に、スオーロは全てを思い出した。
次回
「みんな違ってみんないい、の精神で……」
2026/10/30公開予定です。
読んで頂けますと幸甚です。




