1-2 「これが運命か!!」
「まぁ!なんて立派な外郭なのかしら」
「すごいですね。もう完成しているとは思いませんでした」
「ええ、ルビーノの職人たちはとても優秀ですわね」
改築を終えたばかりのルビーノ城下街の外郭を見たローザは弾んだ声を上げ、スオーロもそれに頷いた。
二人がいるのは外郭から少し離れた高い所にある休憩所兼、見晴し台だ。ここから近々竣工予定の外郭拡張工事を邪魔せずに見学するはずだったのだが、既に外郭は完成していた。外郭の周りでは職人たちが足場の解体をしている。
「ふふ、まるで鳥の羽みたいですわ」
「はい。職人たちが運んでいると重い鉄の棒が軽そうに見えますね」
スオーロは感心しながら職人たちを見つめる。
(まさに職人芸だよな。重心をどこに置くかわからないとできない動きだ)
職人たちは慣れた動きで足場を崩し、何メートルもある鉄の棒を軽々と上から下へと投げていた。受け取る方も難なく鉄の棒をキャッチしては、隣へリズミカルに渡していく。まるで精巧な機械仕掛けの人形のように、職人たちの動きに一切の狂いはない。
一箇所に集められた鉄や木の棒が運びやすくするために縄や布でまとめられていく。撤収作業も滞りなく進んでいた。
「それにしても……書面から想像していたよりも広く感じますわね」
ローザは外郭拡張工事で広げられた場所───新しく城下街の一部になる土地に視線を移す。この広大な更地には様々な可能性があるが、もうルビーノ公爵騎士団の第五基地が建設されることが決まっている。
「防衛のためとはいえ……必要にならなければよい、と思ってしまいますわ」
ローザの長い睫毛が伏せられる。彼女は戦いが起こることを憂いているのだ。この計画を聞いた時も「基地ではなく近くの森林公園を増設できたら素敵でしたのに……」と呟いていた。
「……そうですね。───ん?」
スオーロも同じ思いで答えると、ある異変に気がつく。
先ほどまでスムーズに働いていた職人たちの動きがおかしい。職人たちは足場の解体を止めると小門に集まりだした。
騎士団の第五基地が建設予定の外郭には二つの門がある。騎士団が隊列を組んで出陣できるように大きく造られた大門と、備品の運搬に利用される馬車一台が通れる程度の小門だ。
その造られたばかりの小門から、一台の馬車が無理やり城下街に入り込もうとしていた。
(不法侵入!?)
スオーロはメカクレで隠れている瞳を見開いた。
この城下街に入るにはルビーノ公爵家の許可証が必要だ。ここにはルビーノ公爵が住むルビーノ公爵城があり、ルビーノ公爵領内で最も入る許可を得るのが難しい場所である。よって極稀にこういった事件が起きるのだ。
(でも、何か違う気がする……)
スオーロには違和感があった。城下街に侵入を試みている馬車は、武装馬車ではない。馬一匹の普通の小規模荷物運搬用の帆馬車だ。人々の移動に使われる寄り合い馬車かと思ったが、荷台の帆にロゴのようなマークがあるので、どこかの商会の馬車の可能性が高い。
(だけど、商会がこんなことをするのか?)
信頼を何よりも大切にする商会がこんな暴挙に出るとは思えない。許可証がない場所に入り込もうとした、という噂が立つだけでも評判が下がってしまうだろう。
(せざるを得ない理由がある……?)
