1-1 「わたくしは運命の相手にしか嫁ぎません!」
「わたくしは運命の相手にしか嫁ぎません!」
「いつまでそんなことを言うつもりですか!」
「これは決定された確定事項ですわ!運命ですもの!」
「いい加減にしなさい!貴方は恋に恋をしているだけです!」
「酷いわ!お母様!」
アンティーク家具に囲まれた上品な室内に、似つかわしくない母娘ゲンカの声が響く。ローテーブルを挟んで向かい合うソファに座った彼女たちは、洗礼された気品を保ちつつも相手を言い負かそうと臨戦態勢に入っていた。
睨み合う二人の間のローテーブルには若い貴族令息たちの肖像画と資料が所狭しと並べられている。
その肖像画たちを指差して少女が声を上げた。
「わたくしはこの方々とは結婚しませんっ!」
そう断言した少女は、人形と見紛うほどに整った顔立ちをしている。雪みたいに白く透き通った頬は興奮しているせいかほんのりと色づいていて愛らしい。その頬に影を落とすほど長いまつ毛に縁取られた瞳は、ルビーの宝石よりも輝いて彼女の意志の強さを覗かせていた。
少女の名前はローザ・ルビーノ。ルビーノ公爵家のご令嬢である。
そのローザの後ろに控えている彼女の専属執事は驚いて固まっていた。普段は淑女の手本のような主人とその母親が声を荒げてケンカしているのも衝撃だったが、それだけではない。
(えっ!?この人選でも駄目なのか!?)
専属執事は改めて肖像画に視線を送った。そこに描かれている貴族令息たちは誰も彼もがイケメンである。優しそうな青年、凛々しい青年、明るそうな青年……とバラエティーも豊かだ。専属執事はその中の誰かしらに、ローザが興味を持つと思っていた。
ローザは恋に恋していると揶揄されたように、恋愛に大きな夢を見ている。超ウルトラとんでもハイパーめちゃくちゃスーパーすっごい恋愛小説愛好家なのだ。恋愛小説の新刊を必ずチェックし、ローザは同じ本を最低でも三回は読む。
とりわけ気に入ったものを「運命的に出会う……素敵ですわ」「二人だけで通じ合える特別感……」「わたくしも熱烈に抱きしめられてみたいわ!」と、きゃあきゃあと可愛く花を飛ばしながら専属執事に感想を話すのがローザの日課なのだ。
専属執事はローザの恋愛小説感想トークを彼女が満足するまでしっかりと聞いた。ローザはそれがとても嬉しかったようで、彼女の恋愛小説感想トークは回数を重ねるごとにどんどんと長くなっていった。最近では「これが今回のお勧めですの!」と、専属執事に一押しの恋愛小説を貸すまでがお決まりの流れになっている。そんな風にローザに付き合って専属執事も恋愛小説に詳しくなっていった。
そんな恋愛小説の英才教育を受けた専属執事から見ても、この肖像画の貴族令息たちならローザの感心を引けると思っていたのだ。有力な貴族の優秀な令息たちは、先ほど述べた如く、誰も彼もがイケメンである。皆、顔から恋愛小説に出てきそうな雰囲気を醸し出しているのだ。
ルビーノ公爵家と婚姻関係を結び、関係を持ちたい貴族は多い。とは言え、ローザと年齢の近いイケメンな貴族令息たちをこれだけ集めるのは大変だっただろう。今後のルビーノ公爵家への影響を踏まえて、考慮に熟考を重ねて選び抜かれた結婚相手でありながら、恋愛小説愛好家のローザが喜びそうな要素も含んでいるのだ。
ルビーノ公爵夫妻がローザのことを考えて結婚相手選びにどれほど心を砕いたか、ただの使用人である専属執事にはわからない。
(一度だけでもお会いになってみては?って言うか?)
だが、それは越権行為だ。専属執事と言えど主人の結婚についてとやかく言う資格はない。
そもそも執事とは、常に主人のことを考え、常に主人にとっての最善をつくし、常に主人の望みを完璧に叶えて、常に主人を支えるものである。
つまり、ローザがこの令息たちとの結婚を希望しないのであれば、そのように擁護するのが執事の仕事だ。
しかし、これ以上の結婚相手はそういない。ルビーノ公爵家の都合も考えるのであれば、この中から選ぶことを勧めるべきである。けれどもローザは運命の相手を求めているし……と、専属執事は悩んでいた。
(ってか、運命の相手って何だ?)
