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第10話 雪解け水のレシピ
母の調合帳にあった指示は、細かく、そして優しかった。
『白百合の蕾は夜明け前に摘むこと。雪解け水は一晩石槽に沈め、朝の一番目の透明な層だけを使うこと』
私はマルタと工員たちと一緒に、止まっていた導水管を通し直した。硝子を張り替えた温室へ新しい白百合を並べ、朝の冷気が残るうちに花弁を釜へ移す。
蒸留塔に火を入れた瞬間、止まっていた場所が息を吹き返したような音がした。
細い管を通って落ちてきた最初の一滴を、私は慎重に香紙へ落とす。
甘さは静かで、尾に氷のような透明さが残る。
「……これです」
思わず声が震えた。
マルタが目を丸くする。
「前の白百合と全然違うね」
そこへレオンハルトが来た。試香紙を渡すと、彼はしばらく無言で香りを吸い込み、それからごくわずかに目を細めた。
「母の礼拝室の匂いに似ている」
「奥様はこの香りを?」
「冬明けごとに焚いていた。屋敷が少しだけ柔らかくなる」
私は胸の奥が温かくなるのを感じた。
記録は数字だけじゃない。人がどう息をつき、何を思い出すかまで残せる。
なら、この白百合はきっと北辺を立て直す最初の一本になる。