しかし、ここからでは遠すぎてスオーロには詳細がわからない。とりあえず、大変なことになる前に門番と安全のために騎士団を呼ぶべきである。出来立てのあの門にはまだ門番も騎士団も駐在していないのだ。
「お嬢様、門番と───「行きますわよっ!」
「えっ!?お嬢様っ!?」
「外郭拡張工事現場まで!急いでくださいませ!」
ローザは近くで控えていた馬車に駆け寄り、御者にそう告げる。スオーロは反射でローザに付いていき、馬車の収納階段を出してキャビンの扉を開けた。そしてローザをエスコートしてスオーロ自身も乗り込んだ。
馬車を使用する際、従者はキャビンの外にあるランブルシートに立ち乗りをするのが通常だが、スオーロはローザの好意で一緒にキャビンの中に入ることが許されていた。
スオーロはローザの正面に座り、もう一度提案する。
「門番と騎士団を呼ぶべきではないでしょうか?」
「ええ。けれど、それは他の者でもできますわ。わたくしたちは少しでも早く現場に行き、場をおさめましょう」
「……承知しました」
(あぁー……お嬢様のノブレス・オブリージュが爆発している)
ローザは公爵令嬢のお手本のような人だ。領民のことを考えて、大切にし、優先する。先ほどの領民たちとの触れ合いもお遊びではない。ローザは彼らが何に喜び、何に困って、何が必要なのかを常に気にかけている。
そんな領民ファーストのローザがあの騒ぎを見て放っておけるわけがない。領民に何かあってからでは遅い!とローザは焦っているのだ。
スオーロは馬車の中にあるものを確認する。ルビーノ公爵家の家紋が入った馬車の行く手を妨げる者はいないので、この馬車はあっという間に目的地にたどり着くだろう。そうなってから何か役立ちそうなものはあったっけ?などと探している時間はないのだ。
座席の隠し収納から救急箱を取り出す。中には包帯やガーゼといった衛生材料が入っている。遠目でも乱闘が始まりそうな雰囲気ではなかったが、何かしらの異常事態が起こっていることは間違いない。何が必要になるかわからないのでスオーロはこれを持って行くと決めた。
ローザの専属執事として、スオーロはいかなる場合にも的確に動かなくてはならない。それが己の主人であるローザの評価に繋がるからだ。主人を支える執事が、主人の足を引っ張ってはならない。
スオーロが気合を入れるのと同時に馬車が止まった。
車輪や馬の蹄の音の代わりに人々のざわめきが聞こえてきた。
「行きますわよ!」
ローザがスオーロのエスコートを待たずにキャビンから飛び出す。すぐさまスオーロもその後を追い、二人は人混みに向かって走った。
すると、悲壮な叫び声が聞こえてくる。
「息子が大怪我を!頼む、助けてくれっ!!」
不法侵入を試みていた馬車から二人の男が出てきた。
馬車に乗ったままでは城下街にはいれないと判断したのだろう。ふくよかで立派な口ひげを貯えた身なりの良い男が、青年を支えて歩いてくる。抱えられた青年は俯きぐったりとしており、彼の腹部は赤黒く染まっていた。
「怪我人!?マジかよ!?」
「おい!救急箱取ってこい!」
「早く入れてやれよ!」
「待て、止めろ!まずはルビーノ公爵城下街の入領許可証を確認しろ!」
職人たちは大騒ぎしながらどうにか対応しようとするも、それぞれがバラバラに動くので混乱が広がっていく。あんなに息の合っていた職人同士でも想定外の事態に連携が取れなくなっていた。
「これっ!これだ!」
身なりの良い男が職人の一人に薄い赤色の書簡を手渡そうとした。
けれど、職人はその書簡に手を伸ばさなかった。
「待て、その色はここの入領許可証じゃないぞ!」
ルビーノ公爵家の許可証には様々な種類がある。色の薄いものはルビーノ公爵領の通行許可証だ。他領へ向かう際に広大な面積を誇るルビーノ公爵領を通らなければならない場合に発行されるもので、ルビーノ公爵領を通ることのみが許可されている。
この書簡ではルビーノ公爵城下街へ入ることはできない。
「で、でも、金はあるんだ!言い値を払うから息子を助けてくれっ!」