あれだけたくさんの恋愛小説を借りて読んでも「ハッピーエンドでよかった」という仕様もない感想しか出せない専属執事にその問いは難しい。専属執事は恋愛小説のストーリーの流れには詳しくなれても、登場人物たちの機微の変化には疎かった。
「運命の相手なんているわけないでしょう!現実を見なさい!」
「運命の相手はいますわ!」
専属執事が混乱しているなか、母娘はヒートアップしていく。いつの間にか結婚相手を決める話し合いが、運命の相手はいるいない論争に変わっていた。
「お母様は政略結婚だから知らないだけです!」
「なんですって!?」
「いえ、だからこそわたくしの考えを理解してくださらないのよ!お母様の頑固者っ!」
「それはこちらの台詞です!」
ルビーノ公爵夫人が目を大きく見開き、ローザと同じ色をした瞳を怒らせる。
「……ええ。そうですか。では貴方が言う運命の相手とやらを連れていらっしゃい!いるとは思えませんがねっ!」
「望むところですわっ!」
「わかっていると思いますけれど、この未曾有の危機に瀕している時に貴方のために割く労力はありませんよ!」
「もちろんですわ!ね、スオーロ!」
「っ!もちろんです」
一人悶々と運命の相手について考えていた専属執事は、スオーロと己の名前を呼ばれて反射的に返事をした。ローザの発言には「はい」「もちろんです」「承知しました」で返すのが執事というものだ。
ローザが立ち上がりスオーロに振り向く。美しく艶めくシャンパンゴールドのロングウエーブヘアがフワリと踊った。
そして期待に満ちたルビーよりも輝く瞳が真っ直ぐスオーロを射抜く。
「わたくしと一緒に、運命の相手を見つける旅に出ましょう!」
「はい……?」
スオーロの語尾に疑問符がついてしまったが、これは仕方がない。
◇◇◇◇◇
「あ!ローザ様だよ!」
「本当だっ!」
「ふふ……ごきげんよう」
子どもたちに手を振りながらローザが優雅に歩く。露出を控えた落ち着いた色合いの深紅のスタンダードラインドレスが彼女の動きに合わせて踊り、金の差し色を上品に艶めかせる。シャンパンゴールドのロングウエーブヘアをまとめるドレスとお揃いのデザインのバックカチューシャリボンも風に揺れて煌めいた。
(これがいつものお嬢様なんだよな)
スオーロは前を歩くローザを見る。先ほどまで母娘ゲンカをしていた様子は微塵もなく、ローザは後ろ姿だけでも気品で溢れていた。その高貴なオーラは何処にいても変わらない。
ここはルビーノ公爵城の城下街。公爵城を囲む貴族街を抜けた先にある市民街だ。
ローザは視察にやって来たのだが、早々に領民たちに囲まれてしまった。その領民の中の一人の女性が身につけていたストールを見て、ローザは目を大きく開いた。
「あら、それはもしかして先日言っていた新作の刺繍かしら?デフォルメされた花が愛らしくて……よく似合っていますわ」
「は、はい!ローザ様!覚えていてくださ─────「ローザ様!うちの新作も見てください!」
「ちょっと、押さないで!」
「皆、落ち着いて。一人ずつ話を聞かせてくださる?わたくしもこの時間を楽しみにしていたの」
ローザは優しく微笑み、領民一人ひとりに視線を送った。真摯に話を聞き、内容を覚えてくれるローザは領民たちから大人気だ。
スオーロはサッと周りを見渡し、集まった領民たちの顔を確認した。彼らはルビーノ公爵家に好意的で、ローザに会えたことを純粋に喜んでいることが明るい表情から伝わってくる。
これなら平気だな、とスオーロは一歩下がってローザから距離を取った。ローザと領民たちの交流を邪魔しないためだ。けれども、有事の際はすぐにローザを守れる位置である。
穏やかに歓談するローザの後ろ姿を見守りつつ、スオーロは例の件について考えはじめた。
(運命の相手って、どうやって探せばいいんだ?)