身なりの良い男が職人たちに懇願する。大怪我の息子を助けたいという気持ちがわかっても、職人たちは首を横に振った。入領許可証がない者をこの城下街に入れることはできないのだ。
ルビーノ公爵城があるこの城下街はとても治安が良い。それは人の入出管理を厳密に行っていて、更には領民たちも治安維持に協力してくれているからだ。だからルビーノ公爵令嬢であるローザが護衛騎士を連れずに城下街を出歩けている。
「助けてやりたいけどよ……」
「許可証がないんじゃ、無理だぜ」
「そうだ、入れるな!俺たちじゃ責任が取れない!」
職人たちは無許可の侵入者を止めるために動き出した。屈強な職人たちが横並びになり通行止めの役割を演じる様子はまるで壁である。
人の壁により、スオーロたちから身なりの良い男を視認することができなくなった。
「そっ、そんな……頼むっ!息子、……息子を助けてくれ……!」
姿は見えなくても身なりの良い男の震えた声が聞こえてくる。その途切れそうな願いに応えるべく、ローザが声を上げた。
「ええ。みなで彼を助けましょう」
職人たちが驚いた様子で後ろに振り向き、声の主であるローザを視界に入れる。すると、彼らは突然の公爵令嬢の登場に驚いて身体を固くした。
ローザは穏やかに、そしてはっきりと話しはじめる。
「まずはルビーノ公爵家の者として感謝を。この街を守るために規則を遵守してくれたこと、とても嬉しく思いますわ。皆の協力のお陰で治安が守られていますわね」
柔らかく微笑んだローザがカーテシーをする。
それだけで職人たちの張り詰めた空気が霧散し、彼らは安心したように息を吐いた。職人たちもできることなら大怪我の青年を助けたいと思っていたのだ。
壁みたいに立っていた職人たちが左右に分かれてローザに道をつくった。
(流石です、お嬢様!)
スオーロはこのチャンスを逃さずに、身なりの良い男に近づいて腕まくりをする。
「ルビーノ公爵家の執事です。止血をしに参りました。その方を座らせて頂けますか?」
「……あ、ああ!頼む!」
身なりの良い男は突然現れたローザに驚き放心していたが、スオーロの呼びかけにすぐ応えてくれた。
スオーロはそっと深呼吸する。応急手当は執事の嗜みとして学んできたが、実際に怪我人に対してするのは今回がはじめてだ。
スオーロは気持ちを落ち着かせて、まずは怪我の状態を確かめる必要がある「う……」「……ぐ、ぁ」と苦しそうに呻く青年を動かさないように破れた服を引き裂いた。青年の出血は腹部の裂傷によるものに間違いない。
青年の傷は大きい。幸運にも深くはないので内臓に被害はなさそうだが、青年の細く薄い腹からドクドクと新しい鮮血が絶えず流失している。まるで青年の命が流れ出ているようだった。
「っ!動脈が切れてるのか!」
スオーロは救急箱から大量にガーゼや包帯を取り出して、それらを傷口に押し込み力を入れて圧迫止血をはじめる。
しかし、スオーロが両手で止血をしても効果は薄い。スオーロが押さえている場所以外にも太い血管が切れているのだ。
「すみません!ここを押さえていてください!」
「わ、わかった!」
スオーロは自身が押さえていた場所を身なりの良い男に任せて、別の出血個所を探す。
それはすぐに見つかり、スオーロは残りのガーゼを使ってそこも圧迫止血をする。
少し経つと出血の量が減ってきた。
「……ぁ」
「大丈夫ですよ。もう少し頑張ってくださいね」
スオーロは青年を励ますと、顔を上げてローザを探す。
ローザは門番たちと共に、小門の外で動揺している身なりの良い男の仲間たちと会話をしていた。状況の確認、説明をしているのだろう。
そこに向かってスオーロは大きく声を上げた。
「お嬢様!至急、医療機関で適切な処置を受ける必要があります!」
ローザが振り向き、スオーロと視線を合わせる。スオーロはメカクレだがローザは真っすぐにスオーロと目を合わせてくれた。ローザは門番たちに声をかけてからスオーロの方に向かって来る。ただ歩いているだけなのにローザは絵画のように美しかった。そんな彼女が麗しく微笑む。
「ご機嫌よう。ネラ商会長。わたくしはローザ・ルビーノ。緊急のため、あの方たちから先に事情を聞かせて頂きましたわ。災難でしたわね」
「……っ!あ、……お初にお目にかかります、ルビーノ公爵令嬢」
すっかりローザに見惚れていたため、身なりの良い男──ネラ商会長はすぐに反応できなかった。それに笑顔で返し、ローザはスオーロの隣にしゃがみ込む。
「ご苦労さまですわ。この方、動かせるかしら?」
「はい。圧迫しながら運べば大丈夫かと」
「そう、よかったですわ」
ローザはホッと息をついた。そして青年の肩にそっと触れ「もう少し頑張ってくださいませ」と声をかけ、ネラ商会長に視線を移した。
「わたくしの馬車で近くの病院までお連れしますわ。では皆!頼めるかしら?」
ローザがそう言うやいなや、職人たちが担架を持ってやってくる。彼らは資材の残りや足場をつくるのに使っていた木の棒や紐や布を使って簡易担架をつくっていたのだ。その担架で青年を馬車まで運ぶと、ルビーノ公爵家の馬車はすぐに病院に辿り着いた。すでに医者や看護師たちが外で待機していたので、青年をスムーズに引き渡すこともできた。
こんな風にトントン拍子にことが運んだのは全てローザのおかげである。スオーロが止血で精一杯の間、ローザは青年を病院へ運ぶ手筈を整えていた。職人たちに病院への連絡を指示したり、青年を馬車まで運ぶ協力を仰いでいたのだ。
その後、病院に着いてからもローザは機敏に動き、門番や騎士団への報告と引き継ぎを済ませていた。スオーロが両手の血を落としている間に、雑務は全て終わってしまったのだ。優秀すぎる主人に、専属執事として立つ瀬がないが……それ以上にスオーロは誇らしい気持ちになる。
ローザとスオーロはお互いを労り合いながら病院の廊下を歩いた。
「今日の城下街での予定は終了でよろしくて?」
「はい。視察は全て終わりました。しかし、お疲れのところ大変恐縮ですが、報告書を作成して頂きたく……」
「ふふ、それはもちろんですわ。……この件はしっかりと伝えなければなりませんわね」
「そうですね。このようなことが起こるとは───「お待ち下さいっ!ルビーノ公爵令嬢!」
大声で呼び止められたローザは驚いて振り向いた。隣にいたスオーロはさり気なくローザを庇える位置に身体を動かす。
遠くから走り寄ってきたのはネラ商会長だ。よほど慌てて来たのだろう、ネラ商会長の呼吸は荒い。
「こっ、この度は……ゴホっ、ど、どれほど感謝すればいいか……」
「ネラ商会長、気にしないでくださいませ。人として当然のことをしたまでですわ」
ローザは息苦しそうなネラ商会長を心配そうに見つめ、身体の向きを変えた。それはネラ商会長と会話するという意思表示に他ならない。スオーロはその邪魔をしないようにローザの後ろに下がる。
なんとか呼吸を整えたネラ商会長が頭を振った。
「いいえ、いいえ!何かお礼をさせてください!よろしければ私どもの商品を無償で提供いたします!よい品を揃えておりますよ!何かご入用のもの、ご要望のものはございませんか?!」
スオーロはネラ商会長の切り替えの速さに感心した。
(これがネラ商会のトップか……)
ネラ商会とは近年頭角を現して来た新進気鋭の商会だ。他にない唯一無二の商品を生み出し、製造から運搬、販売に至るまでネラ商会で担っている。ルビーノ公爵家と取引関係はないが、それでも噂が聞こえてくるほどにノリに乗っている商会だ。そのトップがやり手であることは間違いない。
病院に着いて青年が治療を受けたことで安心し、ネラ商会長はいつもの調子を取り戻していた。
「今回の馬車には積んでいないのですが、ルビーノ公爵令嬢にオススメなものが複数ございます!例えば宝石を美しく磨き上げられる黒石道具などはいかがでしょうか?箱のなかに宝石を入れて置くだけで、それを自動で磨くことができるんです!お手軽!簡単!一度これを知ってしまったら、もう知らなかったころには戻れない!と大評判でして────」
ネラ商会長による怒涛のセールストークにローザとスオーロは困惑していた。口を挟もうにも隙がない。ローザとスオーロは商人の早口に圧倒されるばかりである。ネラ商会長がいつ息継ぎをしているのかもスオーロにはわからなかった。