スオーロには皆目見当もつかない。
そもそも運命の相手がどういうものなのかもスオーロはよくわかっていないのだ。それをどう探せばいいのかわかるはずがない。
スオーロにとっての運命の相手とは『恋愛小説の中によく出てくるもの』である。男女が出会って「これが運命なのね!」とすぐ惹かれ合うこともあれば、「気に食わない人!」と反発からはじまることもある関係だ。つまり個々に条件が異なるのである。一概に〇〇だから運命の相手!と断言できないところが厄介だ。
正直なところ、スオーロは運命の相手が実在するとは思っていなかった。あれは恋愛小説特有の存在だと認識していたのだ。
しかし、ローザが「いる!」と言うのであれば、運命の相手はいるのである。
そしてローザが「見つける!」と言うのであれば、運命の相手を見つけ出さなければならない。
それが執事というものだ。
スオーロはこの身に余る役職を全うすると決めている。
この決意のきっかけは、十年前に遡る─────
当時八歳くらいだった少年は豪華な天蓋付きのベッドで目覚めた。シーツはサラサラ、布団はフワフワで感動したが、少年が一番衝撃を受けたのは彼の手を握っていた少女の存在だ。
少女は少年の隣で寝ていた。つやつやと艶めく髪、ふっくらと柔らかそうな頬、桜色の小さな唇。少女が目を閉じていても、彼女が可愛いことが少年にはわかった。
(……天使って本当にいるんだ)
どうやら自分は死んだらしい、と少年はぼんやりと少女を凝視していた。天国ならばこの快適な空間も納得である。
だが、少女が目を覚ますと少年の考えは一変した。開かれた少女のルビーのよりも輝く瞳に、少年は吸い込まれそうになるほどの生命力を感じたからだ。
「おはよう!」「具合はどう?」「わたしはローザよ!」「あなたは?」
満面の笑みを浮かべた少女に元気よく話しかけられ、少年は慌てて返事をする。
「お、おはよう」「元気だよ」「ローザ、よろしくね」「えっと、オレ、……オレは…………」
少年はこの時はじめて自分の名前がわからないことに気がついた。
すると少年の頭がズキズキと痛みだす。そこに手を当てると、包帯が巻かれていることに気がついて少年は驚いた。怪我をした記憶が全くない。いやそれ以前に、少年は自分のことを何も覚えていなかった。
動揺する少年に少女が「少し待ってて!」声をかけて部屋を飛び出し、白衣の医者と美女を連れて帰って来た。
少年は医者に問診や触診をされて、少年が数日眠ったままだったことや大怪我をしていたことを知った。少年には左のこめかみから額の中央にまでパックリと割れた大きな怪我があり、その負傷をした際に記憶喪失になったのではないか……というのが医者の見立てらしい。あと数センチ深かったら死んでいたと聞かされ少年は言葉を失ったが、それ以上に少年を困らせることがあった。
(お、お金どうしよう……)
記憶は無くとも、少年に一般常識は残っていた。医者に支払えるお金を少年が持っているわけがない。着の身着のまま……というか、今着ている服も少年のものではないだろう。少年の肌が上質すぎる着心地だと訴えている。
少年は頭を下げて正直にその旨と支払いに時間を貰いたいことを伝えた。
「フフ。わたくしが済ませるから気にしなくていいわ」
少し離れたところから少年を見守っていた美女が微笑んでくれる。彼女はローザの母親で、ルビーノ公爵夫人だと教えてくれた。そして記憶喪失でどこの馬の骨わからない少年をルビーノ公爵城に住まわせてくれたのだ。
公爵家とは王族の次に位が高い存在である。少年に記憶が無くても公爵家が自分と縁もゆかりも無いことだけはすぐにわかった。
(じゃあ、何でこんなに良くしてくれるのかな?)
少年はローザにその理由を尋ねた。
「わたしたちを助けてくれたからよ!君は命の恩人なの!」
満面の笑みを浮かべるローザに少年は首を傾げた。全くピンとこない。記憶喪失になる前の少年が優秀だったとしても、八歳くらいの子どもにそんな活躍ができるとは思えなかった。
(……あ、これは嘘だな)
行き倒れの少年が面倒を見てもらうことを気に病まないように、話を作ってくれたに違いない。記憶喪失の子どもを放り出さないための優しい方便というやつだ。
少年はルビーノ公爵家の貴族然とした行いに深く感謝し、必ずこの恩に報いると心に誓う。
そうと決めた少年は、無分別だとわかっていてもルビーノ公爵家で働かせてほしいと頼むことにした。
記憶喪失になって路頭に迷いそうなところを助けて貰って、さらに仕事をくれと言っているのだ。少年には厚かましいことをお願いしている自覚があったが、これ以外にルビーノ公爵家に奉公する方法がわからなかったのだ。
冷や汗をかきながら頭を下げている少年にルビーノ公爵はあっさりと働く許可をくれた。さらにルビーノ公爵は少年に《スオーロ》という名前までつけてくれたのだ。
今までは名前を思い出すかもしれないと配慮されて少年は「君」と呼ばれていた。しかし仕事をするのならば名前が無いと不便だろうと、ルビーノ公爵が提案してくれたのだ。
少年はありがたくスオーロという名前を受け入れた。不思議とスオーロという響きはすぐに少年に馴染んだ。
スオーロはすぐに下働きとして働かせてもらうことなった。下働きとはルビーノ公爵家に代々仕えている家系の子どもたちが従事する仕事だ。親の仕事を見て学び手伝い、ルビーノ公爵家に仕える準備をする期間である。
親のいないスオーロは掃除人、料理人、洗濯職人、庭師、御者、騎士団員などのあらゆる下働きをさせてもらい────何故か執事になった。
ローザが「わたくしの専属執事に!」と強くスオーロを推薦してくれたらしい。
執事とは家事使用人の中の上級職だ。主人の身の回りの世話をし、使用人全体を統括する。本来であればフットマンを務め上げてから昇格する職種で、使用人の中でも一人しかなれないもの。スオーロが就ける職ではない。
つまり、スオーロは特例でローザの専属執事になったのだ。
執事と言ってもローザの身の回りの世話を任せてもらう側仕えみたいな立場で、ほかの権限は一切ない。けれども誰が見てもわかるような特別待遇にスオーロは申し訳なくなった。
(オレ、何の適性もなかったんだ……)
あんなにいろんな下働きを経験させてもらったのにこの体たらくである。そんなスオーロを不憫に思ってローザが拾ってくれたのだろう。
恩を返す場まで与えてくれたローザに、スオーロは改めて忠誠を誓った。
と、いうわけでスオーロはローザのことを何よりも大切に思っている。ローザのためならどんなことでもやるつもりだ。ローザが運命の相手を見つけたいと言うのであれば、全力で支援したい。
「……どうやって見つけるか考えないとな」
「探しもの?」
「ん?」
つぶやきに返事があってスオーロは驚いた。スオーロが下を見ると、そこには三つ編みの幼い少女が居た。この子は現在ローザと話しているパン屋の娘で、スオーロとも顔馴染みだ。
「あたしが探すの手伝ってあげる。メカクレツバメのお兄ちゃんじゃ、見つけられないでしょ?」
「えっ?オレじゃ見つけられない?!」
「だってお兄ちゃん、目が隠れてるもん!」
「あ、あぁ……そういう」
スオーロはホッとした。三つ編みの幼い少女はスオーロの長い前髪────所謂メカクレなことを心配してくれたようだ。
「ありがとう。でも大丈夫なんだ。ちゃんと見えてるよ」
「本当にー?だってママが、お兄ちゃんはローザ様のこと見えてない?って言ってたよ」
「えっ!?」
びっくりしたスオーロは慌てて説明をする。
「いやいや、しっかり見えているよ?お嬢様の今日のお召し物は花柄のエンブロイダリーレースだってわかってる。それに合わせてバックカチューシャの結び目がフラワーリボンなんだ」
「んー?よくわかんないけど、かわいいよね」
「そう!お嬢様が可愛くて美しいことはちゃんと見えてる。だから大丈夫!」
スオーロは少々戸惑いながら子どもにもわかりやすいように弁解する。まさか見えていないと勘違いされているとは思わなかった。
(やっぱり、オールバックにした方がいいか?)
執事の王道ヘアースタイルと言えばそれだろう。そうわかっているのに敢えてスオーロがメカクレにしているのには理由がある。
まず一つ目は、左のこめかみから額中央にかけての傷を隠すため。
スオーロの記憶を飛ばしたこの傷は濃い大きな傷跡になってしまったので、スオーロと初対面の人を毎回驚かせてしまうのだ。「前髪を伸ばして隠すのはどうかしら?」とローザに提案して貰い、試してみたら意外と良かった。前髪が邪魔になるかと思ったが、そうでもない。眩しい時には良い感じに遮光してくれるので地味に役立っている。
そして二つ目は、視線を隠すため。
公爵令嬢の立場からローザにはスオーロに言葉で指示できない場合がある。その際に役立っているのがハンドサインだ。
ことの発端はローザが愛読している恋愛小説。その中にハンドサインを題材にしたものがあり、ローザはそれにとても感銘を受けていた。スオーロもその小説を借りて読み、一緒に二人だけのハンドサインを作ったのである。スパイごっこみたいでスオーロの心が躍ったことは秘密だ。
このハンドサインを受け取る時に周りに気づかれないように、スオーロは前髪で自身の視線を隠しているのだ。
そのことを思い返していると、ローザからハンドサインが送られてきた。領民と話しているローザがさりげなく左手の平をスオーロの方に向けて、親指と小指の先をくっつけたのだ。