ネラ商会長にとって、ローザとの出会いは千載一遇のチャンスだ。今まで交流のなかった公爵家との関係を作る機会を逃がすわけにはいかないのだろう。
しかし、気負いすぎたのかネラ商会長は暴走気味だ。その濁流のようなマシンガントークが、ローザとの間に大きな溝を作っていることにネラ商会長は全く気づいていない。
放って置くとネラ商会長はいつまでも話し続けそうなので、スオーロは申し訳ない思いつつも彼の話を遮ることにする。丁度ローザも同じことを考えていたようで、彼女は左手の平をスオーロの方に向けて親指と小指の先をくっつけた。
これは「帰る」のハンドサインだ。
スオーロは上着のポケットから懐中時計を取り出し「あぁ!」とオーバーに声を上げる。喋っていたネラ商会長も思わず口を閉じた。その一瞬の隙をスオーロは逃さない。
「申し訳ございません、お嬢様。帰城の時間が迫っております」
「あら。では戻らないといけませんわね」
ローザはスオーロを見て返事をした後、ネラ商会に向き直した。
「お話を聞けて楽しかったですわ。興味深い商品も多いみたいですし……」
「!で、ではうちの商品を───「けれどもわたくしの一存では決められませんわ。お父様の許可が必要なのです」
ローザはニッコリと微笑み、ネラ商会長を静かにさせる。
「それでは、ご機嫌よう」
「は、はい。お時間を頂きありがとうございました」
美しい笑顔のままローザが挨拶をすると、ネラ商会長も深々とお辞儀を返した。
ローザが再び廊下を進みはじめる。スオーロはネラ商会長に会釈をしてから彼女の後を追う。そして病院を出たローザとスオーロは馬車に乗り込み帰城の途についた。
◇◇◇◇◇
「お疲れ様です。お嬢様」
スオーロは報告書を書き終えたローザに紅茶を差し出す。
ここはルビーノ公爵城にあるローザの執務室。上品なアンティーク家具で整えられた室内は落ち着いた雰囲気で、集中するのに適した空間だ。
「ありがとう。いい香りですわね」
ローザはスオーロに微笑み、机に置かれた紅茶のカップを持ち上げて爽やかな香りを楽しんでから一口飲む。
「……口当たりがまろやかで、とても美味しいですわ」
ローザはほっと柔らかに吐息をもらすと、先ほどまで作成していた文章に視線を向ける。そこには今日、城下街で起こったことが細かく記されていた。
「それにしても……あのようなかたちでネラ商会と出会うとは思いませんでしたわ」
「驚きましたね」
スオーロは頷きながら答える。外郭拡張工事を遠くから視察するはずが、人命救助をすることになったのだ。
「……そういえば、あの方は何故大怪我をしたのでしょうか?」
ぽつり、とスオーロは疑問を口にする。ネラ商会長の息子の腹部の裂傷は転んでできたものではない。何者かに切り裂かれた傷だった。もし野盗が近くに居るのであれば情報の周知や警備の強化は必須だ。
「ああ、伝えそびれていましたわね。あの怪我はディザストロに襲われた時のものだと伺いましたわ」
「ディザストロ!?」
スオーロは驚いて声を荒らげてしまった。
ディザストロとは人を殺し、街を壊し、地形すら変形させる強大な力を持つモンスターのことだ。
古くから百年に一度現れると恐れられていたが、それが五十年に一度になり、十年に一度になり、一年に一度になり───今では毎週のようにこの王国の何処かに出現して破壊の限りを尽くしている。
ルビーノ公爵夫人が【未曾有の危機に瀕している】と危惧していたのはこのことだ。
現にルビーノ公爵家はルビーノ公爵騎士団の第五基地を建設し、ディザストロ討伐の専門部隊の新設を予定している。またルビーノ公爵領全土にも騎士団の駐屯地を増やしていく計画だ。元々あった基地や駐屯地だけでは対応しきれないと判断したのだろう。それほどまでにディザストロの出現率が上がっている。
ルビーノ公爵城の近くにディザストロが現れることはほとんどなかったが、これからはそうではなくなるのかもしれない。
スオーロがゴクリと唾を飲むと、ローザも真剣な表情で続ける。
「ネラ商会は急な依頼が入って、護衛の冒険者たちを雇えなかったそうですわ。ルビーノ公爵領近くではディザストロの出現情報も少ないので油断もあったようですわね。最低限の装備と人数で商品を輸送していたそうですわ。
無事に商品を届け、帰る途中でディザストロに襲われて……ネラ商会長の息子が一人で交戦し撃退した際に負傷した、とのことですわ」
「え?一人でディザストロを撃退したのですか?」
「ええ。それが真実かどうかは不明ですけれど、そう伺いましたわ」
「……すごい方だったんですね」
感嘆の念を抱きながらスオーロは血まみれだったネラ商会長の息子を思い浮かべた。
(戦うタイプじゃなさそうだったけどな)
あのカッペリーニのように薄い身体で戦っていたことにスオーロは驚いた。ネラ商会長の息子はオーバーサイズの服を着ていたのでわからなかったが、腕や足は意外と筋肉質だったのかもしれない。
スオーロが手足だけがムキムキな人物を妄想していると、ローザがスオーロを見ながら固まっていることに気がついた。
「お嬢様?」
「っ……!……っ、……んん!」
スオーロの呼びかけにローザは気を取り直すように咳払いをする。そしてローザはスオーロを見つめた。
真剣なローザの眼差しにスオーロはより背筋を伸ばす。スオーロの直感が、ローザから大事な話をされると察知したのだ。
「……スオーロ、あなたはネラ商会長の息子について、どう思ったのかしら?」
「一命を取り留めてよかったなと思いました。あと少し遅かったら間に合わなかったかもしれません。お嬢様が適切に判断し指示を出してくださったおかげで、スムーズに病院へ送り届けられたことが大きいかと」
「あれは皆が協力してくれたからですわ。……他には?もっと、こう……彼個人について何かあるかしら?」
「彼個人、ですか?」
予期せぬ問いかけにスオーロは一瞬戸惑う。まさかネラ商会長の息子について深く話し合うとは思っていなかった。だが執事たるもの、主人から提供された話題にはスマートに答えなければならない。
(でも何かあるか?)
スオーロがネラ商会長の息子と一緒に居た時は彼の圧迫止血に夢中で、他に気を配る余裕はなかった。治療のために破いた服の色や、病院までの間ずっと押さえていた薄い腹部は覚えているが、それ以外はほとんど記憶にない。
けれども、ローザは熱い視線をスオーロに送ってくる。それに応えるべく、スオーロはどうにか答えを絞り出した。
「そうですね……少し質問から外れてしまうかもしれませんが、彼がどのようにディザストロと戦ったのかが気になります」
通常、一匹のディザストロの討伐に一分隊(戦闘員十人程度)が派遣されると言われている。今回は退治ではなく撃退ではあるものの、それを一人でやり遂げたことにスオーロは驚きが隠せない。
「正直に申しますと、とても戦闘に向いている方には見えなかったので……興味はありますね」
「きょ、興味!?彼に興味があるの!?」
ルビーよりも輝く瞳を大きく見開いたローザは動揺した様子でスオーロに尋ねた。その振る舞いに違和感を覚えつつもスオーロは質問に答える。
「はい。彼の戦い方に関心があります。細身でもディザストロと戦える技術があるのなら知りたいですね」
「それは……興味があるのは戦闘方法だけで、彼自身には関心がない、ということかしら?」
「そう、ですね。会話をしたわけではないので、彼個人に対して特に思い入れはありません」
断言したスオーロにローザは長い安堵のため息をついた。そして彼女は小声で「よかったですわ。──を感じていなくて………」と呟いた。
「すみません。今なんとおっしゃいましたか?」
「いいえ。何もありませんわ」
ローザの言葉を聞き取れなかったスオーロが尋ねると、彼女は微笑んで首を振った。
「急に変なことを聞いてごめんなさい。答えてくれてありがとう。さて、今日はスオーロも大変だったでしょう?早めに上がってくださいませ」
「そんな、私は大丈夫です。ご心配には及びません」
「もう、スオーロったら……自覚がないだけですわ。あんなに必死に圧迫止血をしていたのだからスオーロの腕はとっくに限界でしょう?無理をすると筋肉痛で辛くなってしまいますわ。明日はスオーロに力仕事を頼むのですから」