(これは「帰る」のサイン。一旦この場所から離れたい、ってことだな)
ローザの前には人だかりができており、通りの通行の妨げになっていた。ローザはこれを気にしているようだ。確かにいつまでも通りを塞ぐわけにはいかないし、ローザには集まってくれた領民全員に対応する時間はない。
スオーロはすぐさまローザに近づき声をかける。
「お嬢様、そろそろ次の場所へ」
「ええ。皆、楽しい時間でしたわ」
次の用事を匂わせれば、領民たちは素直に従う。ローザが領民たちに笑顔を向けると、彼らも笑って「ご公務頑張ってください」と見送ってくれる。それに手を振り応えながらローザはスオーロを連れて馬車へと戻った。
ルビーノ公爵家の馬車は遠目でも上品な高級さが伝わってくる。全体的に落ち着いた色合いの馬車のキャビンには、ルビーノ公爵家の家紋がルビーノ公爵家の家色である赤で描かれていた。
スオーロは馬車に近づいてキャビンの収納階段を出して扉を開け、エスコートのためにローザに手を差し出す。
普段のローザならば「ありがとう」と言って手を乗せてくれるが、今はその気配がない。ローザの両手は自身の髪をいじることで忙しそうだ。
どうしたのだろうか、と失礼のない程度にスオーロはローザを観察する。スオーロは先ほど「ローザ様のこと見えてない」と言われてショックを受けているのだ。専属執事としてのプライドが、ローザのことを何一つとして見落とすなと言っている。
ローザは首元から右胸に流れている髪を両手でいじりながら、チラリとスオーロを見ては視線を逸らし、またチラリとスオーロを見ては視線を逸らしていた。彼女はこれをずっと繰り返しているのだ。
(あ、これは……)
スオーロにはローザのこの動作に見覚えがあった。髪をいじいじといじり、視線をチラチラさせていることから勝手に「いじチラ」と命名している。スオーロが名前を付けるほど、よく見る行動なのだ。
しかし、ローザがこの行動で何を示しているのかはまだ不明である。
このいじチラの後に必ずローザがする表情もあるのだが、その理由もスオーロにはまったく心当たりがない。
「………」
スオーロは冷や汗をかいた。本当に自分はローザのことがわかっていないのかもしれない。何度も見たことのある仕草なのに、スオーロは未だにその意味を汲むことができていない。これは専属執事として致命的だ。
「……そ、その、スオーロが……わたくしのことを話していたようだけれど……?」
痺れを切らしたのか、先に口を開いたのはローザだった。
ローザはいじチラをしながら頬を染めて上目遣いで尋ねる。
質問内容がまるで試されているようだ、とスオーロは感じた。
これ以上の失態を重ねたくないスオーロは、焦る。
けれども、スオーロには何も言葉が出てこない。
戸惑うスオーロに追い打ちをかけるように、さらにローザが言葉を紡ぐ。
「わ、わたくしのことを、その……か、かわい────「はい!ドレスがとても愛らしいと話しておりました!」
動揺のあまりスオーロはローザの話しを遮ってしまう。執事として、というか人として褒められた行為ではないが、もうスオーロは突っ走ることしかできない。
「刺繍の細やかさがとても素敵です。近づくとわかるさりげなさが、お嬢様の気品を引き立てています。今年のドレスの流行はそういったデザインで決まりですね!」
「え?あ……かわいいのは、ドレス?」
「はい。今年のドレスのトレンドは間違いないかと!」
スオーロは自信を持って答える。社交界で披露しなくとも公爵令嬢であるローザが着たとなれば噂はすぐに広まるだろう。なんてったってこんなに似合っているのだ。
「……………そうですわね。ありがとう」
いつの間にかローザは髪を撫でるのを止めて、アルカイックスマイルを浮かべていた。いじチラの後に必ずする表情とはこれのことだ。
(微笑んでるけど……お嬢様、がっかりしてるんだよな)
やにわに普段通りのローザに戻るのだが、何か粗相をしてしまったのではないかと、スオーロは気が気でない。
以前、スオーロは意を決して何が問題だったのか聞いたことがある。その時ローザに「スオーロは悪くありませんわ。……気にしないでくださいまし。これはわたくしの未熟さのせいですわ」と優しく濁された。何度も質問するのは無礼かと思い、スオーロは追究できずにいるのだ。
「次は拡張工事中の外郭ですわね。行きましょう」
ローザはいつものように微笑み、スオーロが差し出していた手に手を重ねてキャビンに乗り込んだ。
次回
1-2 「これが運命か!!」
を同時公開しております。
よろしければ、どうぞ!