「それは、困りますね」
微笑むローザにスオーロも笑って返す。
残っていた紅茶を飲み干したローザはカップを優しくソーサーの上に置いた。
「スオーロの今日の仕事はこれを片しておしまいですわ」
「承知しました。お心遣いをありがとうございます。すぐにメイドを呼びますので少々お待ちください」
スオーロはそれらをトレーに乗せて、お辞儀をしてから廊下に出た。
ローザの方に身体を向け直したスオーロはもう一度頭を下げる。
「それでは本日は失礼させて頂きます」
「ええ。また明日」
ローザの声を聞いてからスオーロは扉を閉めた。
「あぁー………」
スオーロはうめき声を上げながらお気に入りの自分のベッドに倒れ込む。使用人宿舎に帰って夕飯を取り、大浴場で疲れを癒やしてから自室に戻ると、スオーロの体は急に重くなった。どうやらローザの言う通り、かなり疲れていたようだ。
運動量は大したことはなかったが精神的に疲労したのだろう。スオーロはあんなに大量の血を見るのも触れるのもはじめてだった。プライベートな空間に帰ってきて気の昂ぶりがおさまり、どっと疲れが出たのだ。
「流石です……お嬢様……」
スオーロはうわ言のように呟く。このまま目を閉じればすぐにでも夢の世界へ行けそうだ。スオーロはうとうとし、寝落ちしそうになったところで上半身を起こした。
「いやいやいや、駄目だろ」
自分にはやらねばならないことがある。スオーロは気合を入れて自身を誘惑するベッドから離れ、机に向かった。
やらねばならないこととは【運命の相手】が何かを考えることである。これが何かわからなければローザの運命の相手を見つけ出すことなどできない。
「運命……運命か……」
しかし、スオーロにはそれがさっぱりわからない。スオーロは疲れ切った自身の頭が動いていないことすらわかっていなかった。
それなのにスオーロは必死に机に齧りつき「運命とは……」と哲学者ぶった雰囲気だけは出している。用意した紙に書かれているのはミミズみたいな線だけだ。時間だけが無駄に消費されていった。
これはまずいとようやく気が付いたスオーロは何かヒントはないかと部屋を見渡す。スオーロの質素な自室の中で一つだけ目を引くものがあった。それはベッドサイドチェストに置かれた装丁の美しい本だ。
その本はローザが貸してくれた恋愛小説【とっくにはじまっていた】である。内容はヒロインが怪我をして倒れていた青年を治療して恋が芽生えていくもの。「手当てしてくれた人をぼんやりとしか覚えていない青年が、ヒロインに助けられたことを思い出すシーンがドラマチックでしたわ!自ら名乗り出ないヒロインの奥ゆかしさも素敵ですのよ!」と楽しそうにローザがオススメしてくれたのだ。
「……………、っ!?」
スオーロは勢いよく立ち上がった。椅子がガタンと倒れたがそれどころではない。まるで世紀の大発見をしたかの如く興奮しながらベッドサイドに駆け寄り、スオーロはその本を掴んだ。
「こ、これ!今日のお嬢様とあの青年じゃないか!!」
ヒロインが怪我をした青年を助ける。まさに今日のローザとネラ商会長の息子ではないか。
正確に言うとローザは助ける指示を出しただけだが、それはスオーロにとって些末なことだ。ローザは心配そうに青ネラ商会長の息子の肩に優しく触れていた。あれも一種の手当てである。恋愛小説の流れには乗っているはずだ。多少の身分差はあるが、ネラ商会の跡取りともなれば爵位を買うこともできるだろう。ルビーノ公爵夫妻が認めてくれる可能性は大いにある。
(あ!だからお嬢様がネラ商会長の息子について細かく聞いてきたのか!!)
スオーロは自分の鈍さに呆れたが、今はそんなことはどうでもいい。
ローザはもう運命の相手に出会った!つまりローザのラブストーリーの幕は上がったのだ!
スオーロは美しい装丁の本を天に掲げた。
「これが運命か!!」
次回
1-3 「わたくしの運命の相手は……」
2026/10/23公開予定です。
読んで頂けますと幸甚です。




